第875話・歴史にも残らぬ結末

Side:夏


 荒川領の襲われた村に入った吉良家の家臣から報告が届いたわ。


「幼子らは逃がしたようで隣の村におりましたが、年寄りは殺されております」


 村に残っていたのは、賦役に出られないほど体調が優れないお年寄りと乳飲み子とその母親くらいだった。賦役は参加するだけで食事と報酬が出ているわ。それこそ女性やお年寄りだっている。それに参加出来ないということは、よほど体調が良くないということ。


 なんて非道な……。


 乳飲み子の母親は幼子らを連れて隣の村に逃げたようで無事だったみたい。満足に動けぬお年寄りに逃げろと言われて逃がされたと証言している。同行している医師の冬に怪我人の手当てを頼み、荒川領の住民を避難させる。


「大久保殿。松平勢は裏に回って。逃げ出すまで動かないで。もし逃げ出して抵抗したら遠慮なく討ち取っていいわよ」


「はっ」


 私にはそこまで土地鑑はない。土地鑑のある吉良家の者は住民を避難させるのに回した。あとは同じ三河者の松平宗家の家臣たちに東に逃げる街道に回ってもらう。


「先陣は我らに!」


 住民を避難させて戻った吉良家の者が血気盛んな様子で声を上げたわ。彼らも必死なのね。でもこんなところで味方に被害を出すなんて馬鹿らしいわ。


「先陣は不要よ。始末は中にいる者たちにしてもらうわ」


 富永殿にとって相手は仇。討たせてあげたい気もする。でも彼らに教えてあげないといけない。人心を得ない統治などこれからの時代はあり得ないということを。


「これは……」


「あなたがそれを伝えなさい。あなたの口からなら信じてくれるはずよ」


 荒木城が見える位置までくると富永殿にひとつの仕事を命じる。


「城内の者に告ぐ。今すぐ荒川の者らを捕らえて出てこい! 殺しても構わん!! 最早誰も己らの味方はおらんぞ!」


 念のため矢盾を持たせた兵を護衛にして城に近づいた富永殿が、城内の者たちに命じる書状を読み上げたわ。


 気が短いのか、すぐに怒りの様子で城の板塀の上に武士が姿を現して矢を放ってくる。


「弓を……」


 私は久遠家家臣から私専用の剛弓を受け取ると、そのまま二射目を放とうとした誰かさんを狙い弓を引く。


「おおっ!」


 私の放った矢は綺麗な弧を描き、敵に命中した。


 そこまで前線に出てないので少し距離があったけど、この程度なら朝飯前なのよ。戦慣れした三河者も驚いてくれたようね。


「焙烙玉を投げこんで」


「はっ」


 もう少し脅してあげましょう。金色砲はないけど焙烙玉なら小型のものがあるのよ。縄で持ち手を付けた焙烙玉を振り回して城内に投げ込む。


「このまま一気に攻め込みましょうぞ!!」


「落ち着きなさい。こんな相手に犠牲を出すなんて無駄よ。すぐに中で終わるわ」


 爆発音と中から混乱するような声がする。吉良家の者を筆頭に攻め込むべしという声が多数出るけど、もうその必要はないわ。


 ほら、中から争う声と音がすぐに聞こえ始めた。


 そして首を槍の先に括り付けた者が、中から出てくるまでにたいした時間はかからなかったわ。


「こんな相手の首を取っても恥ずかしくて言えないわ。いい、味方にいかに犠牲をださないようにするか。それが大切なのよ。民の支持、人心を失った者なんて戦も出来ないの。忘れないで」


 武功の機会を得られなかったからか、多少不満そうな吉良家の者たちに言い含める。こんなところで首を幾つとっても大殿は評価などしてくれないのよ。


 それに民はあなたたちの持ち物でも家畜でもない。そろそろ理解してくれないかしらね?




