第822話・動きだす公家
Side:北畠晴具
倅が清洲の町を案内すると言うので僅かな供の者と城を出た。招かれておいて勝手なことをしてよいのかと思うが、よくあるのだろう。特に騒がれることもなく認められた。勝手ばかりする倅に少し申し訳なくなるわ。
「なんという賑わいよ」
もともと清洲は街道が交わる要所であると聞く。賑わう町であったことは確かであろうが、大湊と比べても勝っておるかと思うほどの賑わいには見入ってしまう。
「花火がありますのでな。あと何日かすれば、もっと増えまするぞ」
「なんと、まだ増えるのか」
楽しげな倅に案内されるままに町の中を歩く。武芸にばかり
「ここは……?」
「飯屋ですな。早く来たつもりがやはり混んでおるなぁ」
いずこへ連れていくのかと思うておると、十数人が並ぶところに着いた。民ばかりではない。僧と武士も等しく並んでおる。とても奇妙な有り様としか言いようがない。
倅はその列の後ろに並ぶ。飯屋とな? 何故、中に入らぬ? そなたは今年に入り従四位下の官位を得た、左中将ぞ。そこらの者とは違う。
「ここは久遠殿がだしておる飯屋の八屋と申す店でしてな。尾張では守護様も並ばれる店でございます。騒ぐのは愚か者と決まっております」
わしの言いたいことを悟ったのか、倅が飯屋について意味ありげな笑みで語りだした。
なるほど。久遠家の店か。その割に神宮詣の折に宇治山田辺りで見た、下々のための何処にでもありそうな店に見えるが……。
「これは北畠様。ようこそ、いらっしゃいました」
「おう、明麺と餃子と稲荷とカステイラを人数分頼む。カステイラは食い終わってからでな」
「心得ましてございます」
しばし並ぶと店に入ることが出来た。驚いたのは床几のようなものに座り台の上で飯を食うておることか。
倅は慣れた様子で料理を頼むと同じように空いておる席に座る。品書きがあるな。このようなものがあるということは、清洲の民は字が読める者が多いのか? わしには読めはしても如何様なものなのか見当もつかぬが。
「これだ。これ。尾張に来たらこれを食わねばな。さあ、父上も召し上がられよ」
嬉しそうな倅は店の者が運んできたものを豪快に食べ始めた。いささか無作法にも思えるが、周りは武士も僧も民も皆が同じように食べておる。
一見すると雑炊かと思うが、入っておる器は
「これは……素麺か?」
「明の麺を模したものだそうでございます」
この暑い時に熱いものを頼むとは、半ば呆れてしまう。とはいえ明の麺などわしも食うたことがない。尾張に来るなど二度とないことかもしれぬ。そう思うと悪うないな。
「ほう……」
麺を僅かに箸で掬い食べると、熱さに思わず顔をしかめてしまうが、如何とも言いようがない味なれど確かに美味いと言えるものが口の中に広がる。
なんと言い表せばよいのであろうか?
「これが噂の明麺でございますか? 確かに美味しゅうございますな」
「なんと。そなたらは知っておったのか?」
「はっ、尾張の名物のひとつでございます」
この味をなんと言えばよいのかとしばし考えながら食べておると、供の者らが控えめながら喜んでおるのが見える。知らぬのはわしだけということか?
少し面白うないが、致し方ないか。御所で尾張の名物の話などしたこともない。ふと倅が箸をつけた俵のような料理にわしも箸をつける。
「ああ、これも美味い」
余計なことは口にするまいと決めておったが、思わず美味いと口にしてしまった。中に入っておるのは米だな。なにかの甘めの汁で味がついておって美味い。
尾張の民はこのようなものを食べられるというのか? 下々の者が周りで食しておる以上、値も決して食えぬ値ではない。これで儲けなど出るのか?
残る肉の入った餃子なるものも美味かった。さほど腹が空いておったわけではないが、これほど満足するとは思わなんだ。
「しめはカステイラにございます」
店を出ようかと思うたが、飯の後の頼んだものがまだあったか。皿を片付けた店の者が麦湯と共にもってきた。
これは如何なるものかと思うたが、微かに甘い匂いがする。そうか菓子か。今まで菓子などそれほど食おうと思わなかったが、これはほんのりと甘くて美味い。
飯屋の主を御所に連れ帰りたいほどだ。
明と商いをするという久遠の底知れぬ力、このようなところでわかるとはな。そこらの水軍の勝てる相手ではないわ。
Side:斯波義統
「尾張守でございますか」
近衛公から尾張守を内匠頭に与えたいが如何かと内々に問われた。大内家の内乱を知らせ、公家を救うた対価が陶の持っておる尾張守だとは。公家という者らは。さすがにそれ以外にないのかとちと思ってしまう。じゃが内匠頭、三河守、備後守に尾張守と四つも与えて、朝廷はそれを良しと致すのか…。
「陶に己の過ちをはっきりと教えねばならん。それとな、内匠頭の嫡男の三郎や他の者にもそろそろ官位をと思うての。無論、武衛殿の嫡男も元服次第、官位を与えるが」
そう次々と上に官位はやれんか。まあわしは構わぬが。
「一馬にもということでございますか?」
「うむ、いろいろ苦労をしておろう。大樹も構わぬと言うておる」
気になるのは一馬であるが、やはり官位を与える気か。近衛公は一馬の人となりを知っておるが、それでも心からすべてを信じておるわけではあるまい。官位だけとはいえ己らの下に置ければ多少は心休まるか。
もっともこれは近衛公よりは、二条公やほかの者の意向かもしれぬな。
「久遠家の商いについて、主上も公方様も構わぬとお考えと受け取ってよろしいのでございますか?」
「そこを今更突いても仕方あるまい。本来ならば
ほう、ずいぶんと思いきったものだ。明との交易は、本来は足利家が行なっておったもの。一馬の話では、それを継いだ大内家の交易の再開はほぼ無理だということ。今後、明との交易が久遠家の独占になるやもしれぬというのに。
西国は大内家の内乱で当面荒れよう。三好は畿内の掌握すらまだ出来ておらん。現状で久遠家の動きに対抗出来る者がおらんこともあるのであろうが。
「しかと承りました。されど久遠家には久遠家の掟がありまする。また内匠頭にも問わねばなりませぬ。しばし時をいただきたい。法要が終わる前には返答致せると思いまする」
「それでよい。互いに思うところはあろう。されどこの乱世を更なる大乱にさせぬためには、斯波、織田、久遠の力が要る。後になり切り捨てるようなことは吾がさせぬ」
こちらの懸念を悟っておられたか。さすがに都を出て公方を支えておったお方だ。世の流れもよくご存じだということか。
「もしや、そのためもあって織田を藤原氏とお認めに?」
「それもある。主上と朝廷はなにがあっても守らねばならん」
怖いお人だ。足利の世を支えておきながら、その次をすでに見ておるのやもしれぬ。
とはいえ見習いたいものだ。武家は滅びても公家は滅びぬのやもしれぬからな。
わしや内匠頭は、このような者らを相手に新たな世を築く必要があるとは。なかなか一筋縄ではいかぬな。
◆◆
北畠具教=美濃介から左中将に変更しました。
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