第839話・見えぬ力の差

Side:久遠一馬


 残る会談と交渉は朝倉と三好と六角だが、朝倉とは商いの継続のみで話は終わった。やはり因縁があるだけに現状維持で精いっぱいだというのが朝倉側の本音だろう。ただ、頑張っているのは確かで、この時代は北海と呼ばれている日本海の北前航路の船を呼び込み始めたらしい。


「銭が足りなくなるのでございますか?」


 続けて三好家の松永久秀さんと安宅冬康さんとの会談と交渉になった。三好にはこちらから銭の問題を教えることにした。


 松永さんもまさかこの席でそんな話になると思わなかったんだろう。少し驚いて聞いている。


「大内家が行なっていた割符を用いた明との交易の再開は難しいでしょう。新しい銭が入らなくなると必ずや足りなくなります。皆が安心して使える銭が足りないと、人心が荒れて三好家にとって好まざることになります」


 安宅さんは会話についてきてないな。松永さんは必死に考えている。わかるはずだ。松永弾正の名で知られる男なら。すでに尾張・美濃・西三河・伊勢・近江では堺銭を筆頭とした悪銭を材料分の価値くらいしか認めていないことで、畿内の商人が相当苦労をして一部では堺銭の受け取り拒否などの騒動も起こっている。


「堺には良き銭を造るように命じておるのでございますが……」


 経済問題になるとオレが話すしかない。義統さんや信秀さんたちが見守る中での問答は松永さんでも相当なプレッシャーだろう。わからないでは三好家が恥をかく。無論、わかるように説明はしているが。


 必死に考えながら話す松永さん。返答は悪くない。もちろん事前に商いと銭の話をすると家臣同士で決めたんだけどね。三好家の家臣がいまいち理解してなかった。


 どうせこちらがなにか要求するんだろうと考えていたみたいだね。


「実は堺の悪銭の原因はわかっています。原料に錫が足りないのです。織田としては錫を三好家に融通することを考えております」


 松永さんの顔色が変わった。口には出せないが、ウチもこれ以上の急激な経済的な負担は困る。ただでさえ近江と伊勢から東はほとんどウチが負担しているようなものなのに。


 正直、やって出来ないこともないが、やり過ぎると警戒されるだけなんだよね。今更な部分もあるが。


 堺とは絶縁しているが、三好家ならば材料を融通しても問題ない。正直、堺銭の質を上げないと負担ばっかり増えるんだ。


 それに石山本願寺が、ウチとの商いで史実よりも力を付けつつある。現状では政治介入をしていないし友好関係にあるんだけど、あまり信用し過ぎるのも危険と言えば危険だ。


 そもそも堺の経済力は、自ら振り撒く悪評で史実よりも落ちているとみて間違いない。そのまま三好家の弱体化で畿内の泥沼化は避けたいという思惑もある。早い話、三好家に堺を厳しく統制させて、阿漕あこぎな商売を止めさせろということだ。


「堺に良銭を造らせればよろしいので?」


「そこは当家が口出しすることではない。だが放置して困るは三好ぞ」


 松永さんはこちらの望む答えにたどり着いたらしい。とはいえオレたちが堺に命じることは出来ないし、上から目線でやれというのもおかしい。


 最後に信秀さんが三好家で良銭を用意するようにと暗に示すことで会談は終わった。




Side:六角義賢


 斯波と織田と北伊勢について話すことになった。先方は武衛殿、内匠頭殿、久遠殿と重臣が数名か。


 北伊勢は必ずしも当家が治めておるわけではない。北伊勢の梅戸家は確かに当家から養子に入っておるが、願証寺の力の及ぶ土地でもある。


 正直なところ、この件は織田だからこそ厄介だというべきか。本来ならばあのような土地は両家が関わることで、それなりに治まるはずなのだ。


 ところが織田は両属を嫌う。かつて父上は、今までの治め方では世は治まらんと織田は考えたのであろうと言っておられたな。


「こちらが口を出すことすらおこがましいと思うが、三雲は如何する? いささか勝手のし過ぎだと思うが?」


 少し考え込んでおると、武衛殿がこの件の諸悪の根源について口にした。


 そう、三雲だ。奴めが勝手をしておるのだ。北伊勢でな。厄介なことに若狭の管領殿が三雲を動かしておる様子。北伊勢には元は奉公衆の家が幾つかあるのだ。奴らは父上が亡くなったことでわしを軽んじて管領殿の謀に乗るかもしれぬ。


