第845話・三河の後始末

Side:松平広忠


 安祥城にて評定が行われておる。以前は家臣だった者たちも、今は同じ身分。いや、向こうが先に臣従したのだ。わしは更に新参か。


 同情する者もおれば、睨む者もおる。望むか、望まぬかわからぬが、互いにもう戻れぬことを実感しておるというところか。


「父上からは安易に許すなと言われておる。その上で松平殿、この件は如何したいのだ?」


 三郎五郎信広殿。かつては敵として相まみえた男だ。わしを従えることを喜びも悲しみもしておらぬ。人の上に立つ者の苦労があろうな。


「お気遣いは無用でございます。織田のやり方でお裁きくだされ」


 助命や嘆願を聞き届けてくれようとしたが不要だ。


「家臣も従えられぬから暗殺など企てる者が出るのだ」


 元家臣のひとりから厳しい言葉が出た。岡崎に残っておった本家筋に随分と嫌がらせをされておったのだろう。


「止めよ。皆が悩み苦しんだ末にこの場におるのだ。過ぎたる遺恨を忘れられぬと言うのならば、隠居でもしろ」


 わしがやれと言うたことではないが、甘んじて受けるしかない。だが三郎五郎様はそんな者を一喝した。


 遺恨は末代まで忘れるなというのが武士だ。それを忘れろとは。


「詮議は進んでおりませぬ。詮議をすると言うた者が首になって届けられましたからな」


 黙った元家臣の代わりに因幡守殿が岡崎の様子を話した。わしの代わりに岡崎に入ったはずだ。元清洲の守護代であったと聞くが、苦労をかけたようだ。首を差し出せばよいのだろうと勝手に首を刎ねたのは、いかにもわしの家臣らしいな。


「詮議に従わぬ者は領地を召し上げ、当主は切腹。一族郎党は久遠殿の開拓地に島流しとする」


 しんと静まり返ったところに三郎五郎様の沙汰が下る。思うた以上に厳しい。仏の弾正忠と呼ばれ、戦った者を許しておると聞くだけにそう思う。


「気に入らぬのならば素直に戦に打って出れば良かったのだ。暗殺など企み、さらに松平殿の命にも因幡守殿の下知にも従わぬ。とても許せるものではない」


 あぁ道理から外れる者には厳しいということか。とはいえ暗殺を企み、何度も勝手に動くなと申し付けたのを無視したのだ、自業自得だがな。


「該当者はすぐに出頭させろ。それと松平殿、岡崎城はそなたの城だ。とはいえこのまま帰ればなにをされるかわからん。そなたの信の置ける者とこちらの者で押さえることにする」


 最早、松平宗家の者は信用されておらんようだ。わしも留守居役がいずこまで従うかわからぬので仕方ないが。


「松平殿、思うところはあろうが、城など捨てても構わんとわしは思う。少なくともそなたと信の置ける者たちが生きることが先決。所領は検地と人の数を調べた後に、父上から決められた分だけ与えられる。すでに織田ではそれが当然なのだ」


 城を捨ててしまえと三郎五郎様が口にされると平八郎たち家臣が驚いた顔をした。


「お待ちくだされ。岡崎城は召し上げになるのでございますか!?」


「いや、それは聞いておらん。本領の地は残されるのが通例だ。松平殿も同じであろう。だがな、謀叛人の処罰も終わらぬまま帰れば、そなたたちが危ういと父上が危惧しておる。城にもどるのは待ったほうがいい。もし戦になるならばそなたも出陣せねばならんのだ」


 岡崎城召し上げなど聞いておらんと平八郎が声を上げたが、三郎五郎様は淡々と平八郎を諭すように話された。


 平八郎もその言葉に僅かに悔しそうにするも従うしかない。誰が味方で誰が謀叛人かわからぬのだ。先に入っておった因幡守殿も危ういからと戻されたと聞く。


 素直に従うか? 従わぬであろうな。戦になるのやもしれん。


 結局、連中にとっては己の身と家が大事だった。それだけのことか。


 なんとも寂しいものだな。




Side:久遠一馬


「さあ、みんなで支度をするわよ」


「はい!」


 アーシャが大勢いる子供たちに声を掛けると、子供たちの気持ちのいい返事が聞こえた。


 今日は尾張上四郡にある山の麓でキャンプをするんだ。学校の子供たちに孤児院とウチの関係者の子供たちなど、総勢数百人の子供と世話をする大人で千人を超える大所帯のキャンプになる。


