第884話・第五回武芸大会・その五
Side:故郷を捨てた男
どっと沸いた声がした。今年も賑やかだなぁ。年に一度の武芸大会。それを見ている奴らの声だろう。
おらも一度でいいから見てみたいけど、武芸大会は稼ぎ時だ。
いつもは賦役で働いているが、武芸大会の時は賦役が休みになる。おらの村なんて盆と正月くらいしか休むことがなかったのに、尾張では年に何度も休みがある。
休んでも食うには困らねえが、働けるうちは働きてえ。武芸大会はいつもと違う仕事がある。それがまたいい銭になるんだ。
少し前に野分で田んぼが駄目になった村を捨てて、故郷の村から家族を連れだした。おかげでなんだかんだと物入りだからな。
「うぅ……母ちゃん。母ちゃん……」
「また迷子か。おい、迷子の預かり所に連れていってやれ」
「畏まりました」
おらは警備兵の下働きをしている。喧嘩の仲裁をしたり、こうして迷子となった子を預かり所という迷子を集めておくところに連れていってやるんだ。
「おい、坊。大丈夫か? さあ、母ちゃんのところに行こうな」
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした迷子の手を引き、多くの人で賑わう中を歩いていく。武芸大会の時にはあちこちにたくさんの市が出るんだ。
それにしても尾張はいいところだなぁ。おらの故郷なんて子をひとりで村から出すと捕まって売られても文句は言えねえ。目を離した奴が悪い。そう言われる。尾張だと他人の子なんか売ったら磔にされるんだとか。
「あら、随分と泣いているわね。大丈夫かしら?」
見知らぬ男に連れられて迷子も恐いんだろう。泣き止まない姿に見知らぬ女が背後から声を掛けてきたが、振り向いて驚く。
綺麗な着物と金色の髪をした女だった。
「はっ、はい。迷子らしく預かり所まで送っていくところです」
尾張においてこんな女は久遠様のところの南蛮人しかいない。身分が違う。思わずどっと汗が流れた。
「だいじょうぶ?」
「おなまえは?」
女の連れだろう子たちがおらの連れている迷子に声をかけた。随分と身綺麗にしているな。身分のある子だろうか?
「おふくろさま! この子、きくって言うんだって」
「そう、なら預かり所に連れていってあげましょうか」
まだ幼い子らが名を呼んだことでわかった。このお方は慈母の方様だ。なんでも美濃の土岐様の御家来衆を相手に一歩も退かなかったというお方だ。
「貴方は臨時の警備兵ね。この子は私が預かるわ。役目に戻っていいわよ」
「はい、畏まりました」
慈母の方様の連れの子のおかげで迷子は泣き止んでいた。まるで我が子のように楽しげに歩く慈母の方様と子らに連れられていく迷子を見てホッとした。
良い所だな。尾張は。
ふと故郷の村を捨てた朝を思い出した。
稲刈りに帰ったら野分で一夜にして田んぼが駄目になったんだ。親を捨てるか子を売るか。まだ元気な親父とそんな相談をして、村を捨てた。
生まれ育った家を出る時、みんな泣いていた。親父とお袋は代々暮らした家と村を捨てる申し訳なさで泣いて、尾張を知らねえ子たちなんて村を出たくないと泣いたほどだ。
それでも親を捨て、子を売るよりはいい。
そんな親と子らは今頃どっかで楽しげに武芸大会を見物しているはずだ。
贅沢は言わねえ。家族そろって飯が食えればいいんだ。離れていく慈母の方様に深々と頭を下げておらは役目に戻る。
おらも頑張ろう。二度と故郷を捨てなくてもいいように。みんなで笑って暮らせるように。
Side:久遠一馬
細々としたトラブルはあるが、大きなトラブルもなく武芸大会は順調だ。領民参加の種目は年々白熱している。
勝ち上がると褒美がもらえるというのが大きいんだろう。とはいえ勝ち上がるためにはどうすればいいのか。領民も考えてくることが面白い。
ただねぇ。白熱していることもあり、男女共に上半身裸でやる人がいるのはどうかと思う。単純に着物って運動に不向きだから動きにくいとか、汚さないためとかそんな理由だろうが。
不思議と卑猥さとか色気はない。それが当たり前であるからだろうか。
まあそれがこの時代の文化であり常識だ。楽しんでいる人たちに元の世界の価値観を押し付けるのは良くないし、絶対必要なことでもない。オレたちも受け入れるべきところは受け入れる必要がある。
「あっ……」
あーあ、真柄さん、負けちゃった。二回戦を勝ち上がり、三回戦は知らない人が相手だったんだけど。あの人誰だ?
