第835話・武威と情け

Side:久遠一馬


 寿桂尼さんとの会談の翌日、快晴の空の下で観艦式を行うことになった。


 蟹江港に接岸している船と沖合に停泊している船は、ウチのガレオン型が三隻、キャラベル型が五隻、織田水軍のキャラック船が二隻、織田水軍の新造久遠船が十隻の、合わせて二十隻からなる船団となる。今も港には荷役中のウチや他所の船がいるけど、安全のために作業は中断させている。


 船には斯波家の家紋である丸に二つ引きと、織田家の家紋である織田木瓜の旗が風に靡いている。


 しかし黒い船は数が揃うと威圧感が凄いね。見慣れているだろう人たちも息を呑むほどだ。


 今日は希望者にはガレオン型の船に乗せて、近海をクルージングすることになっている。一部、船が苦手な人は港で見物をするがほぼ全ての人が船に乗ることを選んだ。


「これほど大きいとは……」


 中でもこのクルージングに特別なモノがあるのは六角義賢さんだろう。港に停泊しているガレオン型の船の大きさに素直に驚いていた。管領代だった定頼さんの遺言にあった南蛮船に乗るということに言葉に出来ないものを感じているように見える。


「お待ちしておりました。さあ、どうぞご乗船くださりませ」


 船から降りてきて皆さんに挨拶したのは一益さんだ。実はここも悩んだところ。オレの奥さんを船団の指揮官として見せたくないのでメルティたちと検討したんだ。


 最初は佐治さんにお願いしようとしたんだが、自分はまだ南蛮船には不慣れだからと遠慮された。佐治さんも織田一族だし適任だったんだけど、ウチの晴れ舞台となる場なだけに気を使ってくれたらしい。


 ウチの各船には船長であるバイオロイドもいるので彼らでも良かったが、日ノ本の風習に詳しくないという理由を付けて、一益さんに今回の船団の将をお願いした。


 資清さんを筆頭に滝川家と望月家は、ウチのことを本当によく勉強しているんだ。操船や船の指揮も実務経験こそほぼないが、セレスとかリーファとかによく学んでいたから唐突な役目でもない。


「あれが噂の大砲か」


 ぽつりと呟くように甲板にある大砲を見ていたのは今川の朝比奈さんだ。寿桂尼さんも顔色があまり良くない。


 関東で里見相手に完勝したことと、周防で陶相手に勝ったことも当然聞いたんだろう。小回りが利かないはずの南蛮船で小舟の集団相手に勝った影響は決して小さくはない。それに朝比奈さんなら気付いているはずだ。これだけの船で海から奇襲したら今川としては困るということに。


「相変わらず、即座に船が集まるな。これとても片鱗に過ぎぬ船数であろう? 商いを止めたとは思えん」


「はい。本領と近海で手の空いている船を少し集めただけです」


 ああ、面白げな表情でわざわざ船のことに言及したのは具教さんだ。親父さんの晴具さんとか北条氏尭さんは知っているのだろうが、今川や六角や朝倉などの武家や公家衆に、久遠家の船はまだまだこんなもんじゃないと聞かせたいらしい。


 引き攣った顔になる皆さんを見て、面白がっているよね? 親父さんはどうか知らないが具教さんは海で対抗するのを諦めているらしい。それだけの利は北畠にもわたっているけどさ。


