第831話・やる時は徹底的に
Side:二条晴良
すっかり日も暮れたの。いつもならば酒で酔いしれておる者も多い頃じゃが、この日はまだそこまで飲んでおる者はおらぬ。花火が如何程のものか。皆が見てやろうと待っておる。
夜空に花を咲かせるなどと聊か誇張された噂であることがわかるが、それを加味してもこれほどの見物人が集まることには期待してしまう。
「酒は美味い」
思わず噛みしめるように呟いてしまった。酒は都とは比べようもないほど美味い。これほどの酒を都に売りに参れば、それだけで如何程の名を上げて銭を儲けられるかわからぬほど。
それを主上に献上するだけで、あとは尾張に買いに来る者にしか売っておらん。酒座が厄介なのはわかるが、左様なもの織田の銭があれば黙らせることも出来よう。
畿内に野心がないという話、まことかもしれぬ。
粗暴で都に参るたびに荒らす武士など汚らわしいとすら思うこともあるが、尾張に
「そなたの父御にも見せたかったの。雅なものが好きな男。尾張も気に入ったであろうに……」
近衛公が織田を藤原の者と認めたこと、あまり気が進まなんだがこうしてみると正しかったと思える。左様なことを考えておると近衛公が盃の酒を飲み干し、周防で亡くなった父上のことを口にされた。
都を捨てた父上に、吾は不満もあった。主上は動座も
今でも父上の死は、己が招いたことよと冷めた思いで考えることもある。
「そう
近衛公の言葉に吾は、そんな冷めた思いが顔に出ておったらしい。顔を近づけて小声で囁くように忠言されてしまった。
「ありがとうございます」
内府が羨ましいと思う。このような父御がおってな。
「皆様、そろそろ花火が上がる刻限でございます」
久遠の一馬の言葉に待ちきれん者らが一斉に空を見上げた。このために遥々尾張まで来たのじゃ。つまらんと末代まで笑われるであろう。
久遠の一馬か。相変わらず顔を見てもよくわからぬ男だ。自信がある様子でもなく、結果を恐れる様子もない。あの男にとってこの花火とは如何なるものなのじゃ?
「あれか!?」
細い光が空に上った。公家衆がそれに騒ぐが、吾は聊か落胆を隠せぬ。あれでは線香花火とやらのほうがよいではないか。
Side:久遠一馬
賑やかな夜だ。城の周りにも見物人がいるので人々の賑わいが聞こえる。
さあ、花火大会の始まりだ。
一筋の光が夜空に上る。みんなわくわくした様子で見上げているね。でも二条さんとか数人が残念そうな顔をしたのを見逃さなかった。
甘いね。あれが花火のすべてではない。
ゆっくりと空に駆け上った花火は、一瞬にして闇夜を照らす大輪の花を咲かせる。
その光の花に公家の皆さんと招待客の皆さんの動きが止まった。
僅かな時間差で花火のもうひとつの醍醐味である大気を震わす音が響くと、ポカーンとまるで時間が止まったかのように空を見入っている姿が見られた。
以前にも見たことのある山科さんや駿河と越前から来た公家の皆さんは、そんな人たちを面白そうに見つつ花火を楽しんでいる。
「……あれが花火か?」
「はい、あれが花火でございます」
二条さん、盃からお酒が零れていますよ。あまりの驚きに盃を持っていたことを忘れて傾けてしまったらしい。
「相変わらずよいのう、花火は。このためならば幾度とて尾張に来とうなる」
山科さん、ご機嫌だね。二条さんとか近衛さんとか五摂家、公卿家の皆さんが唖然とする姿を見て楽しんでもいる。
「そなたは……まことに人か?」
その問い掛けは冗談ではなく本心からの言葉だろう。恐れや戸惑いが二条さんの顔に見える。
「
神仏が信じられて、祟りや鬼が信じられている時代だ。妖術扱いされることも時々あるからね。線香花火を前に朝廷にも贈ったし、そこまで驚くとは思わなかったが。
フリーズしていた人たちが我に返ると、次の花火が上がる。現状ではオレンジ色の昔ながらの一色の花火だが、それでもインパクトは絶大だったらしいね。
今度はみんなが花火を楽しめたようで夜空を見つめ、中には祈る人もいる。
「では、もうひとつ。とっておきを皆様に」
元の世界と違い連続で上がらず、一発おきに少し時間がある。十数発ほど上がって、そろそろ皆さんも慣れただろう。花火の合間にもうひとつの切り札を出そう。
働いている奉公人の皆さんにお願いして準備していたものを運ばせる。
「一馬よ。これは……」
硝子の器に山を作るように盛った白いモノ。そこには抹茶と練乳と小豆が乗っている。近衛さんは薄暗い中でもそれを見て何かに気付いたのか、少し震えるような声で問い掛けてきた。
「氷でございます。融けてしまうのでお早めにお召し上がりください」
「こっ……氷じゃと!?」
近衛さんの驚きの声に、織田家中の皆さんを含めて視線が一気に集まった。知っていたのは義統さんや信秀さんと信長さんたちのごく僅かと料理人たちだけだ。サプライズにしたかったからね。
氷は関ケ原で昨年の冬に試験的に作り、突貫工事で作った氷室で保存したもの。全量を買い上げてこの日に使ったんだ。運搬も含めて恐ろしい費用がかかったけど。
「かようなものまで……」
「まことに冷たい」
「この味は……!?」
驚いてる、驚いてる。今川とか朝倉とか武田とか、信じられんと言わんばかりにまだ固まっている人もいるけど。
「皆様に驚いていただき、恐悦至極。私どもの精いっぱいのもてなしでございます」
これだけやると織田を馬鹿にする人はいないだろう。やる時は徹底的にやるべきだ。どのみち銭儲けばかりすると陰口を叩かれているんだからね。
「これは……、茶か?」
「はい、茶と牛の乳から作った蜜と小豆を添えてあります。混ぜてお召し上がりください」
練乳抹茶小豆を食べるお公家様。面白い光景だ。
空に花火が上がるとそっちに視線が向き、花火が消えるとカキ氷に視線が戻る。愛おしそうにちょっとずつカキ氷を食べるお公家様というのは、なんか可愛いと思えてしまう。
寿桂尼さんも食べているね。女性は特に好きな味だろう。とっておきをご馳走したんだし、頑張って戦にならないように動いてほしい。
朝倉延景さんはとちらりと視線を向けるとこちらを見ていた。今回の法要で話す機会が多かった武家は北条家の皆さんを除くと延景さんなんだよね。
なんというか家と家の因縁よりも個人の好奇心が勝っていた感じか。あと地味に尾張の技術とそこからもたらされる利益を察していた。そのおかげだろうか。戦なんて御免だと考えていそうな感じ。
このかき氷を作るのにも、どれだけの苦労とお金がかかるかと察してくれていそう。オレ個人としては仲良くなれそうな人ではある。
六角義賢さんは少し顔色が悪いかな。こちらは苦労人の立場だからなぁ。朝倉家には宗滴さんがいるが、六角家には義賢さん以上の人はいない。すべて自分で抱えなくてはならないのは辛いだろう。
姉小路さん、小笠原さん、武田さん、伊勢神宮の神職、本願寺の高僧とかは信じられないという表情のまま
ああ、割と平然としている人がいる。松永久秀さんだ。本当に楽しげにしていて同行している安宅さんがそれを見てビックリしているほどだ。
ところで、近衛晴嗣さん。お代わりはないよ。さすがに。カキ氷のなくなった器をもって寂しそうにしないの。
あなたは歴史に残る偉人でしょうに。
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