第840話・不吉な影

Side:メルティ


「これで一段落ね」


 周辺国との会談が終わったわ。成果は上々といったところかしら。


「これほど話すことがあるとはな……」


 守護様と大殿と司令たちが会談をしている裏では、文官を中心に具体的な話し合いを行なっているわ。それを取り纏めているのは若様よ。私は土田御前と共にそれの補佐をしているわ。


 若様を始めとして、土田御前や文官衆ですらも話す内容の多さと難しさに戸惑っているように見える。


「本来は守護職が京の都にいて、公方様や評定衆が各国の調整をしていたはずなのよ」


 織田家のみんなもだいぶ文官としての経験を積んだわ。と言っても各国から来た者たちも含めて交渉で物事を進める経験はさほど多くない。裏で調整して補佐しないと円滑に進むことが出来なくなる恐れがある。


 すでに幕府に調整機能はないわ。それに申し訳ないけど、この時代の人に経済の円滑な運営はあまり期待出来ない。こちらで先手を打つ必要がある。


「堺に錫を与えてよいのか? 付け上がるだけであろう?」


「銭は三好家で管理してもらうわ。質も量も。出来ないなら錫を止めるだけ。それに付け上がってもいいのよ。勝手なことをしたら、罰を増やせばいいだけ」


 尾張で堺の信頼はないに等しい。その堺に間接的とはいえ支援に繋がる錫の提供には慎重論もある。若様もそれを懸念しているよう。


 正直、堺はどうでもいい。畿内では本願寺がこちらとの取り引きを背景に影響力を伸ばしているわ。史実よりも落ちた堺の経済力では三好が苦しむかもしれない。これ以上、宗教勢力の伸張は困るのが本音なのよ。


 三好には頑張ってほしいところ。


 あとの問題は公家衆かしらね。来月の七月十四日に皆既月食があるわ。この時代では不吉な現象と思われている。尾張に滞在している間や帰路で月食を見られると難癖を付けられる可能性があるわ。


 説明するしかないんだけど。司令たちで大丈夫かしら?




Side:蒲生定秀


 先代様が生きておられればなと思わなくもない。先代様ならばあの場で損切りをして即決したであろう。


 無論、今の御屋形様が無能なわけではない。相手が悪かったと言わざるを得ぬ。


「北伊勢を六角ですべて纏めるのは難しゅうございます。また、織田は先年には北近江で譲歩しておりますれば、此度はこちらが譲歩してもよいと思いまする」


 御屋形様は慎重なお方だ。先代様の影が大きいのであろう。更に受け継いだ所領や威勢をげんずることを避けたいご様子。とはいえ伊勢は難しい。


「父上ならば、そうしたか」


「はっ、伊勢は手放したかもしれませぬ。それに六角家は織田の治めかたを学ぶ必要がありまする。織田は座や市を己で治めております。我が六角家でも先代様が市を治めることはしておりました。出来ぬことではございますまい」


 そう、六角も変わらねばなるまい。先代様も幾度かそのような話をされておった。生憎と時が足りずに出来なかったがな。


 市や座だけではない。国人や土豪に対しても土地を召し上げて銭で仕えさせておる。己がその立場になるとなんとも言えぬが、六角家の立場で考えると試す必要はあろう。


「そう悲観なされますな。今川や朝倉と比べると御屋形様は恵まれております。今川など悲壮なほど」


 御屋形様は北伊勢で苦悩されておるが、六角家の現状は悪くない。斯波と因縁がある今川や朝倉など悲壮なほど。復讐されるのではと戦々恐々としておろう。その点、六角家は先代様が誼を結び深めておられた。


 特に上洛の際に公方様と引き合わせて力添えしたことは大きいと言える。


 とはいえ、ここはわしが動かねばなるまい。織田の思惑を計り、いかにして北伊勢の一件を上手く収めるか。


 織田が格下だと甘く見ておると六角家ですら食われてしまいかねぬ。織田と久遠が仲違いをすればまた変わるが、そのようなことを期待して座しておれば六角とて先はないのだ。




Side:久遠一馬


 北伊勢の件は結局、継続して交渉することになった。


 ただ、オレは相変わらず忙しい。日頃エルたちにいかに助けられているかわかるな。落ち着いたらみんなを労ってあげないとな。


「この部屋もよいの」


 今日は近衛さんと二条さんと山科さんと、南蛮の間で紅茶によるお茶会をしている。こちらは義統さんと信秀さんとオレだ。


 参加メンバーが少ないのは内々に話したいと頼んだからだ。密談っぽい雰囲気だね。近衛さんは楽しげだけど、二条さんと山科さんは少し緊張というか、なにがあるんだと戦々恐々とした様子だ。