 小笠原さん、姉小路さん、武田さんなんかは、ただ別世界の光景を眺めているかのように見えるが、六角義賢さんと朝倉延景さんは明らかに顔色が悪い。


 頭のいいふたりなだけにいろいろ考えているんだろう。前者の家の人たちは海が身近にないのでいまひとつ実感が湧かない感じか。


「一馬、少し走らせるか。亡き管領代殿の遺言もある」


「はい。では彦右衛門殿、お願い」


「出航する! 全船に合図送れ! 錨を上げろ、帆を開け!」


 甲板を物珍しげに見ている公家衆と武家の皆さんが、ある程度落ち着いたのを見た義統さんの命令で船を出す。


 港には珍しい公家衆を一目見ようと領民が集まっていて、彼らが見送りというわけではないが手を振ってくれている。


 ゆっくりと旗艦というか座乗船にしたガレオン型が動きだすと、それに合わせて随伴する十九隻の船も動きだして陣形を組むように動く。


 別に周囲に敵なんていないけどね。観艦式と思えば当然のことだ。織田の海の力を見せてやらないといけない。




Side:六角義賢


 ああ、陸地がするすると離れてゆく。


 なんと大きな船であろう。大海は知らぬが近江には近淡海もある。船のことも全く知らんわけではない。これほどの大きな船を持つ者が、力のある者だということは考えずともわかるが……。


「御屋形様、風が前から吹いております」


 それに気付いたのは同行をさせた蒲生藤十郎だった。まさかと思いわしも風向きを確かめるが、確かに前から吹いておる。真正面ではないが、何故風に向かって走れるのだ?


「そういう船なのですよ。風が止まらない限りは走れます」


 藤十郎の言葉に周囲もざわつくが、久遠殿は平然とした顔で答えた。それは我らに知られて良いのか? 皆が信じられんという顔をしておる。ああ、以前に乗ったことのあるという近衛公や北畠卿に北条の者らはそこまで驚いておらんな。


 とはいえ……。


「見事な操船ですな。某も水軍を率いる身。まだまだ精進が足りぬと思い知らされました」


「皆が日々頑張ってくれているだけですよ。それにここは波静かな伊勢の内海の奥にある尾張の近海。このくらいの芸当は出来ます」


 そう、操船もまた見事だ。三好家の安宅殿も唸るように操船を褒めておる。風上にも走れてこのような操船をされると海ではよほど考えんと戦にもならん。


「これは凄いの。これならば明や遥か天竺までも行けよう」


 呑気に船足の速さと揺れの少なさに驚き楽しんでおる公家が羨ましいわ。その気になれば海から日ノ本を制することも出来よう。


 父上。父上はそれを知っておられたのでございますか? 何故、観音寺城から遥か尾張の海を見通せたのでございますか?


「全船、空砲用意。これより亡き管領代殿に弔礼の砲を捧げる」


 そんな答えの返ってこぬ問いかけを己の中で問うておると、水軍でも来ぬような伊勢の海の沖まで来ておった。ここで久遠殿は突然なんの前触れもなく父上のことを口にした。


 すぐに船の者が船に備えてある大砲に玉薬を入れて支度をする。そして全船が揃ったところで一斉に大砲が撃たれた。


 火縄銃などとは比べものにならん轟音が辺りに響くと、潮の香りを押し退ける玉薬の焼ける匂いを感じる。公家衆と他家の者らは驚き見入っておった。


 だが、武衛殿を筆頭に織田の者らは皆が目を閉じて祈り始めた。公家衆もすぐにそれに倣うように同じく祈ってくれると、一足遅れて他家の者らも従うように祈る。


 まるでこの世とは思えぬほど静かな海の中、船に波が当たり、風が吹き抜ける音が聞こえる。


「……では、戻りましょうか」


 祈り終えた久遠殿は空を暫し見上げておった。多くを語らぬまま、船は蟹江に向けて進路を変える。


 わざわざ父上の冥福を祈る場を設けてくれたのか。船の上で大砲を撃つのは久遠流というところだろう。


 父上、わしは……父上に追い付けるのでございましょうか?


 このような者らと対峙して六角の家を守れるのでございましょうか?


 仏の弾正忠。そんな異名を思い出す。『困ったら内匠頭殿を頼れ』。あの言葉を口にした時の父上のお顔は今でも忘れておらん。


 尾張の者はなんとふところ深く義理堅いのだろう。


 涙が込み上げてくる。だが涙は見せられぬ。わしは六角家を守らねばならんのだ。このようなところで涙など見せて良いはずがない。


 だが……。もし父上が口にしておられた新たな世がくるのならば、わしは六角家を新たな世に残さねばならん。


 いつか泉下で父上に会った時に誇れるように。


 幼き頃のように褒めていただけるようにな。



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