第844話・職人たちの挽歌

Side:久遠一馬


 蒲生定秀さんからは織田の新しい統治法について、いろいろと聞かれているらしい。


 信秀さんに力が集まっているのは端から見てもわかるようだが、具体的に俸禄にした理由や賦役に賃金を払う理由なんかはわからないようだ。


 北伊勢の問題の根源にある経済格差と、体制の違いを理解しようとしていることは凄いなと思う。


 それと願証寺は困惑している。騒いだところで北伊勢の国人衆に得るものなんてないことを願証寺はよく理解している。必要とあらば武器を取るのではなく相談する。願証寺はそれが出来ている。


 実際、人の流出は願証寺の寺領でも起きているが、それでも田畑が放棄されるほどではない。出稼ぎに尾張に来た者から仕送りがあるところも多い。


 まあオレとしては願証寺と六角が協力して北伊勢をおさえるならそれでいい。織田で北伊勢をおさえると尾張が更に安定することは確かだが、別に困るというほどではないからね。


「へぇ。見事だね。親方」


 エルの進言でオレは、少し仕事をセーブしてゆっくりする時間を持つことにした。ロボとブランカと仔犬たちとゆっくりする時間が増えて、一緒に庭を散歩していると硝子をはめる直前で止めていた温室が目に入った。


 ただし、そこは一見すると温室というようには見えないようになっている。


「あの硝子ってのは、壊れやすくていけねえですからね」


 温室自体は半地下で硝子を節約出来るタイプにしたが、それでも必要な硝子は多い。また、本来なら地下部分には断熱材を埋めるのだが、今回は木枠の中におが屑と灰を混ぜて入れたものを、地下部分の壁に張り付けて断熱効果の検証を試みる。さらに現状は硝子をはめるところを、雨戸のように戸板で隠せるように改良されている。屋根に関しても同じだ。これは大工の棟梁が進言してくれたことになる。


 この棟梁、工業村にも出入りを許されて建物を建てていた人で、信頼出来るから硝子の温室を頼んだんだが、自分でも工業村の職人たちに硝子について聞いて調べたらしいんだ。


 台風、この時代だと野分というが、それが来ると壊れるんじゃないかと職人たちと相談して思ったようで、硝子を隠す雨戸のような戸板の設置を進言してくれたんで任せていたんだ。


 貴重な硝子を壊してはいけないと、工業村の職人も一緒になって考えてくれたらしい。久遠諸島の温室は特殊強化ガラスだったので、うっかりしていた。エルたちも話を聞いた時にピクッとしたからね。


 職人の試行錯誤と進歩に嬉しくなるよ。


「本領から葡萄の酒が送られてきたんだ。後で渡すから、みんなで飲んで」


「ありがとうございます」


 クンクンと匂いを嗅ぎ、マーキングしそうになるので止める。ロボさんご一家へのお願いです。さすがにおしっこをかけるのは困るよ。


 大工のみんなには褒美にワインをあげよう。公家の皆さんに観艦式を見せるために呼んだ船の荷にワインが結構入っていたんだ。北美濃と東美濃で葡萄を育ててワイン造りも試してもらえばいいかと思ってね。実際に飲んでみれば、造ろうと思ってくれるはずだから取り寄せた。


 まあ試験栽培が先だが。


 あとは植林する桑の木も送られてきた。山の村とか数カ所で養蚕を始めるために植えるものだ。


 綿花の生産は順調だ。木綿布の生産も地道に進んでいたが、大内領から来た職人が加わり生産スピードが上がりそうだしね。


 領地を取り上げて俸禄にするだけでは駄目だと思う。新しいことを始めて暮らしが変わると領民に実感してもらわないと。


 そうそう、工業村といえば、独自に開発が進んでいる。以前鉄で船を造りたいなんて夢を語っていた職人がいたが、それが意外な形で実現しようとしている。


 初めはすべて鉄で出来た船と考えていたらしいが、尾張では馬車とか大八車のフレームとか車軸が鉄になっている経験から、既存の船に鉄をいかに使うかと検討する流れになったらしい。


 さらに蟹江の船大工たちはウチの船の喫水下に銅板を張ってあることを知っていて、そこから船大工たちと工業村の職人は、薄く伸ばした鉄の板で船を覆うことで戦の際に鉄砲や弓矢に焙烙玉から船を守れるんじゃないかと考えたらしい。


 諸説あるが、俗によく言われている史実の鉄甲船に近いものを自分たちで考えて、すでに鉄板の薄さとか船にどう設置するかとか試している。


 鉄が錆びることとか鉄の費用とかいろいろ問題はあるが、船を守ることをまず考えるように指導していることから、実現性があると頑張っているそうだ。


 造船を任せている鏡花がびっくりしていたくらいだけどね。中古の久遠船でとりあえず試したいというので許可を出しておいた。


 理想を持ちながらも実現性もきちんと考えている。職人たちはどこまで進化するんだろう?




