第830話・久遠一馬という男

Side:エル


 東の空に星の輝きが見える時間になりました。


 私は今年も学校の子供たちと共にキャンプをしています。


「大智様、召し上がってください!」


 まだ幼さの残る子が私に夕食を持ってきてくれました。みんな私が妊娠していることを知っています。今日は自分たちが支度をするから休んでいてくださいと言われて、私はのんびりと見守っていただけです。


 先ほどには津島神社の市で働いていた孤児院の子供たちも合流して、みんなで夕食の時間になります。


「ありがとう。美味しそうね」


「はい! 美味しゅうございます!」


 魚のうしお汁と肉のみそ焼きに、焼きおにぎりがあります。本当に美味しそう。


「大丈夫かしらね。ウチの殿様は」


 みんな自分たちで作った夕食を美味しそうに食べています。私もさっそく頂きますが、思っていた以上に美味しく、みんな料理もしっかりと勉強していることが嬉しい。


 そんな私に、少し心ここにあらずといった様子のジュリアが声をかけてきました。千代女殿もお清殿も、そんなジュリアの言葉に少し心配そうにしています。


 私は勝幡城の方角をちらりと見て少し笑ってしまいました。戦場では無類の強さを発揮するジュリアにとっては、自身の手の届かぬところが案外心配なのかもしれませんね。


「大丈夫ですよ」


 思えばこの世界に来て、私たちがこれほど離れたことは初めてかもしれませんね。ちょっとした挨拶程度の謁見を同席しなかったことはありますが、歴史に名を残す武将や公家の皆さんと司令だけで対峙するなど、あの司令が望むはずがありません。


 司令は、ごく普通の人だったんですから。私たちにとって。でも……。


「信じておられるのですね」


 私の言葉にジッと見つめてくるジュリアの代わりに口を開いたのは、普段は控え目なお清殿でした。


「ええ。それもあるわ」


 いつの間にか一緒にいるパメラやリリーやアーシャもこちらを見ています。みんな心配なのですね。


 信じている。お清殿が言うようにそれもあります。


 でも……。


「殿はね。なかなか本気を出してくださらないお方なのよ。優れた者に任せるのがお好きだから」


 そう、司令は自らは決断をするくらいで、あとは考えを巡らすことはあっても、必ず周りに相談をしてから動くほど慎重な人。日頃からコツコツと積み重ねて、必ず余裕ある状況を作り出すことを信条としていたわ。