 三雲は織田への不満を煽り、織田が攻めてくるのだと吹聴しておる。更に管領殿が我が六角家に傷をつけるために、ありもせぬことを文として送っておると聞く。


「御屋形様、武衛殿と内匠頭殿へ腹を割って話しては如何でございましょう。先代様のご遺言もございます。この場こそ、その時かと。このままでは望まぬ戦になりかねませぬ」


 返答に窮しておると、助けを出してくれたのは蒲生藤十郎だ。わしより歳上で父上の信も篤かった男。此度もわしが望んで連れて参ったのだ。


 確かに無益な戦は望むところではない。それに北伊勢は織田に近い願証寺もおる。蚊帳の外とはいかぬか。


「興味深いものが手に入りましたので、この場にお持ちしました。左京大夫殿にも是非ご覧になってほしいものです」


 藤十郎の言葉に答えたのは、意外なことに久遠殿だった。


「これは……」


 武衛殿の近習が久遠殿に促されてわしのところに運んできたのは、なんと管領殿が北伊勢の国人に宛てた書状のひとつだった。


 上様をわしが監禁しておると断じ、武衛殿が管領職を狙い、わしと結託しておるなどと、我らへの誹謗が書かれてあるわ。まさかこのような内容の現物を手に入れておったとは。


「おかしな話よの。公方様は御自身のお考えにて動いておるというのに。さらにわしが管領とは。そのような器ではないわ。内匠頭に救われるまでは、守護代の家臣ですら己の力では勝てなかった身で管領など過ぎたるもの」


 武衛殿は心底呆れた様子であるな。管領職を望んでおらんというのは確かか。それに肝心の上様は久遠殿の屋敷におられて、尾張を楽しんでおられるというのに。


 法要の折には久遠殿の家臣と共に上様が警護をしておったと聞くほど。あのお方は管領殿如きに御せるお方ではない。


「これにて共に動く理由となりましたな。東海道が荒れるは我ら共に利にならぬ。如何か左京大夫殿」


「そうであるな。異論はない。されど北畠と願証寺はよいのか?」


 頃合いか。そう思うた時に内匠頭殿が口を開いた。ここまでされると織田も座して見過ごすとは限らぬということか。


「話は通す。異論はあるまい。まさか管領殿と組むとは思えん」


 内匠頭殿は自信ありげだ。確かに管領殿と組むことはあり得ぬか。あとは管領殿と三雲に責めを負わせればよいな。


 ただ懸念がないわけではない。北伊勢が騒いでおるのは尾張との暮らしの違いだ。あまりの暮らしの違いに、民が村を捨てて出ていってしまうのだ。


 当初の人を借り受けるとした銭は今も払われておるが、村の中にはそのまま帰ってこなくなってしまい、人を出せておらぬところもあると聞く。


 それを如何するのかも決めねばならんか。出ていった者を帰せという国人もおろう。されど織田は帰さぬであろうな。尾張にはあちこちから流民が集まるという。それを帰せと言うたところで面倒なだけ。


 更にだ。帰したとして村に居着いつくかわからん。出ていった者には村に残った者も冷たかろう。そもそも暮らしが違うのだ。すぐにまた尾張に逃げ出してしまう。


 詫び代わりにと銭でも出して終わるのではないのか? 当然その後は織田から銭が貰えぬ。多くの国人衆はそれを望まぬ故に黙っておるのだ。


 三雲の愚か者は事が露見すれば、北伊勢で恨まれることになるぞ。三雲への恨みが六角家に及ぶ前に手当てせねばならぬな。


 如何すればよい? 六角には織田のように全ての民を食わせるだけの銭はない。またあっても勝手をする国人も多い北伊勢で、そのようなことは出来ぬ。


 他所の民を織田に食わせろというのか? あり得ぬ。甲賀のように働きに行くのを認めるくらいしか出来ることはあるまい。


 そもそもこれの原因は、六角と織田の銭の力の差があまりにあり過ぎることだ。暮らしの違いはいずれ近江でも騒ぐ輩が出よう。


 認めるのか? 六角は銭では織田には勝てぬと。


 北伊勢で時を稼ぐしかあるまいか? いっそ北伊勢に織田を入れることで当面は上手くいくのではないのか? されど北近江すら突き放した織田を入れるには、余程の謀が必要となろう。わしに出来るか?


 わからぬ。いずこまで話していいかも含めてな。共に動くことに異論はない。あとは仔細を詰めると言うて藤十郎と話すしかないか。



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