第838話・北畠との交渉

Side:久遠一馬


 会談と交渉は順調に進んでいた。もっとも姉小路家や小笠原家はこちらの提案を飲むしかないのが現状だ。平等という概念に乏しいこの時代では権威とそれを示す力の差は決定的だ。


 公家のように権威だけでも足りないが、力だけがあればいいというわけでもない。ただ、その分だけ権威と力が合わさると恐ろしいほど有利となる。


 日ノ本の外で好き勝手しているウチが、朝廷と幕府のほぼ公認になりつつあるように。まあ幕府というか義輝さんは例によって塚原さんの縁で親しくなったおかげなんだろうが。


 この世界の歴史において塚原卜伝という人はただの剣聖ではなく、武人よりも教導者や人格者としての評価も高まるかもしれないね。


 一応、幕府に調停を訴えることも可能ではあるが、肝心の義輝さんが未だにウチにいるしね。京の都と周辺をやっとおさえている三好と幕臣ではあまり期待出来ないだろう。尤も管領細川や幕臣が身勝手な許諾状を出すこともあるけどね。


 その義輝さんに関しては次の関東行きの船を待っている状況なので、学校で子供たちに武芸を教えている。塚原さんのお弟子さんとして結構人気だと聞いている。


 礼儀作法とかも知っているし、育ちがいいから安心して任せられるとアーシャから報告が入っている。


 会見と交渉に参加しているのは義統さん、信秀さん、信康さん、政秀さんなどとオレになる。いや、エルもメルティもいないんで細かいさじ加減はオレが決めないといけないんだ。


「次は武田か」


「はい。現状のままで。商いなら多少譲歩しても構いません。甲斐だと金や銅は欲しいです。求めるのは食べ物でしょうしね」


 最近少しお疲れ気味の義統さんに次の交渉について問われた。苦労人だけに人を見る目があり交渉事も卒なくこなすが、緊張の連続という経験はあまりないからかお疲れ気味なんだよねぇ。


 斯波家の権威も全盛期に匹敵するほど上がっている。それもお疲れの原因だと思うが。今朝はこっそりと登城したケティの診察で少し休養をという進言と共に薬も出していたんだけど。


「西保三郎のこと、よしなにお願い致します」


 武田信繁さん。相変わらず武田家の立場に苦労している。可哀想になるくらいだ。確かに晴信の同盟破りは酷いが、ここまで苦労するとはね。史実だとその強さもあって、評価されていただけに余計に立場の違いがオレにとっては目立つ。


 武田からは塩と食料の定期的な販売を改めて頼まれた。甲斐に関しては、行商人がウチの品を売りに行くことはあるが、武田家としては本当、ウチの品を買わない。買えないのかもしれないが。


 今川が荷留をしているからなぁ。塩がないと詰む。北条も売っているらしいが、複数の入手ルートは確保したいんだろう。


 贅沢品を買わないので儲けもあんまりないね。まあ仕方ない。




「水軍か」


 そして北畠との交渉になった。主な議題が水軍なんだが、義統さんも少し困った顔をした。こちらも彼らの食い扶持を奪ったわけでもない。また沿岸水軍でしかない伊勢と志摩の水軍をどうしろというのがこちらの本音だからね。


 仕方ないなぁ。こちらから提案するしかないか。水軍ならオレが口を出してもいいだろう。


「北畠家として水軍を配下に収めたいのならば、多少お力添えを出来ますが」


「力添えとは?」


「水軍の働き口でよければ融通出来ます」


 晴具さんはオレの提案に更に問うと考え込んだ。悪いけど、久遠船の建造技術は渡せない。国人や土豪に渡すと堺あたりに横流ししても驚かないからね。


「一馬、尾張では水軍をいかに考えておるか、父上に話してくれぬか?」


 話を進める一手は具教さんだった。知っているんだろう。水軍の意味が違うことを。そこまで教えたことないんだけど。


「織田では水軍は税を取るためのものではありません。勝手に税をとることは禁じました。領海を守ることと荷を運ぶ船を守ること、そして外海に出て商いをするための者たちでございます」