Side:滝川一益


「ほっほっほっ、牢人の身から南蛮船の大将とは立身出世を果たしたものよ」


 伊勢の神宮を詣でた公家衆と三好や本願寺の者らを連れて、一路石山を目指しておる。


 その際に公家衆の相手をするのもわしの役目。近衛殿下から久遠家にいかに仕官したのかと問われたので答えると公家衆が驚いてしまい、近衛殿下は面白げに笑っておられる。


 南蛮船を見て仕官を願い出て召し抱えられたわしが、こうして関白殿下を筆頭にした公家衆をお送りするほどの身を立てたとなれば、面白きことと思うのも無理はない。


 公家衆の中には船を恐れる者もおるが、近衛殿下がその者らを上手く御しておる。


「滝川と言えば忠義の八郎と今弁慶が知られておるが、そなたのような男。そうさの、先見と強運を持つ男、彦右衛門もおるとはの。六角はさぞ悔やんでおろう」


 父上や慶次郎の名が近衛殿下にまで知られるようになるとはな。感慨深いものがある。併せてわしまで持ち上げられるは、あまりに面映ゆいが。


 父上は甲賀におった頃は田畑を耕しておった身。慶次郎は暇さえあれば野山を駆け回り遊んで、よく怒られておったな。


「ご歓談中に失礼のほどお許しを。彦右衛門様、堺に妙な船がおります」


 公家衆と話をしておると船長ふなおさが知らせに参った。すでに船は外海を越えて石山まであと少しのところまで進んでおる。ここにきて堺とは。


「妙な船とは?」


「恐らくは堺で造っておると噂の南蛮船かと」


「ああ、あの偽船か。使えぬのであろう?」


「はっ、忍び衆の報告では船大工が何人も逃げだしたとか」


 念のため戦の支度もさせておくか。こちらの動きを知られておるとは思えんが、大人しくしておれん連中だからな。


「ほう、あれが噂の堺の南蛮船か」


 戦の支度をしておると公家衆が騒ぎ出した。近衛殿下や二条殿下が収めてくれたがな。戦になるのかと恐ろしげに問う二条殿下と違い、近衛殿下は自ら甲板に出て堺の偽船を遠眼鏡でご覧になっておるわ。


 このお方は周防で襲われた時も毅然としておったと聞くが、噂通りということか。


「あまり近づくと危のうございます」


「戦になるのか?」


 船長は堺の偽船から離れるように進言してくると、近衛殿下も戦かと顔つきが変わる。


「いえ、操船も満足に出来ぬと思われますので」


「ほっほっほっ。なるほどのう」


 だが懸念は戦ではなかった。ろくに動かせぬ船が危ういということか。さすがの近衛殿下もそれはお考えになっておられなかったのであろう。人目も憚らずに笑われた。


 その時だった。突如風が吹いた。


「ああ……」


 我らの見ておる前で帆を張った偽船は、風に煽られて揺れたかと思うと転覆してしまったではないか。


 そのあまりの光景にしばし静まり返る。


「……先を急ぎましょうか」


「……そうじゃの。悪さばかりする堺に相応しき仏罰が下ったものよ」


 堺から助けの船が出てくるのが見える。関わると我らのせいにされかねん。このまま素通りすることにする。


 殿下が仏罰と言うたこともあり、同じく甲板に出ておった三好家の松永殿と安宅殿の顔色が悪い。安宅殿など怒りに震えておるのがわかるわ。


 何にせよ関わらぬほうがよいか。我らはこのまま石山に行くとしよう。




◆◆


 堺の偽船沈没事件。


 大内義隆の法要にと尾張に行った公家衆が、帰路で偶然遭遇した事件になる。


 『言継卿記』によると、一行は陸路の予定から海路に変更しての帰京だった。変更理由は月食が翌月にあることを久遠一馬により聞かされたためだったとある。


 一行はガレオン船五隻での船団を組んでの帰京だったようで、万が一にも事故や沈没のないようにと細心の注意を払っていたことが『久遠家記』などに記されている。


 旅の道中は幸いにも嵐に遭うこともなく順調な航海だったようで、おおよそ一昼夜で伊勢大湊から石山まで到着したとあり、公家衆が驚いたとの逸話が残っている。


 事件はその到着直前のことだった。


 堺では偽金色酒、偽織田手形と偽物を作ったことで斯波家により絶縁されており、当時苦境に陥っていたことが資料から明らかとなっている。


 起死回生の策として、自分たちで大型の外洋船を建造して明や南蛮との交易を目論んだとあるが、建造にあたり尾張で船を見た者が描いた簡素な絵図一枚しか資料がなく、絵図だけではとても造れる船ではなかった。


 無謀だと船大工たちが反対する中、会合衆は建造を強行して無理やりに造らせたが、船大工たちが何人も逃げ出したという逸話が残っている。逃げ出した理由は、船のあまりの出来の悪さに沈没したときの責任を取らされるのを嫌がったのではとある。


 何故、公家衆の帰京と堺製南蛮船の出船が同じ日だったのかは不明。また、進水後にどれほどの訓練や試験を行なったかも不明である。


 だが、公家たちが何事だと見守る中で堺の船は風に煽られて転覆。その光景にガレオン船に乗る公家衆と共に、同船に乗っていた三好家の安宅冬康は、あの時ほど怒りと羞恥を覚えたことはなかったと後に語ったと伝わる。


 この逸話は目撃した公家衆を通じて一気に世の中に広まったといい、堺は船もまともに造れぬと更なる苦境に陥り、世の笑いものとなった事件になる。




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