 でもね、初めから私たちのような高性能アンドロイドに囲まれて、無敵の宇宙要塞に籠っていたわけではないのよ。


 直接的な戦闘はあまり得意ではない。とはいえ身体強化と睡眠学習で、並み以上の武士としての能力はあるわ。それに……、戦略的な思考はむしろ得意だったのかもしれない。


 もしかすると私たちの存在が、司令にとって経験すべき機会を奪っていたとも言えるのかもしれないと最近になって思うようになった。


「尾張に来てもうすぐ五年になるわ。日頃は変わったようには見えないけど、大きく変わったと私は思うわ。殿も武士となられたのだとね」


 そう、自ら動くのは決して好きなタイプではない。みんなが全力を出せる環境を整えて、それを見守るのが好きな人。


 でもね。司令も変わったわ。大殿が変わり、若様が変わり、私たちも変わったように。司令も変わったと思うのよ。


 きっかけは大殿かもしれない。如何にして人の上に立つべきか、立つ身は如何にあるべきか。


 大殿はこの世界で生きるうえで大切なことを司令と私たちに見せてくれた。時には温かく見守り、時には経験を積めるようにと考えて命じてもくれたわ。


 私たちは不老にはなれるが不死にはなれない。そして多くの家臣や仲間を抱えてしまった。そんな状況と大殿の想いが司令を育てたのかもしれない。


 今回の公家衆との行事を、司令はほぼ自身の判断と才覚で乗り切った。それは以前の司令にはなかったこと。


「へぇ。そうかねぇ。身近にいてもわかんないこともあるんだね」


「そういうお方なのよ。自身の才や力を見せようとは思わない」


 私の言いたいことをジュリアたちも理解してくれたよう。少し興味深げに聞いて司令に思いを馳せていた。


 多くの人との出会いは人を育てるわ。それは私たちも司令も変わらない。楽しみね。花火に驚き恐れるかもしれない公家や近隣の者たちがどう変わるか。




Side:久遠一馬


 笛や太鼓の音が聞こえる。今年は巻藁船を見られないのは残念だ。


 公家の皆さんと招待客の皆さんは人の多さに驚いていた。身辺の安全や身分の優遇に配慮してますと、示すために街道を封鎖していたので移動自体はスムーズに出来たが、勝幡城の近隣も花火見物の人でいっぱいなんだ。


 あと今年もこの花火大会に合わせて諸国から商人がやってきた。津島・熱田は元より蟹江でも大勢の商人が滞在しているんだ。


 蟹江の湊屋さんからは、忙しすぎて報告に来る暇もないという書状が届いている。ミレイとエミールも同じようだし、熱田のシンディも忙しいようだ。


 あとは現在尾張にはオレの奥さんで尾張に常駐しているメンバー以外にも、休暇組の二十名と応援のために二十名の計四十名が滞在していて、半数は休暇のはずが、みんなあちこちで花火大会のために手伝ってくれている。


 人口の何倍もの人が一度に来るんだ。泊まるところは寺社とゲルで対応しているが、食糧の確保だけでもこの時代では簡単ではない。あと治安維持を担う警備兵と忍び衆も同様だ。


 忍び衆に関しては伊賀者を臨時で雇っている。夏場の農閑期は人手が余っているようだったからね。手薄になる関ケ原などの美濃や三河などで目を光らせてもらっている。


 年々見物人が増加しているからね。前年の何割増しで準備をしても大変なものがある。


 もっとも経済効果が馬鹿に出来ないものがある。領外からの見物人はそこそこお金を持っているからね。まあ鐚銭や悪銭も多いが、この時期はよほど悪質な者以外は良銭と変わらぬレートでの取引を指示している。


 はっきり言えば宣伝目的だ。花火と尾張の商品の宣伝効果は絶大になる。


 悪銭と鐚銭は花火大会が終わったのちにウチで良銭と交換してやれば、商人が損をすることはない。あとは新しい銭の材料にでもすればいい。ウチはそれでも損をしない。


 まあこの経済効果のからくりには気付いていない人が多い。領民を含めた大多数は斯波家・織田家・久遠家の権威と力を示す施しのようなものだと考えている。


 確かに初年度から数年は織田家とウチの持ち出しの赤字だったろうが、去年とか今年くらいになると経済効果と周辺諸国への影響に、公家の皆さんとの関係強化を考えると十分に採算に見合うイベントになっている。


 正直、各地の商人との取引の概算の数値だけでも莫大だ。その事実は大湊の会合衆やウチと織田家のごく一部しか知らないことだが。


「これほどの祭りをやれるとはのう」


 公家の皆さんは津島神社の天王祭と花火大会の規模に驚き、それをやらせている織田家とウチの財力にやはり驚いている。


「今年は皆様がいらっしゃるので特に盛大になっております。当家の者も皆楽しみにしておるほどでございます」


 ちなみに義統さんや信秀さんと話し合い、採算は取れないということにしている。公家の皆さんにも織田家とウチが持ち出しでやっているという説明をしているくらいだ。


 花火の値段はそもそもあってないようなもの。火薬の原料である硝石が日ノ本だと高いので相応の値にはなるが。


 とはいえ妬みや嫉みを買う立場でもあるので、明かさなくてもいいからくりは明かさないことにしている。織田家中でさえ、ウチで指導した一部の文官くらいしか全容を知らないことだからね。



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