第816話・外から見た尾張

Side:二条晴良


 大内卿の法要とはいえ、わざわざ尾張に出向くとは。近衛公の戯れかと話を聞いたときは思うた。法要など都でも出来るのだ。


 されど大内家が危ういと聞くと、自ら周防まで父上らを連れ戻しに行った近衛公には借りもある。吾が来ることにしたのは近衛公の強い勧めがあったためだ。


「いかがじゃ? 参りて良かったであろう?」


 清洲城の一室で吾は、近衛公と今後のことを少し話しておる。関白、藤原長者として吾はここにおるが、歳上であり先達である近衛公には相応の敬意を払わねばならぬ。


 今や都でも名を聞かぬ日のない斯波と織田ではあるが、所詮は鄙者ひなもの東人あづまうど。とはいえ恥は掻かせられぬ。精いっぱいのもてなしを笑うてしまっては誰のためにもならん。特に主上は両家をたいそうお気に掛けておられる。


「然り。さすがは近衛公。今も天下の安寧のために自ら動かれておられるだけはある」


 そう思うたのだがの。今のところ恥らしいところは皆無。荒れておる都や畿内を思うと羨むほどの国となっておる。


「そなたは若い。武士というものをよく知り、主上を盛り立てねばならん」


 父上と同じく都を離れておられたこともあるが、貧しき暮らしは嫌だと武士の争いもうんざりだと、周防に逃げ出した父上とは違うお方だ。


「織田、久遠のことはお任せくだされ。皆には吾からもよく言うておる」


「頼む。織田は藤原を称しておるが、本来の氏族はおそらく忌部であろう。とはいえこれは吾らにはちょうどよい」


 悲しきことだ。氏族を勝手に称する者を認めねばならんとは。されど今の世は源氏を名乗る者らが動かしておる。邪険にするよりは上手く付き合わねばならぬか。


「あの渡来鏡を見れば……」


 近衛公が気にかけておられるのは久遠の一馬。氏素性の怪しき者なれど、織田の猶子となり今は共に藤原を称しておる。吾は会うたことがないが、あの恐ろしきまでにすべてを写す南蛮渡来の鏡は吾も主上より頂いた。


 南蛮の者だと侮り、良からぬことをかの者に命じる愚か者が出ぬようにとせねばならんか。




 夕刻となり吾らを歓迎する宴を開いてくれた。公卿と主立った公家に近隣の守護か。飛騨の姉小路殿と伊勢の北畠卿もおることには少し驚いた。


「あれはなんであろうな?」


「ここは珍しき品が多いの」


 清洲城は珍しき品が幾つもある。噂に聞いた南蛮絵などは人だかりが出来たほど。鮮やかな色を使うて、まるでそこにおるように思える南蛮絵には皆が驚かされておった。


 ほかには宴の席にも見知らぬものがあった。天井の柱から吊るしてあるそれに皆が見入っておると、次々と火を入れて一気に明るくなった。そうかあれは行灯か。されどあの中が見えるものは、盃に使うておる硝子ではないのか?


 皆が硝子の行灯を、息を呑んで見ておるのがわかる。尾張では南蛮行灯と呼ばれておるようで、やはり久遠が伝えて献上したものであるという。


 気が付くと香の匂いもしてきた。虫を寄せ付けぬという、螺旋香か。あれも織田から主上に献上されて都では僅かに見られるようになったものだ。


「あれは駿河の今川に嫁いだ中御門家の女であるな。確か今は出家して寿桂尼」


「ほう、斯波と織田とは争うておると聞いておったがの」


「あちらは越前の朝倉殿だな。あそこも因縁があるが、まさか当主が自ら参るとは、なかなか肝の据わった男とみえる」


 吾の周囲では、この場に同席しておる者らの噂で楽しげであるな。かつてと違い、都に大樹も守護もおらぬ。各地の力ある者を直接見られることも面白きことよ。


 しかも斯波にとって因縁浅からぬ今川と朝倉が、当主の母と当主がわざわざ参ったのだ。如何なる思いで参ったのかと考えるとな。


 肝心の武衛殿は我が世の春かと思えばそうは見えぬ。公家衆から順に声をかけて長旅の労をしゃしておる。


 かつての三管領家も先年までは名を聞かず落ちぶれておった。それを変えたのが織田内匠頭、尾張では以前から僭称しておった弾正忠の名で知られており、かつては虎と、今では仏の弾正忠と呼ばれる男。