 晴具さんが驚いている。陸上の関所のことは聞いているんだろうが、水軍の改革は知らなかったのかも。近習というのは自分たちに都合が悪いことは言わないからねぇ。


「また、水軍衆は海に専念させるために、所領を返上させて俸禄で召し抱えております」


 多分、伊勢の水軍も都合のいいとこしか見てないんだろうなぁ。知多半島とか召し上げているんだけど。


 将来的には水軍と海軍と海運は分ける必要があるだろう。現状では無理だね。武装船団でないと交易は出来ない。


「そこまで違うのか……」


「佐治殿などは所領を自ら返上されて、当家と共に日ノ本の外に出たいと頑張っておられます。正直なところ、伊勢や志摩の水軍は私どもとは違うもの。敵として見ているわけではありません」


 晴具さんが困惑している。まあ当然だろう。税をとる。それが一番の目的と言っていいからね。経済というものを理解していないと。


「嘘はないはずだ。織田の水軍の者らは久遠家の本領にも船を出しておる。かの者らは伊勢の海の争いなど興味がない」


 悩む晴具さんに具教さんが知っている話を教えている。やっぱり知っていたか。意外に油断ならない人なんだよね。


 織田水軍ではキャラック船による久遠諸島への遠征をすでに実現している。ウチの船と船団を組んで荷物を運んだんだ。またウチの船にも人員の訓練のために数人の水軍の人が乗り込むことも何度かあった。


 伊勢の水軍とかは攻められるかと戦々恐々としているところもあるが、正直、チョッカイさえ掛けてこないなら、伊勢湾の水軍の統一なんか興味がない。


 というかアレだね。具教さん、親父さんの説得を小うるさい重臣の居ないこの場でやろうとしているね? 他国は敵だというこの時代だと考えられないことだが、織田と共存する気でいるならあり得るんだよなぁ。


 自身で天下を望まないなら、南伊勢で大和と紀伊に睨みを利かせられる北畠家の価値は高い。


「北畠家で水軍をいかに考えて、いかにしたいのか。よくお考えになってはいかがでしょうか? 水軍を維持したいのであれば、恐れながらもう少し北畠家でじかにおさえるべきでしょう」


 こりゃ、この場で決まらないな。まあ急ぐ話じゃないので構わないが。


 しかし北畠を見ていると、改革がいかに難しいかわかる。


「水軍の話は今後でもよかろう。それより北伊勢は如何いたす? 六角に任せて構わぬか?」


 話が止まったのを見計らって義統さんが北伊勢の問題を口にした。守護であり国司家でもあるが、北伊勢への影響力はあんまりない。現時点では斯波も織田も北伊勢への野心はないと言っているし、領地を得ようという動きをするつもりはない。


「北伊勢は我らの手に余るところ。口を出さぬ。されど六角でまとまるか?」


「難しかろうが、やってもらわねば困る。東海道は要所なのだ」


 晴具さん。北伊勢は不介入か。中伊勢に口出ししてないしね。長野家の使者も影が薄いほどだ。


 ただ、北伊勢が六角でまとまる難しさを晴具さんも気付いていたらしい。北伊勢に影響力がある願証寺は織田に近いしね。一応独立したままだが、あそこは経済的にもう尾張から離れるのは無理だろう。


 久遠船での海上交通が盛んとなった影響と桑名の衰退で、北伊勢と中伊勢の陸路は繁栄してないんだよね。現に北畠のふたりも久遠船での来訪だ。


 北畠家も領内以外だと、伊勢湾に限れば船のほうが安全だというのが現状だし。


 尾張の繁栄を目前にもともと緩い影響下においていた六角が、北伊勢をどうするか。頭の痛い問題だと思う。


 北伊勢の扱い次第では六角は難しい立場に置かれるだろう。義賢さんはどうするんだろうね。




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