第817話・砂上の楼閣

Side:朝倉延景


 白地に絵が描かれた焼き物の皿。公家衆と我らで数百名はおるこの宴の席で皆に使うておることに驚き、思わず武衛殿と内匠頭殿を見た。


 これほどの数を揃えることが容易いはずがない。まして作り方を教わったとはいえ、知らぬ土地で新たなことをやるは困難が多いはず。


 我が朝倉や博多などもそうだ。明や蝦夷、琉球から得られる品を他国に売ることで大きな利を上げて喜んでおるだけ。それが尾張では自ら作ることをすでに成しておるのだ。


 思わずこの場におらぬ宗滴の顔が浮かんだ。宗滴が鷹を卵から孵して育てておることと通じる。家中でもおかしなことをすると陰口を叩く者がおるほどなのだがな。


 ところがだ。そんな宗滴の鷹のことに大いに興味を示したのが久遠家の一馬だという。敵と言うて差し支えないはずが、宗滴は久遠の屋敷に招かれて己らも尾張で物作りを試しておると教えられたというのだ。


 詳しくは明かしてこなかったというが、それでも敵に教えることではない。宗滴は自身の鷹の育て方と引き換えに一馬と親交を持ち、今では文のやり取りもしておるほど。


 更に鷹の育て方の返礼にと、病に罹りにくくするには常に身を清めることや手をよく洗うことなど、久遠の知恵も幾つか教えてもらっておる。


 もともと寺社は参拝する際に身を清めることを求めるので大きな驚きはないが、それを常に行うなど尾張はさらに進んでおるとみるべきか。


 家中ではそのようなことをせずとも己は病などかからぬ。負けぬと豪語する者も多いがな。


 考えてみると久遠の者は他にも多くの新しき品を日ノ本にもたらした。金色酒、紅茶、硝子の盃、白磁の茶器。


 仮にそれらをすべて己で作れるとすれば?


 久遠は……久遠一馬とは何者だ?


 一介の商人とは言えぬであろう。織田に仕官して如何なることを狙っておるのだ?


 まて、今考えるべきは久遠一馬の素性でも、思惑でもあらぬ。我が朝倉家にとって、あの男がもたらしたものが如何になるかだ。


 このような焼き物が作られれば、日ノ本で今まで作られておる焼き物より遥かに高値で売れる。明から得るよりも利は大きかろう。もしかすると明にすら売れるのやもしれん。


 ひるがえりて、日ノ本の焼き物はいかがなる? 尾張と同じ物が出来ねば、物知らぬ領主は職人をいかがする? 職人は座して死するか? それとも堺や大内のように逃散致すか? それは尾張の一人勝ちをたすくるのではないか?


 仮に久遠が明との商いを仕損じても、この技だけで立場は盤石であろう。


 それで得られる莫大な銭は如何に使われるのだ? 今川がすでに出家した母御を敵地に出してきたわけもそこであろうな。


 あそこは今、武田と争っておると聞く。その武田も当主の弟が来ておるのだ。焦っておるのは我が朝倉よりも今川であろう。織田が武田に助力すれば今川とて如何になるかわからんからな。然れど真に心せねばならぬのは、我が朝倉であろう。今川は遠江を勝ち取ったが、朝倉は越前を奪ったのだ。


 さて、いかがするべきか。考えねばならんな。




Side:六角義賢


 来て良かった。心からそう思う。上様の命でなければ来なかったであろうし、名代としていただかねば来られなかったはずだ。


 周囲に表立った危機はないが、それでも代替わりしたばかりのわしが近江を離れることは随分悩んだのだ。三雲ばかりではない。此度ばかりは万が一があれば、如何するのだと案じた者もおった。


 されど清洲城に入り、こうして宴に出たことでわかる。上様はまことにわしのためを思い命じてくだされたことが。


「父上は観音寺城から遥か尾張が見えておられたのだな」


 思わず呟いたわしの言葉に、同行した家臣らも父上をしのんだのであろう。少ししんみりとした顔をした。


 ただでさえ尾張でしか手に入らぬ品が多いにもかかわらず、今度は明の焼き物に匹敵する新しき焼き物か。


 それと気になったのは、あれよあれよと大きゅうなったはずの織田が思うておった以上に盤石だということか。


 北美濃と東美濃がまとまったのは先日聞いたが、清洲に来て西三河の松平も臣従したと聞いた。織田に臣従するには所領を手放す覚悟が要るというのに、羨ましい限りだ。


 六角家でさえ、先年得た北近江三郡や北伊勢は世辞にも安泰とは言えん。北近江三郡は曲がりなりにも浅井がまとめておったものの、それが今はないからだ。


 織田との戦で大敗した結果、国人などは討ち死にした者や織田に処罰された者がおる。生き残り戻りても、あまりに無様な敗北に家中の支持を失い新たな当主に代わったところが相応にあるのだ。