「陰流の愛洲宗通殿か。順当だな」
「陰流ですか?」
誰だと対戦表を見ていると相手を教えてくれたのは菊丸さんだった。初日と二日目は貴賓席にいたが、今日はあちこち歩いて楽しんでいるらしく、さっき顔を見せに来たんだ。
「久遠殿も知らぬことがあるか。北畠様の推挙で出たという者だな。父親の愛洲久忠殿が陰流を開いたと聞いたな。名が知れた武芸者だぞ」
陰流と愛洲宗通は知っている。名前くらいなら。ただ出ていたことにびっくり。具教さんが強い人を連れてきたと自信ありげにしていたけど、あの人のことか。
菊丸さんはオレが知らなかったと勘違いしたらしく、少し嬉しそうに教えてくれた。知らないことは結構あるんだけどね。
真柄さん、強いんだけどまだ若いしね。ジュリアも勝ち上がるのは厳しいと言っていたが。まさかそんな人と当たるとはね。
「今年は名が知れた人が多いですね」
「武芸者と一言に言うても、明日をも知れぬ暮らしを好む好まぬはあるからな。腕試しとあわよくば立身出世を狙う者は多かろう」
菊丸さん、すっかり武芸者視点になっちゃって。そう言えばすずが騒いでいた奥平定国さん。政秀さんが偶然出会って屋敷に泊めているって言ってたっけ。どうも文無しに近い形で来ている他国の武芸者が結構いるらしいんだよね。
「うーん。来年はなんか手を打つ必要がありますね」
昨日政秀さんとちょっと話したが、本選出場者は来年からは専用の宿でも用意したほうがいいかもしれない。
ここのところ領内では、他国からの牢人や武芸者が多くて少し騒ぎを起こす人が増えているんだよね。
少し話が逸れるが、現在、織田領で税を取っている関所があるのはごく一部の飛び地は別として、あとは津島、熱田、蟹江、矢作川、関ケ原など領境になっている。基本的に領内に入れば税を取られることはない。
ただ関所の数はそこまで減っていなく、津島、熱田、清洲や大垣などでは以前は税を取っていた関所が街道に残っていて、人検めの関所になっている。
人の流入が増えていることで治安維持と入国管理を強化した結果だ。領民のモラルは徐々に向上しているが、当然ながら織田領を出ると戦国乱世だ。流民や牢人は貧しく飢えていることも多く、犯罪に手を染める人も決して珍しくはない。
また行商人の関所破りも結構ある。一度で多額の税を取る分、領内に入ると税を取られない現行の仕組みは、一度関所破りをするとあとは楽になるというマイナス面もある。
もっとも関所破りなんかした行商人が領内でまともな商いが出来るはずもなく、大半は捕まるのだが。関所では通行手形を出しているし、それがない人からは買わないようにと領内に通達を出している。
あまり利益にならない村なんかにも忍び衆の行商人を派遣しているしね。目安箱もあるので通報してくれる人も増えているんだよ。
問題は武芸者とか牢人だ。税を払えないからと関所破りで来る人が結構いる。こちらもまともに町に入るには関所の手形が必要なので町には入れていないが、賊になることも多い。
経済発展と共に不特定多数の人が集まると、どうしてもそういう問題が起こる。特に織田領は交通の要所をほとんど支配しているからね。
まともな武芸者や牢人とそうでない人たちは、今後分けて対応するように検討が必要だろうな。
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