第871話・工業の発展

Side:吉良義安


 次席に殿が座られ、上座に武衛様が入られた。しんと静まり返った部屋に弟が再び乱心せぬかと案じてしまう。


「両名とも面を上げよ」


 怯えておるようだが、それでも素直に従う弟に安堵した。こんな弟でも失いたくはない。


「難儀をしたの。吉良殿。わしもそなたらのことを笑えぬ。内匠頭がおらねば立場が逆であったかもしれんからの。されどな、命あることは感謝せよ。内匠頭でなくば、そなたら兄弟はここにおらなんだはずだ。後の憂いとなるかもしれんのだからな」


「はっ、終生忘れぬように致します」


 ぱちりと扇子を閉じた武衛様は我らを諭すように語り始めた。その言葉に弟の顔色が悪くなる。吉良家の家柄を考えぬとは言わぬが、ちゅうせられても、所詮は公方様か幕臣かは知りえぬが幾許かの揶揄の後、奉公忠勤の求め、つまりは銭の無心で済むだろう。それはわしにもわかる。


「わしが許せぬと思うのならば超えてみるがいい。野心を持つことは大いに結構だ。いずれ織田を超えて天下をと思うのならば、武芸を磨き、学問に励み、世を知れ。だが心せよ。愚かに世を乱すだけになるのならば、そなたらの命ないと思え」


 続けて語る殿の言葉に、まるで抜き身の刀でも突きつけられたような気がした。


 天下か。酒の席でよく家臣らが話しておったな。世が世ならば吉良家は公方様に次ぐ立場なのだと。夢のまた夢だというのに。


「畏まりました」


 これ以上の恥の上塗りだけは避けねばならん。名門吉良家をわしの代で潰すわけにいかぬからな。




Side:久遠一馬


 秋も深まっていた。吉良義昭は出家させられて沢彦さんに預けられた。アーシャの話だとそれがベストだということだ。落ち着けば自分のせいで家臣がみんな切腹したことや、自分だけ命乞いをしたことを悔やむようになるだろうと言っていた。


 吉良家は東条吉良家が存続を許された。もっとも東条吉良家家臣は領地没収の沙汰が下り、織田家の許しあるまで領地を得ることも与えられることも禁じられた。東条吉良家家臣の領地と西条吉良家の全領地は没収。ただし、吉良家の家柄を考慮して俸禄を特別に与えられた。


 吉良家の体裁を保つために必要な分と家臣を養うことを考慮した俸禄だ。それと吉良義安さんには清洲での文官としての役目が加えられて、信長さんの下に付けられる。


 領地に置いておくと、家臣たちがまたろくなことを考えないだろうという信秀さんの配慮でもある。


 織田家では武芸大会の準備をしつつ、先の野分の反省と対策をオレたちが言うまでもなく考え始めている。


 武芸大会は、会場となる運動公園は屋外の陸上競技場を遊水地としていたことで浸水してしまい、泥や流木などの後始末をしている最中だ。


 野分の対策に関しては伝馬や伝船を設ける案が浮上している。一定の距離ごとに馬や船を用意して乗り継いでいくことで情報伝達を迅速にすることだ。ウチとか信秀さんが伝書鳩を用いていることが、少しずつ重臣の皆さんには漏れてはいるが、天候に左右されることもあるし、重要拠点から末端への伝達はやはり最後は人になる。


 それと命令書も具体的な内容に変えることを検討している。あと国人衆の家臣や一族などの末端の武士に対して、分国法などの周知徹底をさせることも検討している。


 三河に限らず末端の武士への情報伝達は今回の課題だった。特権意識があったり慣例により物事を決めたりと、悪意のあるなしにかかわらず、前例にさえ従えば己は無難に領地を治めていると勘違いしている人がなんと多いことか。


 ただ、なにか新しい試みをする時は、事後に検証と対策を考える。トライアルアンドエラーと言ってもいいが、元の世界では取り立てて珍しいことではない。とはいえこの時代ではそれすら珍しいことになる。


