第819話・たのしい食事会

Side:近衛稙家


 これよ。これじゃ。このなんとも香ばしい香り。


 柔らかく脂の乗った身に、他では真似出来ぬこのタレ。心なしか白飯も都より美味い気がする。これだけ脂の乗った身でありながらしつこくない。


 餅屋も腕前を上げておるが、やはり本物はひと味違う。これぞ久遠の鰻料理というものじゃ。


 都では尾張のような土地と違い、新鮮な海の魚は手に入らぬ。上魚である鯉も悪うないが、これと比べるといささか物足りぬ。此度の法要にはこの鰻を楽しみにここまで来た公家もおるくらいじゃ。


 尾張に来ることを渋っておった二条公など、黙々と食うておるわ。関白とはいえ暮らしがそこまで変わるほどでもない。食うたことがないようじゃの。


 うむ、このもやしの酢の物も良いの。シャキシャキとした歯ごたえとさっぱりとした味わいがいい。まさかもやしを料理に使うとは。


 こちらは鯛の刺身か。生で食えるのが海の魚の良きところじゃの。……まて、なんと刺身に手を加えたものもあるではないか。こちらは同じ鯛の刺身でも皮目に火が入っておる。


 むっ、これは吾も初めてじゃ。同じ刺身でもありながら皮目に火が入ると、こうも味が変わるとは。相変わらず油断ならぬの。


 これに合わせるは澄み酒じゃの。透き通る玻璃はり酒杯しゅはいに澄み酒、灯りにかざしても一片の曇りもあらぬ。深山しんざんの清水の様なれど、御仏の甘露が如しじゃ。


 畿内の酒座も技を盗み真似ようとしておると聞くが、未だ上手くいったという話を聞かん。これを味わうと濁酒は飲めぬようになってしまったわ。


 ふと見渡すと楽しげな公家衆らと、せっかくの料理と酒を楽しめぬ武家らがおる。雅どころか風流もわからぬとは鄙者ひなものの武士とはまことに無粋な者らじゃ。


 この料理と酒がいかほど得難いものか、わかっておらぬのであろうな。いかな権威で命じても金銀を積んでも織田が許さねば食えぬもの。己らに食わすは少し惜しいの。


 まあよい。奴らが如何になろうが吾には関わりのないこと。ひとつ気になるのは、大智は子が出来ておることか。まさか此度の料理を作ったとは思えぬ。久遠家の者が作ったのか? それともこの城の者か?


 いずれにせよ、尾張では新しきものが根付いておる証し。吾も一度見てみねばと来たのだが、その甲斐はあったというもの。


「これは如何なるものじゃ?」


「食後の菓子になります。牛の乳をくずに似た効能を持つ物で固めた菓子でございます」


 料理も食べ終えると新たな膳が運ばれてきた。見た目は都で織田が献上した砂糖羊羹と似ておるが、驚きは真っ白いその色であろうか。


「牛の乳とな?」


「それは珍しきものよ」


 料理が終わったと思うた公家衆らもこれには驚いておる。何故、飯の後に菓子を出すのかわからぬが、尾張にて牛の乳を使う茶があると聞き飲んでみたかった者も多かろう。


 あれも主上と吾などは織田から献上された茶葉に牛の乳を手に入れて飲めるが、日々の暮らしに苦労する者らでは飲めるものではないからの。


 近頃の粗暴な武士は、吾らが守りぬいて参った技や伝統を粗末に扱う。戦乱が激しくなると足利でさえ都から逃げ出すほどじゃ。仕方ないとも思うがの。


 そんな世にもかかわらず、こうして尾張の地でかつて吾らの先祖が飲んでおった牛の乳を使った菓子があると聞くと嬉しゅうなる。


「ほう、あの時の砂糖羊羹とはまったく違うの」


 面白きことにこれは漆塗りの皿に入っておる。黒と赤い漆の皿に白い菓子の色が映えて雅なものとなっておるわ。こういう心配りが出来るだけで油断ならぬ相手じゃと改めて思う。


 口当たりは思うておるよりしっかりしておるの。牛の乳の味が確かに広がるが微かに甘い。砂糖も風雅を損なわぬように入っておるな。


 口の中でほぐれつつ広がるこの味は、牛の乳をそのまま飲むよりも良いわ。


 周りでは皆が旅の苦労と法要の意と花火への期待を口々に話しておる。公家と言うてもかつてのような荘園もない者も多く、家業ですら乱世では役に立たぬ者もおるのじゃ。


 父御や祖父御に聞いたような雅な宴に、ひと時でも楽しみ参集したことを皆が喜んでおる。明日以降も楽しみじゃの。




Side:久遠一馬


 宴が終わると信秀さんと共に義統さんの部屋に呼ばれた。今日は清洲城に泊まる予定なんで構わないけど、用件は集まった人たちのことだろうな。


「催事恙無く、お疲れのことでございました」


「思うておったよりは楽しめたわ。今の世で他国の守護や国司に会うことはないからの」


 信秀さんは義統さんに開口一番で気遣いの言葉を告げていた。尾張と美濃の守護としてどっしりと構えているというよりは、自ら来客のところに歩み寄り声をかけていたからね。オレから見ても大変そうだった。


