第874話・時世が読めない者

Side:滝川資清


 領内では稲刈りも終わり、年貢として得た米を各地の城にある備蓄米と入れ替えておる。


 驚かれるのはあれだけ野分で被害が出ておきながら、領内では飢えるどころか米の値がほぼ変わらぬことだ。


「取れ高は例年と変わらぬか」


 狐に摘ままれたような話だ。清洲城の文官ですらそう笑うておる。被害を勘定すると野分が来ねば、米は例年の二割から三割は多く採れたという。しかも今後はそれが続くというのだから驚きだ。


 一方、他国では米の値が上がっておる。大勢が飢えるほどではないと知らせが届いておるが、商人とはそういうものだからな。隙あらば儲けを出そうとする。近隣だと北伊勢、中伊勢に東三河は米の値が高い。


 湊屋殿から、領外への米を売ることについて指示を仰ぐ書状が届いておるな。今のところは野分の直後に織田家で米を領外へ売ることを禁じたままだ。売るにも考えねばならぬことがあるからな。何処に如何程いかほどの量をいくらの値で売るか。これは殿に具申いたして評定にかけねばなるまい。


 甲賀も苦しいところがあるようだ。また働き口を求めて来る者が増えるな。仕事を用意してやらねばなるまい。これは出雲守に頼むか。


「父上、飛騨からの者のことでございますが……」


「ああ、存じておる。職人は那古野で、それ以外は美濃の賦役で使う手筈になっておる。不届き者も出よう。しばらく見張りを付けろ」


 そうそう、飛騨の姉小路家から職人と賦役の人足が来ることになった。当初は職人だけのつもりで話をしておったが、あそこも暮らしが楽ではないらしい。冬場に働き口があるならばと賦役に民も出すとのことだ。


 この件は清洲の文官の役目なれど、殿にも報告が上がってくる。織田家の政は未だに殿とお方様がたが担っておるからな。わしは殿とお方様にあげる報告をまとめるのも役目。


 わしと倅の彦右衛門はすっかり文官と変わらぬ役目になってしまったな。彦右衛門など戦場で武功を挙げたいと言う暇すらないほどだ。


「ふむ、やはり北近江三郡でも不穏な者がおるか」


 次から次へと舞い込む書状を片付けておるが、気になった内容に手が止まった。関ケ原のウルザ様からの文だ。


 六角家が公方様を軟禁して好き勝手しておるという噂が流れておるらしい。しかもそこに管領職を狙う守護様が加担しておると言うのだから、誰が流した噂か考えるまでもないな。


「織田憎し久遠憎しで乱心しましたか?」


「さてな。いずれにせよ、ここまでくると六角家としても座しておれまい」


 近頃、文官として働いておる水口殿が呆れたように問うてきた。


 わしにも真意はわからぬが、動いておるのは三雲一党だ。これは内通しておる者から知らせが届いておる。背後におるのは管領の細川か? ここまでやると六角家への謀叛だと疑われてもおかしゅうないぞ。己を重用せぬ主家など不要ということか?


 危ういな。万が一の際には内通しておる者らを救う術もそろそろ考えておくか。六角家に話も通す必要がある。殿にはすぐにも、お知らせ致すか。




Side:夏


「時勢も読めないのかしら?」


 矢作川東岸の賦役の現場で働いていると、ちょっと困った報告が届いたわ。


「荒川殿は先々代の東条吉良家当主の子種と聞く。先代が東条吉良家を継いだ際に西条吉良の家臣である荒川家を継いだとされるが、東条吉良家は己のものだと常に吹聴しておったと聞く。東西の和解と合一ごういつも反対しておったとか。恐らく東西の争いを煽っておったのであろう」


 荒川義広。東条吉良家の先代当主の吉良持広の弟。東条吉良家の本来の血筋であるが、東西和解の目論見もくろみで、吉良義安殿が持広の養子として東条吉良家に入ったことを快く思っていなかった男よね。


 過去には今川義元と通じていて、実の兄である吉良持広と富永忠元殿の父である忠安殿を討っている。


 その後は今川が西三河から手を引くに従って、吉良家に臣従したとも独立していたとも受け取れる動きをしていたものの、大殿に吉良家家臣として先日清洲に呼び出された。因幡守殿も言う通り、この男は東条吉良家と西条吉良家の対立を煽っていたようなのよね。


 東条吉良家の本来の血脈ということで、義安殿もだいぶ気を使っていたことが仇となっていた男というとこかしら?


