第829話・公家の花火見物
Side:細川藤孝
なんという賑わいだ。津島は町ばかりか近隣の村まで人で溢れておる。ゲルと申す大陸より伝わったとある天幕のようなものが町の外にはあちこちに並び、まだ日が高いというのに酒を飲んで騒いでおる者も多い。
「これが皆、花火見物にきたのか!」
上様はよほど楽しみにされておられたのだろう。ご機嫌なご様子で昼前には津島まで自らの足で歩いてこられた。
いずこの道も津島に行く人で溢れておって、あまりの人の多さに馬で来るのが大変なほど。もっとも上様は身分を隠しておられるので馬には乗られぬのであろうがな。
「年々、見物に来る者が増えておるからな」
案内はやはりこの男らか。楽しげな滝川慶次郎殿と控え目な柳生新介殿。某としてはもう少し警護の者がほしいところだが、今日は警護の者を増やしてもあまり役に立たんと柳生殿が言っておった。その訳が来てみるとよくわかる。
人と触れずに歩けぬほどの賑わいなのだ。周りを護衛で固めては余計に目立ってしまう。
しかも今日は公家衆も花火見物をするためにこちらにやってくる。そのせいで昼には清洲から津島への街道が使えなくなるので、朝一で清洲から津島に集まった人が多いのだ。
「慶次殿、神社に参り、市にでも顔を出そう!」
「ああ、あちこち回るなら日が暮れる前がいい。夜になれば更に人が増えるからな」
晴元を筆頭に誰がお命を狙っておるか分からんのだ。津島にある久遠殿の屋敷で大人しゅうしておられるとよいのだが、上様はそのようなお方ではない。
城で怯えて生きるよりは、野に出て思うままに振る舞い死することを望まれるだろう。某としてはそれでよいのか分からんがな。
征夷大将軍として武家の棟梁としての身分を捨てるおつもりなのだ。
「与一郎、見ろ! 紙芝居があるぞ!!」
側近に囲まれ、なにひとつ勝手が許されなかった頃には見たことがない笑顔で某を呼ぶ上様の姿に思わず見入ってしまう。
このお方おひとりくらい、すべてを捨てて生きる将軍がおられてもいいのではと思える。
某はお供を致そう。たとえこの先に如何なることが待っておろうとも。
Side:近衛稙家
共にここまで参った公家衆もまた大半はこの花火を楽しみに参ったのじゃ。皆、待ちきれんと言わんばかりの顔であるな。
隆光は大内卿の遺言をいよいよ守るのじゃと気を引き締めておる。羨ましくもあるの。死してなお、あそこまで忠義を尽くす家臣がおるというのは。
「見事な道じゃの」
「父上?」
ふと吾らが歩く道があまりに良き
清洲を出ると川には橋が架かっており、荒れた家や焼けた家も見当たらぬ。しかも荷車のようなものをあちこちで使うておるのがわかるほど。
「道ひとつでも、如何にして国を治めておるかわかるというもの。戦や一揆を恐れて、道を設えることを愚か者のすることよと笑う者があまりに多い。されどな。こうして道を設えるとよきこともある」
この道の良さに気付かんとは倅もまだまだよの。今の世には当たり前にあるものなどないのじゃ。道ひとつでさえ心して設えねば荒れ果てる。食うものにも困る今の世で、道を設え、町を整える者を恐れずして誰を恐れるというのじゃ?
「雅なものを知る証でございましょう」
「それだけではあるまい。民に慕われておる武衛と内匠頭じゃ。戦になれば瞬く間に民が集まるぞ。わしが武士ならばこのような国を相手になどしとうないわ」
雅なものか。倅も知恵を絞ったの。それもまた価値のあるもの。されど斯波と織田は武家なのじゃ。絶えず戦に備えておるのがわかるわ。
美濃の斎藤新九郎がろくに戦いもせずに織田に降り、伊勢の北畠卿が誼を深めておるのも当然のことよ。越前の朝倉、駿河の今川、甲斐の武田の者などは宴の席で北畠卿を羨ましげに見ておったほど。
武衛と内匠頭ばかりか、久遠の一馬とも親しげに話す様子を幾度も見せておったからの。
さて、花火とやらは如何程のものやら。山科卿の話はふたつとないとまで言うておるが。
楽しみよの。この乱世に如何なる雅なものを見せてくれるのか。
Side:久遠一馬
公家と招待客御一行様が津島へ行く。行く先は
信秀さんの父である織田信定さんが築いた城とも言われていて、今も城代が守っている城になる。現在でも津島と近隣の拠点のひとつだ。まあ防衛というよりは津島の商いを含めた行政の拠点でもある城だが。
公家と招待客の皆さんは勝幡城で花火見物をすることになる。津島神社やウチの船での花火見物も検討したが、公家の皆さんってよくお酒飲むんだよね。
慣れない船や人が多い津島神社よりは勝幡城のほうが守りやすいし、気楽に宴で楽しめるだろう。
オレも今年は信秀さんたちと一緒に花火見物だ。本当は今年も子供たちと一緒に花火見物をしたかったんだけどね。こればっかりは仕方ない。
孤児院の子供たちは津島神社の市で屋台をしているし、学校の子供たちは今年も川辺でキャンプをするはずだ。あちこちからの見物人も増えたが、子供たちはこの花火をなにより楽しみにしているからね。
ちゃんと場所を確保している。
義輝さんは朝一で花火見物にと那古野の屋敷を出ていった。自由で羨ましくなるくらい楽しげな様子で出発したよ。
「そなたの気持ち、少しわかるな」
休憩を兼ねて途中で休んでいると、今年はオレと同じくお偉いさんとの花火見物になった岩竜丸君が声をかけてきた。
今回は岩竜丸君も、自身よりも高い身分の大人たちを相手に頑張っている。蹴鞠では学校の子供たちを率いて
中にウチの孤児院の子が混じっていたのはオレも驚いたが、普通に巧いので岩竜丸君が抜擢したらしい。
単純な文化だけではない。レクリエーションであり運動でもある。この時代だと石合戦とか放っておくと危ない遊びをするからさ。蹴鞠くらいのほうが安全でいいレクリエーションになる。
そんな岩竜丸君も本心では子供たちと一緒にキャンプがしたかったらしい。一緒に準備してご飯を作り、花火見物をする。解放された状況を望んで当然だろう。城では上げ膳据え膳ではあるが、父親の義統さん自身が『己を律する』だけに、高い身分の大人に混ぜられても、岩竜丸君にとっては特に楽しいことでもないのかもしれない。
「若武衛様はそういう御身分なのですよ」
オレたちが緩めた分だけ、今回は自分の身分と立場を実感したらしいね。頑張ってほしい。足利家に近い斯波家が天下を取ることは難しいだろうが、それでも岩竜丸君は特別な身分の人間なんだ。
仮に織田家が天下統一しても相応の身分で生きることになる。誰かさんみたいに町道場をやるとかぶっ飛んだ夢を持たない限りは。
「そなたも人のことは言えぬぞ」
アハハ……、そうなんだよね。岩竜丸君に見事に言い返されてしまった。
一介の家臣で良かったんだけど。難しいね。生きるって。
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