Side:久遠一馬


「荒川……?」


 元の世界で昔、同じ名前のフィギュアスケート選手がいたことを思い出す。織田の系譜の選手と違って、連想されては迷惑だと、怒られるだろうけど。


「東条吉良の先代の弟の一族でございます」


 三河で捕縛に行った兵に抵抗して夏に討伐されたと報告がきたが、誰なのかすぐにはわからなかった。さすがは資清さん。知っていたみたいだ。


 しかし、逃げるわけでもなく無計画に抵抗するってどうなんだろう。大人しくしていれば新天地で生きていけたのに。


 まあそれはいいとして、塚原さんから武芸大会を見物しに来ると連絡が入った。今は信濃あたりにいるらしく、そのまま美濃に入って尾張に来るとのこと。菊丸さんを連れて関東と越後を経由して信濃に入ったらしい。さすがに甲斐は避けたみたいだね。


 武芸大会の準備は順調だ。ジュリアなんて武闘派に稽古をつけてやるのに忙しいほど。


蟄居ちっきょ出来れば、もう少し楽だったんだけどね」


 野分の後始末とかで忙しい日々も一段落した。実は先日、信秀さんに野分の際に勝手に兵を集める命令を出したことが分国法違反ということでオレは自ら蟄居したいと申し出たが、駄目だと言われたんだ。


 法治体制という概念は信秀さんも理解してくれている。とはいえ分国法の運用は未だに柔軟にしている状態であり、違反行為もまあ時々あることだ。その都度、違反した原因を考えさせて同じことは繰り返さないように指導している。


 そもそも分国法は守るというスタンスだが、緊急時は別だと信秀さんは考えるらしい。


 オレとしては久遠家でも分国法に違反したら罰を受けると示すのもいいかと思ったことと、ちょっと休暇の意味もあって蟄居を申し出たんだけどね。


 信秀さんからは、分国法よりも久遠家と織田家の関係に傷が付くほうが後々に困ると言われてしまった。さらに分国法違反で罰を受けるなら、信秀さん自身が先例を示すべきではと言われてしまうとね。


 武芸大会が終わったら休んでいいとは言われたんだけど。


「無理でございましょうな。殿のことをあの一件で見直したと評判でございますれば」


 資清さんはオレの気持ちと考えを理解しつつ苦笑いしている。意図しなかったことだが、何故かあの一件でオレが評価された。強引さというか強さというものが評価されたとは。


 元の世界でもあったことだけどね。リーダーシップがあり強いトップが評価されることは。とはいえオレがしたのは元の世界では当たり前の危機管理なんだけど。


 正直、オレは自分がそこまで評価されたいとは思ってない。大したことしてないし。あくまで提案と調整をしているだけだ。


 そういえば三河でもオレが評価されていると報告が上がっている。行方不明者を探す人たちを放っておけなくて一緒に探していただけなんだけどね。


 人として当たり前のことをしただけなんだけど。三河武士、どんだけ酷いんだ。


「殿、大寧寺の者らはいかがいたしますか?」


「迎え入れるしかないと思う。わざわざ訪ねてきたんだ」


 人に評価されるというなんとも難しいことに少し悩んでいると、一益さんから一つの案件を問われた。


 大寧寺。周防の隣の国、長門にある寺だ。大内義隆さんが自害した寺。燃え盛る大寧寺から冷泉隆豊さんこと隆光さんが義隆さんの首を抱えて、陶の包囲を脱出する場面は、最近の紙芝居で一番人気だという。


 織田領だと陶隆房は土岐頼芸と並ぶ悪者として有名だ。


 その大寧寺のお坊さんたちだが、集団で関ケ原に来ていると報告が上がっている。どうも陶隆房に追放されたらしい。


 まったく行き場がないというわけでもないんだろうが、義隆さんの菩提を弔いたいと関ケ原まで訪ねてきたと言うんだから驚きだ。


 商人や職人ばかりでなく、お坊さんまで来るとはね。個人的にはこれ以上、寺を増やす必要はないと思うが。


 まあ困っている人を見捨てるのもね。





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