 虎やら鬼やらと呼ばれる武士は他にもおるが、仏と呼ばれるのはあの男ただひとり。僧の中には不敬だと顔をしかめる者もおるが、本人が名乗るわけでもない通称に怒るわけにもいかぬ。


 武衛は傀儡かという噂もあったが、当人同士は上手くやっておる様子。近衛公の話では、助けもせず斯波家を見捨てた足利や、因縁ある今川や朝倉よりは遥かに信を置いておるのではとのこと。


 これだけの者らを招いて浮かれる様子もないということは、相応の男とみるべきか。今川と朝倉は運がないの。過去の因縁で苦しむとは。




Side:寿桂尼


 尾張に来て、初めて会った公卿の方々に労いの言葉をかけてもらいました。今川家の苦境、思っていた以上に知られている様子です。


 私は清洲の町を見て、幼い頃に聞いた戦火で荒れ果てる前の都の話を思い出しました。活気があり多くの民が働く姿は駿河を超えるもの。


 今や主上の覚えもめでたく、斯波と織田の上洛すら望まれておられるとも。


 尾張などその気になれば一気に攻め落としてくれるわと豪語していた者らに、この清洲の町と城を見せてやりたいものです。


「これは……」


「鰻でございます。叔母上」


 歓迎の宴の席は隣に甥がおります。こちらのために配慮をしていただいたのでしょう。京の都と駿河を行き来している甥のおかげで少し気が楽になります。


 そして運ばれてきた料理の膳。なにやら見たことのないものが多い。


「鰻とは……」


「今や主上の御嗜好の一品として都では知れておるもの。尾張の久遠の料理でございますな」


 公家衆が膳を見て騒いだのを見て驚いていると甥が教えてくれました。鰻と聞き、何故そのような下魚をと首を傾げておりましたが、まさか主上の御嗜好を得ているとは……。


 聞いておりません。無論、上洛の話は聞いておりますが、主上が織田の伝えた鰻料理をたいそうお気に召したとは知らなかったのです。


「これが鰻……」


 駿河は海が近く、海の魚に事欠きません。それでもつましい都での日々に幾度か食べた鰻とはまったくの別物としか思えない味です。


 ああ、柔らかく香ばしい。脂が乗っていますが、決して不快なほどではない。


 味は尾張醤油とは違うようです。少し前から尾張で造られた醤油が僅かに駿河にも入ってくるようになり、私も味わったことがありますが。


 噂の久遠醤油でしょうか。あれは織田が贈答で僅かに贈る以外に売られていないということで私も味わったことがないのでわかりません。


「この皿は明の焼き物かの?」


 皆が料理に夢中になっているように見えた時、それに真っ先に気付いたのは山科様でございました。膳の上にある料理を乗せた焼き物の皿。見れば皆の膳に同じ焼き物の皿があります。


「いえ、尾張の焼き物でございます。少し前からそこの一馬の家の者に教わり、尾張で試しておったもの」


「なんと!?」


「これほどのものを日ノ本で焼けるのか!?」


 答えた武衛殿の言葉に宴の席が一気に騒がしくなりました。光沢があり厚みがあまりない焼き物。白地に山水や草木の絵が描かれており見事としか言いようがない品。


 膳に置かれた皿がよくある漆塗りの皿でないことに私も気付きませんでした。


 そして私はようやく会えました。今川を苦境に追い込んだ者に。


 久遠一馬。まだ若い。龍王丸よりは年上のようですが、噂以上に若く見えます。


「そなたは相変わらず驚かせてくれる。いずれ吾らの手にも入るのかの?」


「ご所望とあらば献上致します。出来は今後、更に良くなりますよ。職人が日々励んでおりますので」


 公家衆も顔を知らぬ者が多かったのでしょう。静まり返りましたが、親しげに直にお声をかけたのは近衛様でございました。


 その様子には公家衆ばかりか朝倉殿や他の者も驚いた様子。無官の氏素性の怪しい男と近衛様がこれほど親しいとは。


 しかし、困りました。斯波と織田の力は私すら思いもしなかったほど。雪斎和尚が顔色を悪うしたはずです。


 遠江を手放し、私が自ら質となる覚悟もいるやもしれません。この命、今川のためになるなら惜しくありません。




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