第878話・最後の機会

Side:久遠一馬


 武芸大会が間近と迫り、尾張はすっかりお祭りムードだ。


 ちょっと前に野分で被害が出たとは思えない賑わいで、主要な町には領内外から早くも大勢の人が集まっている。調べたわけではないが、人出は年々増していると思う。


 領内の関所廃止の効果がじわじわと出ている。領民ならば頑張れば武芸大会とか花火大会を見に来られる。そうすることで尾張だ美濃だ三河だと他国意識があった地域が、ひとつの国として感じるようになっていると思う。


「なかなかやるね」


「ふふ、そうよ。みんな考えているものよ」


 メルティと一緒に屋敷で仕事をしていると、面白い報告が上がっていた。関所廃止で税を失った寺社だが、旅人の宿泊施設として中には関所より儲かっているところもあるようなんだ。


 関所なんて街道沿いでないとたかが知れているからね。


 地域で一番立派な建物が寺社だというところも多い。もともと箱物があるだけに、旅人を泊めてご飯を出してお布施を貰っている。旅ということで少し贅沢をして、酒やら手の込んだ料理を出せば評判になる。


 街道から少し離れていても人が集まる寺社もあるとか。


 もともと武芸大会や花火大会では領民の宿泊施設として寺社が使われていたが、一年を通じて旅籠はたごのようになっている寺社まである。


 あと紙芝居とかも寺社で真似しているところがあるんだよね。絵師は尾張にいる。彼らに頼んで紙芝居を作り、近隣の領民や旅人に見せているらしい。中には説教臭いものもあるらしいが、楽しめる物語としての紙芝居も結構ある。


「たくましいよ。さすがは乱世で生きる知識人だ」


 寺社の旅籠のモデルケースとなったのは、津島や蟹江や熱田にウチが出資して出した旅籠らしい。もとは忍び衆の仕事のひとつとして建てたんだが、可能な範囲で元の世界であったサービスをするとか、ちょっといい料理を出していて評判がいい。


 ウチのやっていることを注視して真似る寺社は、さすがだと思うね。領民が新しい商売をやるには資金もノウハウもないが、寺社はそれがあるからね。


 まあ、商売敵となる寺社同士が揉めるなど、荒れている時代なりの問題もある。とはいえ飢えて近隣を襲うことに比べたらマシだ。




「久しいな。息災であったか?」


 そしてとうとう菊丸さんが戻ってきた。塚原さんと一緒に清洲城に挨拶に来たとのことで、急遽オレもジュリアと一緒に会うことにした。そんなに時が過ぎていないのに一段と逞しくなった気がする。将軍様らしさは失われたけど。


「はい。菊丸殿もいい旅だったようで」


「尾張が一番よいな。あとは何処も似たり寄ったりだ。関東だと北条が一番落ち着いておったぞ」


 あまり時間がなかったので遠くには行けなかったらしいが、塚原さんが可能な限り世の中を見せてやりたいと旅に連れ出してくれたらしい。


 楽しいことそうでないこと。いろいろあったようだ。将軍として聞く報告と実際に武芸者として見る景色は、まったく違うだろう。


 菊丸さんたちのことも丁重に扱ってくれるところもあれば、下男だろうと馬鹿にしたようなところもあったらしい。塚原さんに対してもその実力を疑い、己の自慢ばかりする人がいたりと、決していいことばかりではなかったようだ。


 それがこの時代なんだろう。尾張を基準にするのはどうかと思う。


「実はちょっと困ったものが手に入りました。大内家が所有していた日本王印と勘合符です」


 菊丸さんの話が一段落すると、こちらから報告することにした。それにはどちらかと言えば与一郎さんのほうが驚いている。


「困ったものか。陶など血眼になり探しておるというのに。そなたが使いたいのなら命を下してもよいが……。そのような言い方をするということは使えぬのか?」


 菊丸さんの顔が将軍に戻る。オレの言葉と表情から、あまり愉快な話ではないとすぐに気付いてくれたらしい。成長したなと思う。


「はい。当家はすでに密貿易をしていますので。明に素性が知られるとあまり良くありません。かつて細川家と大内家がこの勘合符の争いで明にて騒動を起こしました。あの件と倭寇のこともあり、明で日ノ本は評判があまり良くありませんので」


「ああ、そんなこともあったらしいな。それにしても勘合符か。あれは三代義満公が始めたが、四代義持公が止めたこともあったはずだ。あまり知られておらぬが、明に従属するというものだからな。昔から良いのかという話はあったそうだ。そなたの立場だと面倒なだけか」


 菊丸さん、悩む間もなくオレにくれようとした。予想はしていたが驚くね。とはいえ正式に報告がされる前に、こちらの事情やら勘合符に関して説明しておかないといけない。


 少し驚いたことは菊丸さんが勘合符のことを意外に詳しいことか。どうも将軍家再興のために調べさせたことがあるらしい。


「はい。あちらは有史以来、幾度も国が興っては滅んでおります。さらに過去には大挙して日ノ本に攻め寄せたこともあります。深入りするのは危ういです。こちらとしては勘合符と日本王印は上様にお返しするべきだということになっております」


「時を経て、勘合符と日本王印が足利家に戻るか。されど、あれはすでに余にとっても厄介なもの。そなたらもわかっておるようだがな」


 菊丸さんの表情が優れない。勘合符と日本王印があればと思ったこともあるんだろう。とはいえあれを使うのはリスクも大きいことも承知の上か。


「義満公ほどになれば使えよう。されどすでに余の命など聞かぬ者が多い乱世だ。誰に任せても憂いとなりそうだ。六角や三好もどこまで信じてよいのやら。そなたらのように世の安寧を願う者ならば使わせてもよいが」


 なんとも言えないんだろうな。与一郎さんとふたりそんな顔をしている。


「将軍として足利家を立て直すのなら、最後の機会かもしれないよ」


 言葉が途絶えると、ずっと無言だったジュリアが口を開いた。やはり気に入っているんだろうね。ひとりの人として。


 そう、足利幕府を再興するには最後の機会になるのかもしれない。


「関東、越後、信濃と旅をして思うた。どこも貧しく争いが絶えぬ。田畑などあちこちで荒れ果てておるが、誰も耕そうとしておらぬ。武士も奪い争うことばかりで守護などその役目すら覚えておらん。すべては代々の将軍の不徳の致すところであろう。それに三好と六角とて、いつ勝手をするかわからん。過ぎた時に戻してもなにも得られまい」


「上様……」


 どこか遠くを見るような菊丸さんの言葉に、与一郎さんが涙を堪えるような仕草を見せた。菊丸さんも与一郎さんも悔しい思いはあるんだろう。生まれた地位を守り子に継がせるのが当然で当たり前の時代だ。


「一馬、勘合符と日本王印を知る者は、武衛と織田の者以外は大寧寺の僧と隆光であったな?」


「はい、そうですが……」


「余が会おう。労いの言葉をかけて、勘合符と日本王印のことを申し渡す。あれは大内卿の首と共に埋めてしまえばよい。大内卿に泉下まで持っていってもらう。今あれを世に出せば、必ずや争いとなろう。それを止める術のない余が使うてよいものではない」


 それがいいかもしれないね。理想と現実。菊丸さんは……、いや、義藤さんは将軍として確かな目と実力を持っている。


 惜しいな。生まれる時が違えば、さぞいい天下人になっただろう。足利家の積み重ねた業が義藤さんの器を超えるのが残念だ。


 でも、これで足利家と義藤さんは新時代に自ら居場所を作ったのかもしれない。


 それを無意識ながら理解している気がする。





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