第842話・出立
Side:久遠一馬
公家の皆さんと招待客の皆さんとの別れの宴が行われた。
特に公家の皆さんは名残惜しそうにしてくれてた。まあ自給自足のように野山を駆けている人たちが上げ膳据え膳を経験したんだから、名残り惜しくもなるのかもしれないが。
それでも畿内の外を田舎だと馬鹿にしないで、親しんでくれたことはいいことだろう。
それと、先日、朝廷の改革として図書寮の再建を義統さんに進言してもらったんだけど、内裏の修繕も出来ていない現状では図書寮の再建どころでないと言われてしまった。
主上のお住まいである内裏の修繕すらしないままに、図書寮の建物を建てるというのはどうも具合が良くないらしい。一理あると思う。信秀さんも内裏のあまりのボロさに唖然としたと言っていたしね。
「いいのではないか。異論はないぞ」
とはいえ現状ですら年に四度も献上品を贈る織田が、今度は内裏の修繕まで手を出すのは少しやり過ぎだろう。近衛さんや二条さんも、あくまでも困っているという言い回しで修繕をしたら図書寮再建を認めると条件にしたわけではない。
信秀さんや義統さんと相談して、内裏の修繕を義輝さん名義でやることにして本人の許しを得るために説明したが、反対はされなかったね。
まあ義輝さんにとってもメリットのある話だしね。朝廷を守るのが足利家の役目だし筋は通っている。
この件にも当然メリットとデメリットがある。メリットは義輝さんを通すことで織田がこれ以上目立つことを避けることが出来る。ただでさえ斯波管領とか天下をとか囁かれている現状ではメリットになる。織田家が天下を狙うのは時期尚早だ。
デメリットは義輝さんの権威があがることだ。義輝さん個人としては良好な関係だが、足利将軍家は場合によって敵となりかねない。歴史的に見ても足利将軍家は抜きん出た力を持つ守護大名を潰している歴史があるしね。
朝廷のことは少しずつ変えていく必要がある。今回は義輝さん名義が落としどころだろう。
「では某が副状を書いてよろしいのでございましょうか?」
ああ、今日の説明には六角義賢さんと蒲生定秀さんも来ている。
室町将軍の命令書。御内書には副状を書いて添える人がいる。現状の義輝さんの場合は義賢さんになるからね。
「他に適任な者はおるまい。そなたもここらで名を上げたほうが良かろう。三好には
ウチの屋敷で書状を書くふたり。義輝さんもいつもの菊丸としているより顔つきが違う気がする。
「しかし図書寮か。面白きことを考えたな。一馬。そなたたちの策であろう?」
「まあ進言は致しましたが。そもそも長きにわたる朝廷の歩みは、日ノ本のなによりの宝です。大陸など幾度も皇帝が滅び、新たな王朝が出来ています。朝廷の古き記録は次の世に伝えるべきものなので」
義輝さんに面白いと言われてしまった。直接権力を与えずに朝廷を盛り立てていくには最適だと思ったのだろう。それも事実ではある。
ただし、この時代の人って歴史の価値をあまり理解していない。男系により受け継がれている皇室は元の世界であっても代わりのない存在だった。
歴史の貴重な資料なんかが、寺社に下げ渡されたり戦乱で失われたりしている損失は計り知れない。
「そこを考えられるのは、そなたたちくらいであろう。明日をも考えぬ者が世にはあまりに多い」
義輝さんの御内書は義賢さんに預けた。正式には観音寺城に戻ってから内裏の修繕を命じることになる。
「明日にはご出立とのこと。ご無事のお帰りをお待ちしております」
「留守中のこと任せたぞ」
明日には義輝さんはウチの船で関東に旅立つことになる。義賢さんは本心から義輝さんの無事の帰還を願っているように見える。
この時代だと関東なんて僻地という印象が強い。尾張でもそうなんだ。近江から見るともっとだろう。元の世界で内戦中の国に行くくらいの危険はある。
本当に無事に帰ってきてほしいね。塚原さんのところなら大丈夫だと思うし、そこまでは護衛も付ける予定だ。万全は期すけどね。
今度会う時はどんな話をしてくれるのか楽しみにしている。
Side:二条晴良
湊には見送りにと武衛を筆頭に多くの者が集まっておる。名残惜しい。吾でさえもそう思うことに驚いておるところもある。
「世話になった」
見渡すと湊には蔵が数え切れぬほど並ぶ光景が見える。海にはまた南蛮船が増えておるわ。大湊に吾らを送る船と、関東に北条、今川、武田を送る船じゃという。
戦をしておる今川と武田、そこに小笠原が帰路で争わぬようにと、関東の小田原まで送るとは。法要に汚点を残さぬようにという気遣いか。ほんに隙を見せぬの。
大湊へは北畠、本願寺、三好の者らが同乗し、吾らが神宮を参拝するのを待って共に畿内に戻る。
尾張は良き国であると思う。民はよく働き、争いもない。都もかつてはこのような賑わうところかと思えるほどに。
「なにかあれば彦右衛門にお申し付けください。必ず皆様を石山までお連れいたします」
最後に久遠の一馬に声を掛けると少し驚いた顔をしたことで、
石山へ参る時は大きな南蛮船が都合五隻の海路を征くという。必ずという一馬の言葉が頼もしく感じる。
無論、まことに信じてよいのかと思うところもあらぬわけではない。氏素性の怪しき者どころか、日ノ本の民ではなかったのじゃからな。
されど……、怪しき者が恐ろしいと逃げるわけにはいかぬ。吾は関白ぞ。
南蛮船に乗り、見送る者らを見る。
遠くないうちにこの者らとは都で再び会うことになるやもしれぬ。当人らが望むか望まぬか、吾にもわからぬがな。
されど世の者らが、この者らを放っておいてはくれまい。吾らとて放っておくことは出来ぬこと。
公家の中には此度のもてなしからか、すぐにでも尾張に下向したいという者もおる。とはいえ武衛と内匠頭はただ飯を食らわせることは考えておらぬ。図書寮の分館や学び舎で働くことを求めておる。
吾もそれでよいと認めた。安易に武家を頼り、主上を疎かにすることなどあってはならぬこと。
図書寮というのはそう考えると悪うないことよ。いつまでも野山を駆けておるわけにもいかぬ。公家にも働く役目が必要というもの。
政ならば騒ぐ輩が出ようが、図書寮にて古き書物を守るというのならば反対する者はおるまい。その価値を知らぬ者が多いくらいじゃ。
「主上に花火をご覧になっていただきたいものよ」
遠く離れていく尾張で思い出すのは、やはり花火のこと。お言葉には出されておらぬが、主上も御自身でご覧になりたかったはず。
三好も悪うないが、いささか勤皇の志に欠けると思えるところもある。斯波と織田が上洛をして都を治めてくれればと思わなくもない。
とはいえそれは吾とて言えぬこと。
せめて主上に花火をご覧になっていただくよき策はないものか。近衛公と話してみるか。
尾張行幸は難しかろうが、なにか考えがあるやもしれぬ。
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