「実は来月の十四日に月蝕があります。不吉なことだと日ノ本では言われておられるとのこと……。如何にお話しいたせばよいかと悩みまして」


 月蝕、元の世界では月食と呼ばれていた現象のことだ。月食も皆既、部分、半影食など色々あるけど、総じてこの時代では不吉なことだと考えられている。


 オレからするとだからどうしたというところなんだが、尾張に公家衆の皆さんがいる時や帰路で月食があれば不吉だとケチをつけるかもしれない。メルティが懸念しているんで、その対策だ。迷信って馬鹿に出来ないからな。


 信秀さんと義統さんには事前に説明して許可を得ている。まあ例によって驚かれたけど。


「そなた、月蝕がいつ起きるかわかるのか?」


 少し唐突なんだろう。三人が固まったが、すぐに理解したのはやはり近衛さんだった。付き合いが長いとは言わないが、いろいろあったからね。昨年の上洛の際には。


「はい。当家に限らず陸地の見えぬ海を走る船では、星を見て己の居る場所を知ります。そして潮の流れ、汐の満ち引きを月を見て知ります。従って当家でも星や月の動きを見る学問は盛んです。明や南蛮、遥か西の国では、月蝕や日蝕は、ある仮説により正確に知ることが出来ておりますので」


 日食や月食の予測は世界的に見ると古よりされている。日ノ本でも朝廷の陰陽寮では大陸の情報を基に昔から予測をしているはずだ。これって暦の分野で、朝廷の専権事項でもある。あまり触れたくないんだが、尾張に来るのは不吉だと言われると困る。


「そなたならわかってもおかしゅうないか。とはいえ来月の十四日とはの」


「日ノ本では朝廷のお役目とか。一切口外する気はありません。此度は皆様にもご迷惑をお掛けするかと思い、お知らせした次第でございます」


 近衛さんは二条さんと山科さんを見て、三人は無言のまま考え出した。まあ世界の学問を学んでいるということは教えてある。以前には朝廷に地球儀を献上もした。そこはとりあえず議論をしないで月食の対応を考えているようだ。


 こちらも日食や月食のことを吹聴する気は今のところはない。朝廷の残る数少ない仕事が暦作りだからね。それを脅かしてもいいことなどない。


「それと管領様が少し北伊勢で動いております。どうやら六角家と織田をお嫌いなようで」


 ついでに例の細川晴元の手紙も見せておこう。近衛さんは幕府の運営にも関わっている。


「愚かな……。吾の呼び出しに応ぜぬばかりか、あらぬ疑いをかけておるわ」


 近衛さんは手紙を見て不快そうに顔をしかめた。面白くないだろう。素直に呼び出しに応じれば晴元は隠居しても誰か跡を継いで家はそれなりの地位で残せるのに。


 実は日程が予定通りなら、その前に都に帰れるはずだったんだけどね。色々理由が付けられて、日程が延びているんだ。原因は判っているけど、言わぬが花だね……。


「さて、如何する?」


 そのまま近衛さんは関白である二条さんに声をかけた。急ぎで帰るか、または帰還を延ばすとかいろいろ考えられるだろうね。


「ここまで話したのだ。なにか策もあるのではないのか?」


 二条さんはこちらを見て話の続きを促した。まあ確かにここまで話して解決策がないとお馬鹿さんと同じだからね。


「策と言うほどではありませんが、船でお送りすることは出来ます。風次第でございますが、早ければ一両日中で尾張から石山に行けますので、その前に都に戻ることも出来ます」


「一両日とは……。噂以上ということか」


「それも考えても良かろう。尾張では南蛮船を恐れるは臆病者と言うようじゃからの。長々と陸を帰って管領の謀に巻き込まれてはかなわん。それにあの船ならば、そう容易く沈まぬはず」


 ただ解決策というと、結局帰還の時期を月食とずらして尾張に滞在してもらい、公家衆に月食を見せないように宴会でもするか、船で手早くお帰り願うしかない。


 個人的には後者をお勧めしたい。来月の半ばまでいられると大変だし。ただ、越前に身を寄せている公家衆に打てる手はあまり無いんだ。最悪、局地的な気象改変で雨にでもして、月を見せなきゃ済むことでもあるし。


 近衛さんは船での帰還に乗り気らしい。すでに経験しているからか。


 ちなみに南蛮船を恐れるは臆病者というのは、主にお市ちゃんの影響だ。信光さんなんかも楽しかったと言っていることもあるが。


 ウチの者が普通に南蛮船で本領と行き来しているからね。危険だという認識がこの時代の船とだいぶ違う。


 それにまあ船団を組んでいけば、万が一にも沈んでも大丈夫と言えるだろう。実際は沈まないけど。ガレオン型の船はオーバーテクノロジーの船だし。



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