「朝倉殿はいささか心許ないの。もし宗滴が亡くなれば、己で家中をまとめられるのか? 戦に出ぬのは構わぬが、任せられる者がおるのであろうか」


 話はやはり各地の有力者の評価だった。義統さんの評価が微妙なのは朝倉延景さんだ。自身の経験を踏まえてのことなんだろう。


 史実では宗滴さん亡き後も、そこまで力を失い傀儡とされたわけではない。ただ、自分で戦に出ないので判断にミスったと思われるところは幾つかあるが。


 文官向きなんだと思う。多分内政に専念させれば史実以上の成果をだしてくれるはず。とはいえ今の世で文官が評価されるのは極端な話を言えば織田だけだ。


「今川の寿桂尼。あれはひとかどの女でございますな」


「弾正忠。そなたもそう思うか」


「はっ、男ならばさぞ名を残したでしょう」


 対して評価が高いのは寿桂尼さんか。年の功というところもあるんだろう。一見すると因縁ある義統さんと対等に渡り合い、今川家は健在だと周囲の者に示すことには成功している。


 もっともそれすら焦りからくるものだと、気付いている人は気付いているけど。


「寿桂尼殿は確かにそうですが、今川の置かれた状況ですと出来ることは多くはありませんね。武田を全力で叩くしかありません。西三河がほぼこちらのものとなりましたが、今度は東三河と奥三河が騒ぐと思われます」


 寿桂尼さんの評価はオレも同じだ。だけど今川の現状があまりに厳しい。史実において小豆坂の戦いで敗れて安祥城を失った織田は、織田信秀の死によって坂道を転げ落ちるように転落していった。


 ざっくり言えば立場が逆転しているんだよね。誰だって勝ち馬に乗りたい。東三河や遠江の人たちも斯波家が遠江奪還を狙うと考えているだろう。


 それと経済格差による暮らしの違いは無学な領民にとって何より大きい。


 ちょっとしたきっかけで東三河以東が揺れることも考えておかなければならない。まあ東三河以東は、今川の支配も安定している。そうそう雪崩をうって崩壊はしないだろうが。


 懸念は奥三河か。あそこは陸の孤島なんだよね。信濃行きの街道があって、それで生きているような土地だ。ところが同じく信濃行きの街道がある東美濃の明智遠山家はすでに臣従してしまった。


 織田としては信濃行きの街道として、東美濃の明智城の近辺までは整備することになると思う。防衛の観点から国境までは街道の整備が出来ないが、それでも現行よりはるかにマシになるだろう。


 あそこは史実でも今川から離反する気配を見せたんだよね。確か水野家と繋がりがあったはず。よく話しておかないと駄目だな。


 ちなみに北美濃の対越前と東美濃の対飛騨・対信濃は、法要が終わり次第計画を策定する予定だ。西三河は先に松平宗家の内部のごたごたの後始末が先だけど。


「信濃はやはり深入りせぬほうがよさそうじゃの。小笠原長時。武芸は得意と聞いておるが、あまり人を治めるには向いておらんようじゃ」


 もうひとつの懸念である信濃について口を開いたのは義統さんだった。守護である小笠原長時。彼の人となりをあまり評価していないらしい。そう言えば用兵は不得意とか言われていたっけ。


「銭での助力を続けることと、今川を上手く使えと申しておけばよいのではありませぬか?」


 ここで面倒なのは斯波と今川は因縁があることだ。今川の誘いに乗れば斯波家からの援助がなくなる可能性があることも、小笠原長時が今川の誘いに未だはっきり乗っていない理由だろう。


 信秀さんはこちらが兵を出さない代わりに今川を利用する気みたいだ。まあ信濃と甲斐は蟲毒みたいなものだからね。それが無難か。


「飛騨は古より優れた職人がいるとか。彼らを借り受けられるのならばお願いしたいです」


 オレからの提案は飛騨に出稼ぎの人を出してもらうことだ。飛騨の匠とは元の世界でも有名だが、この時代にもいるみたいなんだ。まあ田畑が少ない土地なんで山で生きている人が多いだけかもしれないが。


 あと放っておくと姉小路高綱さんは殺されそうだからね。こちらと協力出来る人か試してみる必要があるだろう。正直、国力が違い過ぎて飛騨自体は脅威にはならないから。



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