 しかもこの男は大殿の命令を無視した罪で打ち首が決まっていて、現在は清洲城の牢にいるわ。この男の息子と家臣はその連座で家名と領地の召し上げが決まったけど、それに不満を爆発させて捕らえに行った織田の兵を奇襲して追い返したのよ。


「夏、任せるわ。討ってもいい」


「お待ちくだされ! あの男は先代様と某の父の仇! 是非、我らにも出陣の下知を!!」


 春は呆れた様子で討っていいと告げて賦役に戻ろうとしたけど、そこで吉良家の家臣である荒川家のことなので同席していた富永忠元殿が声を上げた。


「戦になんかならないわよ。だから武功にもならない。それでもいいの?」


 春は因幡守殿をちらりと見るが、因幡守殿は任せるつもりらしく口を挟まなかった。戦など経験がないと言っている人だものね。武功も欲しいとは思っていない、この時代の武士としては少し変わった人。


 もっとも元守護代という立場もあって、あまり目立つと大殿に目を付けられるのを恐れてもいるようだけど。


「……戦にならぬのでございますか?」


「この知らせ。誰が持ってきたと思うの? 荒川家の領民よ。戦だなんて騒いだ時点で一揆になって終わりね」


 戦になるなら安祥城に知らせる必要がある。でもそこまでいかないものね。荒川領の領民だって賦役に参加しているわ。自分たちの村が織田の敵になると考えて慌てているのよね。


 荒川一党を捕らえてくると息巻く領民もいたけど、春が抑えたわ。織田の兵に被害が出た以上は、織田一門の誰かが、陣頭に立って動かざるを得ない。


「構いませぬ。武功など求めませぬ。あの忌々しい男の一族を討てるのならば」


「いいわ。ただし勝手なことをしたら、今度こそ許されないわよ」


「ははっ」


 東条吉良家としても退けないわよね。春は仕方ないと言わんばかりに許可を出した。すぐに織田方の武士と久遠家の家臣、それに吉良家の者と共に荒川領に向かう。


 総勢は千名。戦にはならないけど、それなりの討伐にはなる可能性はある。それはいいけど、なんで将が私なのかしら?


 春は合理性を求めるから、人を立てようとかあまりしないのよね。因幡守殿が将となるなら別でしょうけど。




「申し上げます! 荒川一党、兵と兵糧を集めようとして領内の村に命じるも、拒否され、狼藉と略奪に及んだ模様。賦役で男手が減ったところを狙われたようでございます!」


 ああ、最悪のタイミングで最悪の知らせが届いたわ。


「捕らえるのでは駄目ね。荒川家の男は一人残らず討ち取るわよ。捕らえるのは女子どもだけでいいわ」


「はっ!!」


 討伐隊の大半は三河者。安祥に属する三河衆と松平宗家の者と吉良家の者。ここで下手に甘い顔をすると今後に影響するわね。


「富永殿、あなたたちはすぐに襲われた村に行って怪我人を助けなさい。手当てのやり方はウチの衛生兵を何人か付けるから、その指示通りに。敵が出てきたら下がること。米や銭は放置していいわ。あと荒川領の村から残っている人を集めるわよ。織田と久遠の名を使っていいわ。戦支度はしなくていいし、老人や女子どもでもいいわ。残さず集めなさい」


 まあいいわ。民の支持がない武士などどうなるか、三河者に教えてあげるいい機会ね。金色砲だけが久遠家の力でないことを教えてあげるわ。





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