 織田家ではそれが出来ていることが、今回の一番の収穫かもしれない。



「うん。いい出来だね」


 この日、工業村から新しい升と物差しとおもりが届いた。基準となるものは結局ウチで用意した。工業村ではそれを複製量産して領内に配ることになった。


「同じ品を多く作る。難しゅうございますな。殿の鉄砲の出来できに打ちのめされて以来、我らの悩みでございます」


 職人頭の清兵衛さんは難しかったと苦笑いを見せた。でも量産出来たことが彼らの成長の証だろう。これで順次バラバラの升を使っている領内度量衡を統一出来る。


 升を上手く誤魔化している人は、武士、僧侶、商人、どこにでもいる。他には米や麦に一掴みの砂を混ぜるだけで、一掴みの米や麦が儲かると混ぜ物をする人は未だにいる。武士が升で誤魔化すとすると農民は混ぜ物をすることで誤魔化す。


 それが当然であり、悪意なんてない。騙し騙されるのが当然の時代だ。とはいえこれでまた一歩前進する。


「野分の時はよく頑張ったね。高炉は止まっちゃうと大変だから」


 そうそう、野分の時に工業村は徹夜で警戒と対策にあたってくれた。高炉の火を落とさないようにと嵐の最中も一晩中コークスを加え続けてくれたし、水車が壊れて、送風が止まらないようにとも頑張ってくれた。


 工業村では反射炉がすでに十基稼働していて、高炉の生産する鉄の約半数を工業村内部で製錬が出来ている。それらを守るために工業村の住人が一致団結してくれたと聞き、涙が出るほど嬉しかった。


 鉄に関してはほとんど余っていない。工業村で製錬出来なかった分は、今も原料を運ぶ大型南蛮船の帰り荷として、ウチの島に運び、工作艦で製錬して再び尾張に運んでいる。


 畿内向けの鉄の需要が大幅に伸びていることや、関東どころか奥州にすら尾張産の鉄が売られているのが原因だ。出雲などでは伝統的なたたら製鉄が続いているが、需要を満たしていない。


 鉄製品も売れている。武具は許可制にしてあまり売っていないが、鉄の農具や鍋に釜など生産能力以上に売れる勢いだ。


 領地の拡大により賦役用道具も継続的に生産をしていて、すきというかスコップにツルハシは当然として、鉄で補強した大八車も領内限定ながら需要は多い。


 工業村の周りには工業村と同規模になるほどの職人町が広がっている。おかげで近隣の村の移住と田んぼを潰したところもあるけどね。近隣の村では職人町で働く人も多く抵抗はなかった。


 以前からじりじりと郊外に町が広がっていたが、とうとう隣接する村の田んぼまで到達してしまい移住をしてもらった。町割りはこちらでしたので無計画に広がったわけではないんだけどね。


「周防を始め、西国からの職人もいい腕でございます。我らも負けぬように精進しておりますれば」


「困ったことはすぐに知らせて。無用の争いは要らないから」


 ああ、職人町を広げた原因は大内領からの移民もある。本当に多くの人が来た。とある職人なんか『周防の職人がみんな来たな』と笑っていたそうだ。


 主な技術は工業村が進んでいるが、分野によっては周防を始めとする西国の職人が進んでいるものもあるらしい。扇子や屏風などは特にそうらしく、需要もあるみたい。文化的な工芸品に関してはどうしても後回しにしていた分だけ発展していないからね。


「そうそう、硝子に関しては教えてもいいよ」


「まことでございますか! ありがとうございまする!!」


 ああ、職人町から硝子の技術を教えてほしいという嘆願が上がっていたんだ。今のところ工業村でも原始的な硝子玉を作るくらいの技術しか教えていないが、どうも工芸品を作っている人たちの目に留まったらしい。


 念のため信秀さんに確認を取ったが、元がウチの技術なので任せると言われた。硝子窓は当分無理だろうが、工業村にはそろそろもう少し硝子技術を教えてもいいかもしれない。


 工業村の影響だろうか。本来は一子相伝だったりする技を互いに持ち寄る人が職人町にも増えているらしい。工業村に追いつき追い越せと頑張っているかららしいが。


 強化型大八車とか馬車とか、いろんな職人が協力しないと作れないものが増えているからだろう。


 冗談抜きで尾張が先進地になる日も近いのかもしれない。





 

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