第877話・結局はそうなる
Side:久遠一馬
歴史とはいかに難しく奥が深いか。目の前の勘合符を見て改めて思う。オレたちも想像もしていなかったことだ。
「公方様にお返しするべきじゃと思うが、いかが思う?」
「某はそれで構いませぬ。久遠家の商いだけでも
「拙僧もそれで構いませぬ。大内家は終わったのです。お返しするのが筋かと思います」
そのまま隆光さんから勘合貿易について軽く説明があり、最後は義統さんが周囲を見渡し意見を口にした。
信秀さんは損得勘定から手に余ると理解したのか、手放すことに異論はないらしい。隆光さんも自身で使う気はないようだ。大内家の後継を目指せる立場にあるんだけどね。
「当家としては今の密貿易で十分です。また大陸は油断ならぬ相手。深入りは思わぬ面倒事を招きかねません」
そしてオレはホッとした。商いじゃないので儲かることは確かなのだろう。とはいえ足利家の利権をウチが使えば、どう考えても貿易の独占に見えて恨まれる。
ウチが現状で叩かれないのは、すべて独力でやっているからだ。その前提が崩れるのはマズい。
「いっそ大寧寺で燃えてくれた方が良かったな」
そのまま隆光さんが下がると、義統さん、信秀さん、オレとメルティの四人になった。信秀さんは勘合符を見ながらなんとも言えない顔で呟いた。
先の理由から斯波、織田、久遠は手伝えない。まあ明の皇帝への献上品を用意することくらいなら構わないが、あまり関わると素性がバレる危険がある。
「守護様が公方様のお立場なら如何しますか?」
「己で天下を治めんとするのなら使うかもしれんの。とはいえ先に待つのは地獄への道ではないのか? 公方様にはもう信の置ける者がほとんどおらぬではないか。素知らぬふりをして見なかったことにするかもしれんの。わしらですらよく知らぬのだ。他の者はもっと知るまい。銭欲しさに有象無象の愚か者が押し寄せることが目に見えておる」
ふとオレは義統さんに勘合符について意見を聞いていた。知りたかった。高貴な身分の人がどう考えるのか。
義輝さんも困るだろうな。オレにくれると言うかもしれないが、それは困るしね。そこは事前に説明するしかない。
六角、三好、朝倉。仮にどこかに使えと渡すことは考えられる。でもどこが貰っても、騒動にしかならないと思う。それにもらった相手が義輝さんに感謝して忠誠を誓うとは限らない。
幸か不幸か、あと数日で義輝さんが菊丸くんとして尾張に来る。その時まで秘匿するのが一番だろうね。
「凄いな。野分の被害がまるでない」
清洲城を出たオレとメルティは運動公園を見に来た。集会所や弓道場に射撃場などの屋内施設は水没しないようになっていたので無事だったが、屋外競技場などは遊水地として水没したはずだった。
にもかかわらず、その跡がまるでない。流木どころか泥や石ころすらないんだ。驚くね。
「みんな頑張ってくれたのよ。武芸大会に出る武士も率先して働いてくれたそうよ」
そうか。みんな働いてくれたのか。武闘派の武士たちが自分で賦役に参加するなんて思わなかった。自領の田畑は耕しても賦役は税の一部だという認識があることで、参加しない武士は多い。
今も近隣の子供たちだろう。競技場の周囲の石ころを拾って後片付けの仕上げをしている。
「やっぱり要らないよね。あれ」
「今の尾張だと手間と恨まれ賃で損が大きいかもしれないわね」
周囲にはオレとメルティの家臣も護衛もいる。念のため勘合符という言葉は使えない。とはいえ頭にあるのはあのことだ。
まったく使えないという代物でもない。また、使いこなす能力が無くても、陶などは喉から手が出るほど欲しいだろう。臣従という行為が軽く、氏族すら詐称する戦国武将ならば尚更。
だけどそこまでしてほしいものではない。斯波家や織田家が必要なものはウチで手に入れている。どうしても大陸からでないと手に入らないものはない。
本当、生きるって複雑で難しいね。
Side:ジュリア
「そこ、脇が甘いよ!」
ここは清洲城内にある道場。城内に勤める連中が日々鍛練を積み武芸に励むところさ。
武芸大会も近いということで、最近じゃ織田家中の出場者が手合わせにやってくることもある。
道場では現在は竹刀を使っている。この時代だと木刀が一般的だけど、あれだと怪我をするからね。ただでさえ、まともな武芸を習ったことのない武士も多いってのに。力任せと実戦で会得した経験が主流と言っても過言じゃない。
武芸を習うのも身分がいる。塚原先生クラスの剣豪ともなれば特に。町で道場を開いて広く門弟を集めて教えているところもあるけど、尾張だと半農の武士がほとんどだからね。大半は自己流がいいとこさ。
無論、それが悪いわけではない。勝てばいい。それに尽きる。武道というより生きるための術なんだからね。
とはいえ武芸大会にはルールがあって、力任せの殺人術とはまた違う。勝ちあがるには技が必要なんだよ。
「あら、若様。珍しいね」
若い衆を中心に武芸に励んでいると若様がやってきた。
「オレも一緒に頼む。役目とはいえ座ってばかりだとな」
さすがに周囲も手を止めて控えるが、若様はすぐに続けろと言うと自身も鍛練をしたいと竹刀を握る。
清洲城だと座卓で仕事しているからねぇ。机と椅子を作らせたほうがいいかもしれない。文官衆にも定期的に休憩を挟んで体を動かすように言っているが、仕事が立て込んでいるからね。
「アタシが相手するよ」
控えている家臣に防具を持ってこさせる。男衆の中には防具抜きでいいという奴も多いけど、アタシは流石に着けている。そうでもしないと相手が本気で誰も打ち込んでこられないというのが理由だけどさ。偉くなるのも面倒なことだよ。
「……参るぞ」
「いいよ」
さっと道場の中央が開く。アタシの前に立った若様は防具を着けていない。遠慮なしなんだけどね。痛みがないと覚えない。そう考えているらしい。
両手で握った竹刀を振りかぶると一気に距離を詰めてくる。さすがにまともな武芸を習っただけあって、そこらの自己流の連中とは違うね。
でも……。
「おおっ!」
間合い。武術において重要な要素のひとつ。悪いけど間合いの掴みが少し甘い。数センチもない。その間合いのズレが付け入る隙となる。
竹刀をかわして返すように小手を打ち込むと周囲から声が上がった。
「うむ、やはりいいな。ジュリアとやると斬られると感じる恐ろしさがある」
若様は僅かな時で汗を流していた。身体能力を人に合わせてセーブする分だけ技量は遠慮出来ないからね。それにこの時代に来て学んだこともある。
命を懸けた戦い。それはアタシもこの時代に来て学んだことさ。本当に斬る心意気で打ち込んだ。若様はそれを求めるからね。
すでに先陣を切れる立場じゃない。だけど先陣を切るような気持ちにはなりたいらしい。武士として生まれ育った若様のこだわりなんだろう。
「先ほど一馬とメルティが珍しく慌てた様子で親父のところに馳せ参じておったが、なにか知っておるか?」
何番か手合わせをすると若様は竹刀を置き、少し気になる様子で司令のことを口にした。
「さてね。今日はずっとここにいるからね」
なにかあったのか? ほんとに知らないよ。まあメルティがいるんだ。問題はないさ。
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