第833話・花火の残り香

Side:久遠一馬


 花火が終わるといつもの夜に戻っていた。


 虫や蛙たちの声がやけに大きく聞こえる夏の夜だ。


 公家衆の皆さんは花火でお酒も進み、ほろ酔い以上の人も多い。中には和歌を詠んで、過ぎた時を名残惜しそうにしている人もいるが。


 無事に終わって良かった。ホッとしたのが本音だ。打ち上げ職人は今のところ人に擬装したロボット兵なので打ち上げ失敗はあまり考えていなかったが、騒動を起こして花火を潰そうとしたりする謀とかなくて良かった。


 報告を待たないと詳しくはわからないが、少なくとも騒動が起きたという報告がないのは安堵している。


 きっと関係各位のみんなが頑張ってくれたんだと思う。


「終わったな」


 オレも自分の席について、ゆっくりとお酒と残っていた料理を味わう。隣の信長さんが労いの言葉と共にお酒を注いでくれた。


「そうですねぇ」


 信長さんもすっかり文治統治に慣れて頑張っている。今回の花火大会でいかに多くの人が働き頑張っているかは理解しているはずだ。それ故に無事に終わって一仕事終えた爽快感でもあるように思える。


 見上げると綺麗な星空が見える。あれは天の川だろうか?


 お酒の飲み方はこの世界に来て少し変わった。四季を楽しむように飲むようになったのはこの世界に来てからだ。季節の食材を肴に四季の彩りでお酒を飲む。この世界の人は当然の飲み方なんだけどね。


 それぞれに抱えるものがあり思惑がある。純粋な花火を楽しむ宴ではないが、それでも花火というものが人々の心に残り、なにか前向きな道に進むきっかけになればいいと願わずにはいられない。


「隆光殿……」


 ふと冷泉さんこと隆光さんに目を向けると、目の前にお酒を注いだ盃を置いて、それを見ながら飲んでいた。


 この花火は大内義隆さんを追悼する花火でもある。オレはあの世とか天国や極楽なんて信じてはいないが、それでも何処かで大内義隆さんがこの花火を見事に見届けた隆光さんを誉めてあげていればいいと思う。


 ここにこれだけの公家衆の皆さんや武家の皆さんが集まったのは彼のおかげだ。彼は自身の遺言という形で、新しい世に隆光さんと公家衆の皆さんや武家の皆さんを導くという大役を果たしたのかもしれない。そう思える。


 大内義隆という人の名は、恐らく史実とはまったく違う存在として歴史に残るだろう。オレの知る史実との違いは遺言を残した程度のごく僅かな変化だ。


 ただ、その僅かな変化が大きいんだろう。


 悲劇の武将。早すぎた名君。そんな異名が残るのかな。


「一馬よ。世は広いのであろうな。海の向こうは更に……」


 そのままのんびりと飲んでいると意外な人がこちらに近寄り声をかけてきた。


「内府様。そうでございますね。私も大半は話でしか聞き及びませんが」


 内府、近衛前久さんだ。史実では織田包囲網の構築に動いたり、上杉謙信や織田信長と親交があったりする乱世でもっとも有名な公家のひとりだろう。


 まだ親父さんが現役であることから、幾分若くヤンチャな感じもあるが。


「富士の山よりも高い山もあれば、砂だらけの土地もあると聞き及びます。また夏でも氷が溶けぬところもあるとか」


 せっかくだからこの人とも誼を深めておこう。興味を引きそうな話を簡単にしていく。


 特に意識したわけではないが、いつの間にかオレの話を静まり返ってみんなが聞いていた。半信半疑かもしれない。信じられないかもしれない。


 それでも世界の広さと面白さを知ってもらえれば、史実と違う未来へ進めるだろう。


 花火とカキ氷という僅かな時しか楽しめない贅沢を経てならば、きっとみんなの心に何か残るはずだ。


 頑張ってくれたみんなと、一緒に花火を見てくれた多くの人に感謝する夜にしよう。


 明日がもっといい日になるように。




◆◆◆


 『津島大花火の宴』


 天文二十一年、六月。津島天王祭りの奉納花火として行われた花火大会の際に、大内義隆の法要に訪れた者らで開かれた花火見物の宴のことである。


 きっかけは大内義隆の遺言であり、『織田統一記』には大内義隆を偲ぶ花火であったと記されている。


 当時、久遠家の花火はすでに世界でも類を見ないほど進んでおり、夜空に大輪の花を咲かせたことで一馬は本当に人なのかと二条晴良が問うたという逸話が残っている。


 もともと一馬はあまり上昇志向のない人物だったようで、この花火や大内義隆の法要以前は、あまり対外的な公式の場に出ていなかった。


 『資清日記』には、名を売るような席よりも家臣や孤児の子らと共に過ごすことを望んでいたとある。


 一馬がここでそれまでとまったく違う行動に出たのは、ここが天下分け目の時であると考えたからだと伝わっていて、事実、大内義隆の法要から始まる一連の出来事は、歴史のターニングポイントのひとつと言えることだった。


 また織田と久遠が日に日に強大となっていくことで朝廷と対立することを危惧した一馬が、織田家と久遠家の力を総動員して開催したのがこの花火大会であると、太田牛一の考察を示す記載が『久遠家記』にはある。


 更にこの花火の宴では『カキ氷』が振る舞われたようで、宴に参加していた者たちが度肝を抜かれたという。


 冷凍庫や冷蔵庫どころか潜熱や熱交換の概念もない当時の氷は冬場に作り、氷室で保存して夏場に食していたが、戦乱が続くことで身分の高い公家ですら滅多に口に出来ないものだった。


 そんな氷をカキ氷として出したばかりか、織田領以外では貴重である甘味として出された衝撃は現代の人には想像が出来ないものだったようである。


 なお、この時に出された抹茶練乳小豆のカキ氷は、現代では『天文カキ氷』として知られているもので、花火見物の定番メニューとして屋台でも人気になっている。




 この大花火の宴の諸勢力の反応は様々であるが、公家の反応は山科言継の『言継卿記』に詳細が記されている。


 当時京の都が荒廃していて、越前や周防や駿河に公家が避難していた時代であるが、尾張のあまりの発展と賑わいに加えて、花火という衝撃から、尾張に大いに関心を持ち目を向ける大きなきっかけとなったようだ。


 武家の反応もまた様々で、当時の朝倉延景や今川の寿桂尼は斯波や織田と対立する自家の現状を危惧して大いに戸惑い、和睦と因縁の解消を模索するきっかけとなったようだ。


 さらに斯波や織田と友好関係にあった六角、北畠、三好、北条などは表向きは大きな反応を示していなかったが、その力を知ったことでこの後の動きに影響を及ぼしたと言われている。


 公家や武家の一馬の評価は、恐ろしいと評した者もいれば、雅なものを理解する素晴らしい男だと評した者もいる。


 武力で京の都を荒らしていたそれまでの上洛軍の武士と比較して高く評価をされたが、あまりに力のある一馬を警戒する者もいたという。


 現代では久遠一馬が自ら積極的に動いたこの件は、一馬による武器を持たぬ戦だったのだという見方をされている。


 久遠一馬による自ら大将とならない天下取り。そう言われることもある。


 ひとつ確かだと言えることは、久遠一馬が歴史の第一線に立ったのはこの宴からだったというのが定説となっている。




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