第882話・第五回武芸大会・その四
Side:真柄直隆
世の中がこれほど広いとは思わなかった。武芸者は多く見てきたし、手合わせも幾度となくしてきた。それで世の中がわかった気でいた己が恥ずかしいとさえ思う。
「楽しそうですね。若」
「ああ、あいつも強かった。次やれば多分こうも容易く勝てんはずだ」
本選の初戦は勢いで勝った。むしろ勢いで勝たねば苦戦していただろう。でかい体であるが気合で負けたらオレに勝ち目はねえ。
「それにしても凄い賑わいでございますね」
次の試合は明日だ。遅れれば不戦敗になると言われたが、それまでは好きにしていいとのこと。家臣らが周囲を見たいというので少し歩いてみるが、越前では見たことがないほどの賑わいだ。
「宗滴のじじいが死期が迫って気が弱くなったなんて話も怪しいな」
ふと越前での噂を思い出した。宗滴のじじいがかつて越前を治めていた斯波武衛家に頭を下げたようで、何事だと怒っている奴らが朝倉家中にいるんだとか。本人に面と向かって言えぬ奴ほどそんなことを騒いでおると聞く。
しばらく会ってねえからまさかとは思ったが、思い過ごしだったらしいな。
「そうなのでございますか?」
「これだけ集まっている人で攻めてこられてみろ。面倒なことになるぞ。織田は一向宗とも通じているんだろ? 美濃と加賀から攻められるぞ。宗滴のじじいはひとりしかいねえんだ」
宗滴のじじいがあまりにも戦に強いんで朝倉家中じゃ勘違いしている奴が多い。戦に強いのは宗滴のじじいであって、朝倉じゃねえ。いつまでも隠居をさせねえで働かせて、いい気になってやがる奴らが越前にはあまりに多い。
「それに……強い奴がごろごろいるんだ」
ふと気付くと派手な格好をした男が、旅の牢人崩れのような男と対峙しているところに出くわす。
「あいつも強いな」
絡んでいるのは牢人か。派手な男は何者だ? 結構いい着物を着てるじゃねえか。見ただけで強いのがわかる。絡む牢人と面白げに対峙しているが、あいつは牢人じゃねえだろ。
「ちょっと爺さん、なにがあった?」
「うわっ、あんたデカいな。いや、武芸大会に出られないことが不満な牢人が暴れていたところを、慶次郎様がお止めになったんだよ。たっく、予選に来ねえ奴に限って暴れやがる」
「慶次郎といえば、まさか今弁慶殿か?」
「おおよ。久遠様のところの滝川慶次郎様だ」
あー、ありゃ牢人風情が勝てる男じゃないな。オレでも勝てんかもしれん。武芸大会に名がなかったので噂だけかと思ったが、随分と酔狂な格好してこんなところにいるなんてな。
牢人は三十を超えておるくらいか。年端もいかぬ慶次郎に軽くあしらわれたことに怒り刀を抜いた。
「刀は抜くなと言っただろう?」
慶次郎はニヤリと笑みを浮かべ、刀も抜かずに自ら一歩踏み込むと斬りかかる男の腕を掴み、あっさりと刀を奪うとそのまま牢人を投げ飛ばした。
「おおっ!!」
更なるどよめきが起きたのはそのまた向こうだった。
あの小娘も強い。まさかあれが噂の今巴か?