 この時代では自然なんて当たり前にあるものだが、それでも山が近くにない場所で育った子供たちは山を知らない。


 孤児院の子供たちも工業村の子供たちも同じだ。こんな時代だしね。山の歩き方とか食べられる植物の見分け方など教えながら、キャンプをすることには意義があると思う。


「私たちは山を散策するのでござる」


「続けー! なのです」


「おー!!」


 みんなすっかり団体行動に慣れている。学校の教育の賜物だなと思う。アーシャは年長組の子たちとゲルの組み立てを始めているし、リリーは女の子たちと食事の支度をしている。


 すずとチェリーは年少組を連れて近くの散策に出かける。ああ、お市ちゃんもこの年少組のメンバーだ。


「そなたのやることは理解出来ぬことも多いが、こうして何度もやっておると理解出来るようになるな」


 子供たちのリーダーは岩竜丸君だ。彼も公家衆が帰ってホッとしているみたい。斯波家の嫡男としてそれなりに大変だったからね。


 なんでわざわざ野営に行くんだという疑問は、今でも思っている人はいると思う。特に大人は。でもね。団体行動の経験は子供の頃から必要だと思うんだよ。元の世界ではボーイスカウトやガールスカウトは廃れてしまったが、あの精神目標は悪くないと思う。


 岩竜丸君も理解してくれているみたいでなによりだ。


「子は国の宝ですからね」


 放っておくと人なんて勝手に増えると思っている人がこの時代にはいる。でもね。教育をきちんと受けさせた子供は貴重だ。


 まあ、オレがキャンプに来たかったというのもあるが。


 ちなみにエルはお留守番だ。そろそろお腹が目立ってきたので出歩くとみんな心配するんだ。祭りくらいならいいけどね。キャンプだと夜もあるからさ。


 オレも年長組や岩竜丸君と一緒にゲルの組み立てをする。一度覚えるとそこまで大変じゃないね。さすがに元の世界のテントほど楽ではないが。


 余裕ができると年長組も山を散策したり、近くの川で釣りや水遊びをする。


 こういう時間って、本当にいいなって思う。


「どうしたの。あんたたち」


「ねえねえ。頑張れば久遠様みたいにたくさん奥方様持てるの?」


「そうねぇ。頑張れば持てるわよ。よく学び、よく遊んでね」


 オレは川岸でお市ちゃんと釣りをしていると、今日同行した春が子供に囲まれてとんでもないことを聞かれていた。


 今日はまだ尾張に滞在していた春、夏、秋、冬の四人が同行しているんだけどさ。


 思わず吹き出しそうになってしまい、お市ちゃんの乳母さんに笑われてしまった。


 藤吉郎君はすっかり職人見習いとして頑張っているしなぁ。まだ下働きの身分だが、よく気が利くことと器用なことで評判がいい。オレの奥さんの数を超えてくれる筆頭候補だったんだけど、現状を楽しんでいるみたいでそこまで増えそうでもないんだよなぁ。


 遊女屋にはよく行っているらしいが。


 信長さんに関しては側室という存在はまだいないが、お妾さんが外にいるみたい。まあこれは普通のことだ。帰蝶さんとの仲もいいみたいだし、そこまで奥さんを増やそうとは思ってないみたい。


 なんというかオレが立身出世の代表的な存在になっている感じか。


「春様みたいな奥方持ちたい!」


「いいわね。略奪愛って燃えるわ。うちの殿と戦ってみる?」


「略奪……愛? 戦うなんて……、そんな恐れ多いことを……」


 あの春さんや。思春期に入る頃の微妙な男の子をからかうのはやめてあげて。


 奥さんの数、限度があるよね。百二十二人なんて。あとは絶対に増やさないでおこう。




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