第832話・菊丸の花火大会
Side:足利義藤
「美味いな。このタレがたまらん。されど何故、久遠家の肉はこうも美味いのか」
秘伝のタレを付けた肉を鉄の串で刺して焼いた肉。これがまた美味い。鶏と猪だという。何故これほど美味いのであろうな。
同じ肉のはずが、久遠家で食う肉と他所で食う肉ではまったくの別物に思えるほど。魚にしてもそうだ。臭いと思えるものが消えておるのだ。
「下拵えの違いが大きいネ。 獣の肉は臭みがあるヨ。でも下拵えをきちんとして味付けをしてやれば美味しく頂けるネ」
如何すればこれほど美味いものが作れるのかと考えておると、新たに焼けた肉を持ってきた唐の方が教えてくれた。ここは津島の久遠家の屋敷だ。かの者が主となるのであろう。
「それは久遠家の秘技でございますか?」
「秘技と言えば秘技ネ。でも知りたいなら教えてあげるヨ。秘技には伝えてこそ意味のある秘技と、伝えられない秘技がある。これは前者ネ」
是非、これを習い師に振る舞いたいと思うておると、なんと教えてくれるという。
「かたじけない」
伝えてこそ意味のある秘技か。久遠家の恐ろしきところだな。知恵と秘技で国を変えようとしておるのだ。
「今日は忙しいから、明日ネ」
唐の方はそう言うと庭にある
「さあ、与一郎。そなたも食え」
花火とやらはまだか? 酒に酔っては楽しめぬかと思い、花火まではと酒を自重しておるのだが。
慶次は鉛筆と申すもので絵を描きながら一足先に酒を飲んでおるし、新介殿はいつもながら静かに嗜む程度に酒を飲んでおるがな。
「そろそろですぞ」
日が暮れると、中の螺旋香に火を
そのなんとも言えぬ匂いに心地よさを感じておると、新介殿が声をかけてきた。
「花火だ!!」
周りの者らが皆、空を見上げる。幼い子らは待ちきれないと言わんばかりに喜びの声を上げた。オレはそんなここでは当たり前の光景が珍しきものだと知っておる。
飯も食えず捨てられる子や売られる子など珍しくない。我が子を捨てることに心を痛めることすらない世なのだ。
一馬は、かつて素破が自害して悲しんでおったという。あの男に会うまではオレも同じであったろう。顔も見たことのない民がいくら死んでも気にもせぬままであった。
「ああ……」
光が天に昇る。
久遠の知恵は天にすら届くというのか?
「!!!!」
それは……、まことに花であった。丸い花が夜空に咲いたのだ。
「わー!」
「きれい!!」
ほんの僅かな刻しか咲かぬ花。その美しさに子らが騒ぎ、皆が見入って喜びを分かち合う。オレはその様子に震えておるかもしれぬ。
「菊丸殿、さあ、一献」
ここは極楽か? そう問いたくなるほどの様子に、ただ空を見上げておると、慶次が酒を注いでくれた。
「うむ……凄いな」
オレは周防で南蛮船から大砲を放つ様を見た。あれもこの花火も同じ玉薬を使っておるのだという。如何にして考えればこのようなものを作れるのだ?
久遠の知恵に出来ぬことはないのか?
「このために生きておると申す者も尾張にはおる。また来年、花火を見るんだと頑張るのだ」
慶次が描いておった絵が見えた。花火を楽しみに待つ子らを描いておったらしい。確かにこれほどのものならば、来年も見るために生きようと思うはずだ。
考えたものだ。これならば数多の民に見せることが出来よう。富める者も貧しき者も等しく。それらの者がまた花火を見るために織田の名の下に集い戦う。
まことに尾張は天下を狙えるのではないのか? いや、尾張こそ天下を狙うべく天命を受けておるのではないのか?
「オレも……来年もまた見たいものだな」
足利の家も将軍の地位も……、些細なものに思える。この花火を見ておるとな。来年は師にも是非見せてやらねばならん。
そうか。人の上に立つ者は、人に生きる光を与える者でなくてはならんのかもしれん。
それは足利の権威ではない。少なくとも今の世ではな。
来年も必ずや花火を見よう。
Side:織田信秀
幾度見てもよいものだな。雅とやらも風流とやらもさほど興味はなかった。されどこうしてやってみるとよいものだと思える。
公家衆とはこれで誼を深められるであろう。だが……。
「安堵しておるようじゃの」
「はっ」
ふと公家衆と話す一馬を見て安堵した姿を守護様に見られたらしい。微笑ましげな様子で言葉少なく声をかけられた。
権威も地位も興味のない男だ。放っておくと孤児院の子らと畑を耕しておるか、犬とのんびりと寝ておるような男だ。
この先に不安があるとすると、それは敵ではなくむしろ一馬にあった。次の世を見られる知恵と才覚がありながら天下を面倒事のように言い切る男。
一馬が公家衆といずこまで分かり合えるか、それだけは案じておった。
優しい男だ。いや、優しすぎると言うべきか。大内卿が世に嫌気がさしておったように一馬もまたこの乱世を生きるにはいささか不安の残る男なのだ。
時には他者を押しのけて、殺してでも生きねばならぬが、一馬にはそのようなことが出来るのかと思うとわしにもわからぬ。
故に一馬が公家衆と自ら誼を深めて花火と氷で己が力を見せたことは、素直に安堵した。
「そろそろ残り僅かです。この後は、今までにみせたことのない花火となります。まだ試しているものなので成功するか、わかりませんが」
この世の極楽とも思える花火と酒と氷で上機嫌の公家衆が、一馬の言葉で再び静まり返った。
「まだ、なにかあるのか!?」
もう驚くのは困ると言いたげな二条殿下が我を忘れたように声をあげる姿に、思わず笑ってしまいそうになる。
日頃尾張の者が驚かされておる姿がそこにあるからだ。
「おおっ……!!」
夜空に咲いた花火に皆のどよめきが起きる。
「花火が!?」
青い花火が上がったのだ。これはわしも初めて見た。
続けて黄色の花火が上がるとどよめきが大きくなった。
「実は花火の色を変える技を見つけましてね。これをさらに改良していけば、もっと美しい花火も出来るかもしれません」
久遠の者は武芸を修錬するように技や知恵も修錬するのだ。それを知らぬ者からすると理解出来ぬことであろう。
古き習わしを受け継ぎ、それを伝えることを考えておる公家にとっては驚愕であろう。
公家は変われるか? 新たな世に生きる者として。
いつまでも平安の世を懐かしむだけでは如何ともしようがないのだ。それを理解して変われるかが今後を左右しよう。
武の力ではない。花火でそれを見せるは一馬にしか出来ぬことよ。
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