 それらの家は新しき当主が武功を求め、近隣との係争地にて騒ぎを起こす者が後を絶たぬ。


 さらに東山道を行く旅人や荷に新たな税を課すことを企む者もおる。織田との和睦は東山道の荷の税を抑えることでまとまったというのに、それを理解しておらぬ愚か者がおるのだ。


 美濃は関ケ原に堅固な城と不破関の町があり栄えておる。それは己らの失態のせいであるにもかかわらず羨む者があまりにも多い。


 ああ、北伊勢も面倒なことになりつつある。あそこは願証寺や北畠家への配慮もあり、国人に幾分の影響を与えられる程度で収めておったことが仇となっておる。


 尾張に来てみてわかった。暮らしがあまりに違うのであろう。尾張美濃は飢えを恐れずに生きられる。それと引き換え北伊勢は桑名の失態以降、寂れるばかりだ。


 桑名は織田に許されたとはいえ、所詮は他所の町だ。織田は荷留こそせぬが、配慮することもあまりない。


 東山道を織田が整えておることも影響しておる。織田は領内の関所をなくしておることや賊の討伐に熱心なこともあり、あちらを選ぶ者が多い。


 北近江三郡は多少荒れておるが、あそこは近淡海の水運がすぐに使える。さすれば京の都まで楽に行ける。朝倉は余程に荷が大事らしく、自ら守り手を出し、北海を行く北前の船を呼ぶのに使い始めたらしい。


 その結果、北伊勢では街道を行く者と荷が減り、暮らしが苦しくなる。


 民はすでに尾張に逃げ出しておって、織田に賦役のために出しておった民も戻らなくなっておる。大半の国人は織田がまだ銭を払うておるので黙っておるが、中には不満を口にする者もおる。


 三雲がそれらに付けこんで陰で扇動しておることも、厄介になりつつある理由ではあるが。


 ああ、近江の甲賀郡と伊賀も織田から得られる銭で飢えなくなったこともあり、織田の影響が年々強くなっておるとも聞く。三雲の懸念もわからぬではない。


 父上が健在ならば恙なく治まっておったのであろうな。わしではまだ力不足なのだ。


 織田は如何なのであろうか? 北美濃と東美濃、それと西三河をいずこまで掌握しておるのだ? 北美濃と東美濃は山ばかりで実入りもろくにないと聞くが。


 隣国が裕福というのは他にもあることだ。近江も甲賀などは貧しいが、近淡海の辺りは豊かな土地だ。


 織田の恐ろしきところは流民や逃散者を取り込んでおるところか。余所者や流れ者は何処も嫌うのが当然なのだがな。裕福な国に行っても土地もなければ家もない。その先は野垂れ死にしかないというのが当たり前だったのだ。


 されど、織田は賦役をやらせて家と飯を与えておる。織田の下に行けば生きていけるとなれば逃げだすのも当然か。


 厄介なことに同じ真似は六角家でも出来ん。土地の豊かさは負けておらんが、近江は比叡山を筆頭に堅田の湖賊など面倒な者らが多い。また六角家も家臣の領地には手が出せん。左様なことをすれば謀叛が起きるだけだ。


 わしの動かせる銭は内匠頭殿には遠く及ばぬ。また余所者を受け入れるは在所の者が許さんはずだ。


 尾張は久遠という日ノ本に土地を持たぬ余所者がもたらした大量の銭と技で、国人も民も飢えぬので黙っておるだけ。同じ真似は三好とて出来まい。


「この鰻も美味いの」


 初めて食べる美味い料理と、他所では手に入れるだけでも一苦労な酒が並ぶ。美味い。文句なしにな。


 されどこの鰻を見て思うのだ。他国では見向きもせぬものが織田では銭を生み出す品に変わる。このような相手にいかにして時に交し、時に抗するを選びゆけばいいのだ?


 極端な話、石ころひとつとっても六角家と織田では得られる銭が変わる。戦で勝てばよいのか? 関ケ原のあの堅固な城をいかにして落とす?


 織田が銭で抱き込めば三好は織田と組んでもおかしゅうない。落ち目と揶揄される今川とでも組めというのか? それとも東国一の卑怯者と言われる武田と組めと? 西から買わねば絹や鉄さえ事欠くという東国を信じろというのか?


 ありえぬな。織田との誼を深めるしかあるまい。織田とて近江は敵に回したくはなかろう。北近江三郡を取らなかったのがなによりの証。


 とすると早めに始末をつけねばならんのは三雲か。あれは久遠の怒りを買うておるやもしれん。武衛殿や内匠頭殿はまだ日ノ本の武家故に互いに考えることがわかるが、あの男だけはよくわからん。


 久遠に損害が出る前に始末が必要か。


「ふー」


 尾張でも限られた者にしか与えられぬ久遠の澄み酒を硝子の盃で飲む。心なしか美味いはずの酒が苦く感じる気がする。


 油断は出来ん。足利家とてかつて敵となり攻め寄せてきたのだ。再びそのような事態となった時に六角家が生き残れると安易に考えるべきではないからな。






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