第847話・認識の違い

Side:近衛稙家


 行きで苦労したが帰りは早かったの。


 旅の苦労が少なかったことは皆が喜ばしいと言うておるが、荒れておる都の姿に如何とも言えぬ顔をしておる者が多い。これでまた野山を駆ける暮らしに戻ると思うと致し方ないことか。


 尾張の民は皆がよく働き、よい顔をしておった。町も荒れておらず刃傷沙汰も見られぬ。


 比べるわけではないがの。都は相変わらずじゃ。三好が亡骸を弔っておる故に、そこそこは良うなった。されど働きたくても働く術のない者や捨て子なども多い。


 都には諸国から人が集まるが、そのような輩が食えるはずもなく都を荒らす。尾張ならば働かせて食わせるのであろうが、三好にそこまで求めるのは酷であろう。


「これは……」


「武衛より主上にと献上されたものにございます。まだ何処にも出しておらぬ品とか」


 主上に帰還の挨拶をする。法要が恙なく終わったことをお喜びになっておられるが、武衛が土産にと寄越したものに主上が驚かれた。


 硝子の瓶の中に南蛮船が入っておる品じゃ。瓶の口は小さく、いかにして中に入れたかわからぬ品。恐らく久遠の品であろう。


「これは船か?」


「はっ、久遠の南蛮船を小さくしたものでございます」


「ほう、これが……」


 硝子は盃や鏡もありご覧になられたこともあろうが、船をご覧になったのは初めてであらせられよう。


 よほどお喜びなのか、御自らお手に取られてご覧になられておる。


 主上にとって内裏の中と、内裏から見えるところがすべて。大海原を走る船に思いを馳せられるのは致し方ないことか。


 そのまま主上に問われるように法要や尾張の様子をお聞かせする。尾張は久遠がもたらす富だけではあらず。国をよくするべく努力しておるのじゃと。


 奪い、争い、税を取るだけにあらず。そうお聞かせすると、硝子に入った南蛮船を見て遥か尾張に思いを馳せておられる。


 主上は都が荒れ、日ノ本が荒れるは、御自身の徳が足りぬとお考えになるお方。それが間違っておるとは言わん。されど主上おひとりが責めを負われることではないと尾張に行って思うた。


「織田からは金平糖なる菓子と砂糖羊羹を献上されました」


 土産はまだある。半家などの者らにも配ることが出来るほど多くの、金平糖と砂糖羊羹や塩鮭に線香花火がな。


 留守を任せた者らも女子供も喜ぶであろう。主上にもお楽しみいただきたいものじゃ。


「尾張か……。一度見てみたいものよな」


 よほどお気に召されたのか、大事そうに持っておられた硝子に入った南蛮船を置かれると、囁くようにそう口にされた。


 やはり主上は御自身で花火や南蛮船をご覧になられたいのであろう。二条公や三条公と顔を見合わせ、互いに如何とも言えぬ顔をしてしまった。


 廷臣として主上のお望みは叶えるべきであるが、尾張はあまりに遠い。かといって都で花火を上げろとも言えぬ。それをすれば三好が面白うあるまいしの。


 世とは難しきことよ。




Side:織田信広


「人質は取らぬ。戻れる者は早々に戻り、然るべき者に出頭するように言え。戻れぬ者らは、誰ぞ血縁がある者が世話をしてやれ。血縁がある者が誰もおらぬのならば、城下の寺にでも頼め」


 松平の者は相変わらず織田の命には従わぬか。求めてもおらぬ女子供や当主の弟が人質としてやってくる。よくあることではあるがな。家を分ける気であろう。とはいえ……。


「人質を取らぬというのは方便と思うておるようで。竹千代殿が戻っておりませぬからな」


 今更そのような策で家と所領を残せると思うておるところが、愚かとしか思えん。因幡守殿は竹千代殿の件が原因だろうと言うが、あれは水野殿と父上で決めたことで、松平殿もそれでよいと同意したことなのだ。帰したところで竹千代殿のためにならんとな。


 あの愚か者どもがおるからこそ、岡崎に帰れずにおるのだ。あとの者は那古野の学校で学んでおっても、正月や好きな時に帰っておるというのに。


「兵は集まっても五百。それも岡崎におる者らが纏まればでございますが」


「岡崎城に籠城されると少し面倒ですな」


 三河衆と今後のことを相談する。


 先日までは絶縁されておった本家や親戚から詫びが入って、助けてほしいと頼まれた者も多いようだ。最早なりふり構っておられんことにやっと気づいたらしい。


 謀叛人の家に所領の安堵などあり得ぬと教えてやるべきか?