「まったく、牢でたっぷり反省するでござるよ」
周囲の民がどっと沸いてやがる。よくあることらしいな。小娘は供の者に牢人を引っ立てていかせると慶次郎とやらと談笑してやがる。
「今弁慶殿とお見受け致す。某、越前は真柄の国人の真柄十郎左衛門直隆。ひとつ手合わせ願いたい」
本選に出ている連中より強そうじゃねえか。
小娘は今巴ではなかったが、噂の久遠の女で間違いないらしい。さすがに手合わせなんて頼めねえが、男の慶次郎ならいいだろ。
見ちまった以上は手合わせしたい。
Side:久遠一馬
武芸大会で止めた種目もある。水練と操船だ。水練は単純に水が冷たいことと、慣れない人が参加して流されそうになったことが何度かあり止めている。
操船は清洲の近辺では難しく、義統さんとか信秀さんが見物するには蟹江か熱田で別日を設けてやることになるが、陸上種目の充実と共に日程的に厳しくなり中止となった。
操船は蟹江の海祭りでやってはどうかという話になっている。
日程もだいぶ変わったね。初日は各種競技の一回戦から始めて、最終日に決勝とかをやる日程だ。
そんな初日も午後の半ばになると、会場では馬術の一回戦となる。単純にスピードを競う競馬と流鏑馬、それと流鏑馬と同様に的を槍で突く馬上槍だ。
この三種目は武士限定だ。そもそも馬自体が餌代とかで結構お金が掛かる。それに馬に乗れるのは一定の身分のある武士というのがこの時代の常識だ。ウチの関係者は武士以外も乗っていたりするが、あくまでも久遠家だからということでお目こぼしをしてもらっている形だし。
ただ、この競技も見栄えがいいので領民には人気なんだよね。この時代ではあまり流行っていなかった流鏑馬も、尾張では武芸大会の種目として練習している武士がいるくらいだ。
そうそう、今年の運営本陣には信長さんの弟である勘十郎君と斎藤義龍さんに松平広忠さんがいる。勘十郎君と広忠さんは武芸大会の運営の勉強の一環だ。これも織田家では必須の知識となりつつある。
審判は今年も信光さんだ。あの人が審判をしていると誰も文句が言えない。むろんひとりじゃない。数人で審判をして審判長が信光さんなんだ。
「ああ、本多殿。これに出ていたんだ」
会場で馬上槍が始まると本多忠高さん。史実の本多忠勝の親父さんが出ている姿が見えた。
「はっ、殿から是非出るようにと命じられまして」
「本多殿は忠義も厚く強いらしいですねぇ。春たちが感心していましたよ」
勘十郎君はすっかり文官仕事に慣れていて、オレがすることがないくらいだ。ただ、広忠さんは相変わらず表情が硬い。義龍さんは気持ちがわかるのか、結構気に掛けてあげているし、オレも声をかけているんだけどね。
あと信秀さんは松平とか吉良などの新参の三河衆に、率先して武芸大会に出るようにと命じていた。参加することに意義がある。織田家の重臣だったり一族に勝っていいのかとか遠慮したりする人もいるし、負けたらお家に傷が付くとか考える人もいるからさ。
余計なことは考えずにおもいっきりやれと命じたんだとか。
「恐れ入りまする」
オレって、そんなに怖いかな? 緊張して硬い表情の広忠さんにちょっとショック。竹千代君とは普通に談笑するくらいの友達なのに。話聞いていないのかな?
「そういえば岡崎も城を直すとか。関ケ原のように堅固な城にするのでございますか?」
「いや、岡崎はそこまでしないよ。あそこで籠城するくらいなら安祥まで退いたほうがいい。松平殿が安心して暮らせる城は必要だけどね。北美濃と東美濃とは違う。西三河はそれよりも矢作川の治水を優先する。松平殿も覚えておいて。城なんて放棄していい。命さえあればすぐに取り返せるから」
会話が続かないなと困っていると、義龍さんが会話に加わってくれた。どうもオレの意図を悟って話を広げてくれたらしい。いい人だなぁ。
ただ、広忠さんはびっくりしている。城の放棄なんてこの時代だと恥だと考える人もいるし、領地を失うと死を意味するからね。まあ実際に放棄するには信秀さんの命令が必要だが、松平一党で籠城するくらい戦えない時は素直に退いてくれて構わない。それくらいの責任はオレが持つ。
「敵を勢い付かせるだけではありませぬか?」
「松平一党で手に負えないなんて今川くらいでしょ。今川は大丈夫だよ。海では今川も敵じゃない。水軍には久遠船がだいぶ増えたしね。岡崎を易々と攻めるなんてさせないから。むしろ矢作川の辺りまで引き込んで、早期に決着を付けたほうがいいかもしれない」
広忠さん。前線で使い潰されるとでも考えていたのかな? 恐る恐る意見を口にするも、説明すると更に唖然としちゃった。
残念。賦役で働かせることはあっても貴重な労働力を使い捨てになんてしない。それに広忠さん、どうも制海権を握る意味をあまり理解してないらしい。
「あっ、本多殿二回戦に進んだね。おめでとう」
ちょっとずつでも慣れてくれるといい。領地は減るが後悔はさせないから。
彼はあまりに境遇が厳しすぎた。史実の徳川家康の父親だからね。結構期待しているんだよ。三河一国を支配するのは無理だが、将来的に何処かの一国の代官くらいならあり得る。
頑張ってほしいね。
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