第823話・義隆の残り香

Side:エル


 夏の日差しが縁側に差し込んでいます。ロボ、ブランカと仔犬たちも暑いのか、今日は屋敷から出ません。吹き抜ける風がまだ涼しいので幾分過ごしやすいですが。


 もともと仮想空間では宇宙をメインにしていた私たちにとって、四季の変化そのものが新鮮なものです。気温も湿度も常に一定にコントロールされた宇宙要塞と違う世界。


 生きるということを日々実感しております。


「ふふ、そうですか」


 清洲城から急遽届いた書状、何事かと思えば司令に官位をと打診があったとは。思わず笑ってしまいました。


 遅かれ早かれこうなることは予想していましたが、周防の一件の褒美としてこれが持ち出されたことは、それだけ朝廷にとって織田と私たちが無視出来ぬ存在になったということ。


 出来れば数年は内政に励みたかったのですが。そうなにもかもが、上手くはいきませんね。


「如何した?」


「当家の主に官位が頂けるようでございます」


「ほう、それはめでたい」


 先ほどから私の将棋の相手をしている菊丸殿は御存じなのでしょう。特に驚きもなく祝いの言葉を口にされました。


 当然ながら根回しは済んでいる。断れませんね。断る必要もありませんが。


「よき頃合いだ。そろそろ騒ぐ輩が出そうだからな。そなたらは少し目立ち過ぎだ」


「お心遣い、感謝致しております」


 将棋盤に駒を打つ音が響きます。目立ち過ぎ。菊丸殿のおっしゃるその一言が、まさしく今回の官位の理由なのでしょうね。


「六角も三好も如何に動くか、オレにもわからん。今は良かろう。だがこのままで済むとは思うなよ。織田もそなたらも力があり過ぎる」


 旅は人をこうも成長させるのですね。菊丸殿がご理解されているとは。今の情勢では三好の天下が難しいということは確かです。


「関東も酷いものだった。西国も荒れよう。そなたらは力を蓄え己の国と民を守ればよい」


 ここまで世が荒れると、力を以って平定しないと太平の世は難しいのかもしれません。菊丸殿が将軍としていかに上手く世を治めようとしても、足利家の権威が戻れば、ここまで築き上げてきたモノが更なる争いを呼んでしまうでしょう。


「お言葉、しかと承りました」


「太平の世が来たら武芸の道場でも開いて、のんびりと暮らしたいものだ。師のように、時には旅に出てもよい」


 将軍として限界を理解してしまった。それ故に新たな夢を見てしまう。応援してあげたくなりますね。史実のような最期はあまりにかわいそうです。


 このまま穏便に室町幕府を終わらせることが出来ればいいのですが……。




Side:毛利隆元


 これが山口だとは。西の都とまで言われた山口の町は陶殿がすべて焼き払ってしまった。陶殿が自身の威信をかけて再建しておるが、かつての町衆の多くは山口を離れたという。大半は畿内に向かい、そのまま御屋形様の遺言のままに尾張に行く者が多いと聞いた。


「御屋形様……」


 今は亡き御屋形様の顔が浮かぶ。ここがかつてのように賑わうことは二度とあるまい。陶殿は御屋形様のなされておられたことをなにひとつ理解しておらぬ。


 もっとも父上もそれは同じだがな。


 ふと山口に入る前に、御屋形様の首があるという尾張の方角に祈りを捧げる。


 陶殿からあの後に、大内家の銭や金銀に勘合符は何処にあるのだと問う書状が内々に届いた時には、正直、呆れるしかなかった。焼き払っておきながら、御屋形様が山口を出る前に隠していかれたと思うたらしい。


 そのようなお方でないことは陶殿とて承知のはず。


 他にも馴染みの博多の商人からは助けを請う文も届いたが、某には如何ともしようがなかった。


「ほう、大内家がこれまでいかに朝廷を盛り立てたか、わかっておるのか?」


 某が山口に来たのは朝廷の勅使殿に同行を頼まれたからだ。山口におった頃に知己を得た公家から書状で頼まれておる。勅使殿が陶殿に殺されぬように頼むと。


 陶殿はちょうど山口にて町の再建を差配しておったが、冷たくあしらうように官位を召し上げる勅使殿の言葉に今にも斬り殺さんとばかりに怒りで震えておられる。


「それは亡き大内卿であろう? そなたは謀叛人ではないか。大内卿の遺言、今や都でも知らぬ者はおらぬ」


 とはいえ怒り心頭なのは公家も同じか。山口を離れた者も途中で襲われたということが此度の陶殿からの官位召し上げに繋がったようだ。


 勅使殿も引く様子はない。


「おのれ!! 黙っておれば付け上がりおって!!」


 さて、如何するかと悩んでおると、陶殿は汚らわしそうに語る勅使殿にあっさりと激高してしまい、小姓から刀を受け取り斬り殺さんとしてしまったではないか。


「殿! おやめください!!」


「殿!!」


 慌てて陶殿を止める家臣たちが、早く使者を逃がせとこちらに合図をするのでわしは勅使殿を連れて陶殿の前から下がった。


 あれで家臣には心を砕く御仁だ。家臣は手討ちにはするまい。


「なんたる不遜ふそん蒙昧もうまいな輩じゃ。御尊父を失った二条殿下に詫びの言葉もないばかりか、吾に刃を向けるとは!」


「申し訳ございませぬ。されどここにとどまわれてはあまりに危のうございます」


 目の前で刀を抜かれても怯えぬとは、肝の据わった勅使殿だ。されどそれが仇となったな。勅使殿をなだめつつ陶殿が追っ手を差し向けぬうちに逃げねば。


 時節が悪かった。ちょうど尾張では亡き御屋形様の法要が盛大に行われておると聞く故にな。近頃は特に機嫌が悪いようで、陶家の者らが勅使殿の来訪を止められぬかと困っておったくらいだ。


 そもそも周防では亡き御屋形様の遺言の話は禁句なのだ。先月にはあらぬことを吹聴しておったとのつみで、亡き御屋形様の最期を看取ったと言われる大寧寺の者らが追放された。


 さらに陶殿が新たな大内家当主に迎えると言うておった大友家からも、そのような話は知らんと冷たくあしらわれたようだしな。


「毛利殿もよく考えられよ。朝敵とされてもおかしゅうないのだからな!」


 朝敵など御免だと陶家の者と密かに諮り、勅使殿を安芸へとお連れする。


 某は父上から、陶殿をなだめておけと言われておるのだが上手くいかなかった。


 もっとも乃美大方の話では、父上は陶殿の様子に好機だと小躍りで喜んでおったようだ。尼子と陶殿を上手く謀にかけて、毛利家が世に出る好機だとお考えなのであろう。


 父上は戦に強く謀も巧い。そこは某にはないものだ。されど父上はやはりご理解されておらぬ。亡き御屋形様がいかに大内家を高みへと導くために、お心をくだき治めておられたかをな。


 勘合符が見つからぬ以上は、明との交易は陶殿であろうが父上であろうが出来ぬこと。それでも博多には明の品が倭寇よりもたらされるが、それとて御屋形様や公家の添え状がなければ二束三文にしかならぬ。


 御屋形様が保護しておった職人もすべて逃げたというのだ。これから周防はそこらの国と変わらぬ国となってしまう。


 御屋形様の頃の栄華を忘れられぬ者らは満足せぬであろう。されど大内家を支えておった富は永久とわに失われるはずだ。


 そう、永久にな。


 御屋形様との日々もまた……。




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