「好きにさせておけ。必要とあらば久遠殿に頼む。岡崎が如何程の城か知らぬが、本證寺ですら一晩で落ちたのだ。籠城などさせん」


 納得のいかぬ者らが戦だと騒いでおる様子。そんな者の家ですら人質がくる。家を分けるといえば聞こえがいいが、状況も織田の治世も理解しておらぬ愚か者ではないか。


 つい久遠殿の名を出すと三河衆の顔つきが変わった。久遠殿自身は人のよい男だ。とはいえ戦の際の恐ろしさは知らぬ者がおらん。焙烙玉を投石機とやらで撃ち込んで本證寺に籠城させなかったのは皆が見ておるからな。


 山城ならともかく、平城だと籠城など出来ぬはずだ。


「因幡守殿、詮議のほうは頼む」


「はっ、お任せを」


 かつての守護代殿は、こちらが気を使うほどよく働く。人質としてやってきた者らからも、帰すなり血縁の者が世話をする前に話を聞いて詮議の足しにせねばならん。


 血縁がある三河衆ではやりにくかろうが、因幡守殿ならば適任であろう。




Side:久遠一馬


「える、赤子げんき?」


「ええ、元気ですよ」


 今日もウチにやってきたお市ちゃんはエルの下に来ると、膨らんでいるお腹を見て赤ちゃんが元気だと知ると笑顔を見せた。


 お市ちゃんも大きくなったなぁ。最近だと礼儀作法とか勉強も頑張っている。しかし本当にエルに懐いているね。お市ちゃん。


「八郎殿、どう?」


 エルのことはお市ちゃんに任せる。オレは仕事だ。


「はっ、管領殿は思うておった以上にあちこちに文を送っておる様子。言い換えればそれしか出来ぬとも言えますがな」


 法要の少し前に伊賀者から、北近江三郡で僅かに妙な動きがあると知らせが届いていた。忍び衆に確認をしてもらったが、どうやら細川晴元の仕業か。


「本願寺の話だと、加賀一向衆と朝倉家の和睦もしようとしているとか。宗滴殿が相手にしていないらしいけど」


 あと晴元で言えば朝倉家と加賀一向衆のことにも首を突っ込んでいる。これは本願寺からの情報だ。先日まで尾張にいた本願寺の高僧が教えてくれた。本願寺にも働きかけがあったらしい。


 本願寺としても加賀一向衆と朝倉家の問題は気にはなるが、晴元の信頼度ってないんだよね。過去に寺社を盛大に巻き込んだせいで。


 本願寺の高僧からは、斯波と織田でなんとか和睦の足掛かりでもというニュアンスで話を振られたが、守護様がはぐらかしておわった。


 本願寺の言うことすら聞かない連中をどうしろと言うんだ。


「それなりに興味を示す者はおりましょう。公方様を六角が軟禁しておるという話、嘘と言い切れる者が少のうございますので」


 足利将軍の権威は中途半端とはいえ、未だ健在か。菊丸殿をよく知る資清さんは少し苦笑いしている。


 管領代であった六角定頼さんが生きていればまた違ったんだろう。六角義賢さんはまだ自身の力を示していない。晴元にすれば、あちこちに火種をばら撒いてお手並み拝見といったところか。


「不破さんに文でも出しておくか」


 朝倉家は当面大丈夫だろう。先日までいた朝倉延景さんとは、今後も商いを続けることで合意した。越前には都から逃れた職人とかもいるので、商いの意味はそれなりにある。


 延景さん本人も戦をしたいと考えているようには見えないしね。注意すべきは奥さんが晴元に繋がっていることかな。


 気になるのは六角家か。蒲生定秀さんとは公家衆が帰った後にオレも話した。国人や土豪に寺社までも権利を縮小していることには素直に驚かれた。


 織田家でも初年度の流行り病の一件がなかったら、とてもじゃないが出来なかっただろう。実際に寺社に対しては、織田家に従っているところには銭で支援をしている。


 病対策をしているのは病院を頂点に今も末端は寺社だ。特に流行り病はそれらしい患者が出るとすぐに病院に知らせが届く。あとは尾張南部だと各種イベントの際には寺社が宿泊場所を提供しているしね。


 現状の尾張は中央集権になりつつある。史実では六角家はそれに失敗したとも思えることだ。出来るかね?





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