第809話・崩壊する松平

Side:久遠一馬


 夏の日差しが照り付けている。織田領では賦役の季節だ。街道整備に町の整備拡張、それと武芸大会で行なったクジの儲けでの河川の治水も行なっている。


 ただし、やはり織田領に限った話になる。東美濃と北美濃は検地も人口調査も済んでいないが、暫定的に街道整備の賦役をさせている。いや、あっちは山の中の獣道が主要道路になっているんだよね。


 無理に土木工事をしなくてもいい。夏場なので街道の草を刈ったりするだけでも大変な作業になる。とりあえず食わせるために働かせる必要があるんだ。


「やっぱりかぁ」


 美濃はいい。細かいことを言えば問題はあるが、道三さんは飴と鞭をよく理解している。悪意をもって織田の政策を潰そうとか利用しようとしない限りはオレの出番なんてない。


「厄介なのは臣従する者も、松平殿を隠居か亡き者にして竹千代殿を主に迎えたほうがよいのではと考える者もおる様子」


 報告に来たのは望月太郎左衛門さん。望月さんの養子となり跡継ぎになる人だ。忙しい中、急遽自身で三河に行って情勢を確認してくれた。


「半蔵殿の話では、松平殿は家臣をあまり信じておらぬようでございます。根気強く説得をしても聞き入れなかったようでして。暗殺されるのではと恐れておるとのこと」


 服部半蔵か。元の世界で徳川家康に仕えた人の父親っぽい人。忍び衆はいつの間にか情報を交換している。まあ松平宗家の立場だと当然かもしれないが。


 暗殺、毒殺、織田家にいるとあまり実感はないが、松平広忠さんの現状だとリアルに危ない。再度警告しようかと思っていたが、本人が先に警戒しているのか。


 あそこの問題って、当主も家臣を信じてなく、家臣も当主を信じてないことだろう。面倒なことにこの時代だと出来の悪い主は傀儡で担げるが、都合の悪い主は代えてしまえという考えが普通にある。陶隆房とか陶隆房とか陶隆房とか……。


 どうしようか少し悩む。この手の問題を陰で動いて解決していたウルザとヒルザは現在関ケ原だ。公家御一行とか招待客の道中の安全のために、忍び衆を使って西美濃で動いているんだ。


 忍び衆だけでもいいかもしれない。とはいえ元の世界の史実を考えるともう少し保険をかけておきたい。歴史の修正力なんて存在しないのは確認しているが。


 さすがに一向一揆並みの混乱はないだろうが、領内の混乱を公家衆や今川から来る寿桂尼さんたちに見られるのは困る。


「一馬、アタシたちが行こうか?」


 僅かな時間考えていると、仔犬まみれで遊んでいる四人組のうちのひとりが声をかけてきた。ショートの薄いピンクの髪をした彼女の名は『春』。オレの奥さんのひとりで、援軍として島から呼んだ警護や忍びの人員を連れて尾張に来ている。


 ほかには薄い緑の髪をした『夏』、薄いオレンジの髪をした『秋』、白い髪をした『冬』がいる。春夏秋冬をイメージして四人で一組になるように考え創ったアンドロイド。春が万能型、夏が戦闘型、秋が技能型、冬が医療型だ。


「出雲守殿、今川と武田の動きは?」


「はっ、今川家一行は現在遠江でございます。また武田は信濃よりこちらに参るようで東美濃に差し掛かる頃かと。両家は互いに刺客を送ったようでございますが、阻止されてございます」


 気になるのは今川と武田の動きなんだけど。互いに刺客を送るって、物騒な連中だ。さすがに織田領で動くほど愚かじゃないらしいが、あわよくば相手を行かせないということか。まあ嫌がらせ程度の効果しか期待はしてないだろうけどね。この手の謀が成功するのは難しい。


「仕方ないわねぇ。でも表沙汰にして騒ぎを大きくしたら駄目よ」


 太郎左衛門さんも忙しいんだよね。現在の彼は望月さんと一緒に忍び衆全体の差配をしている身分だから。メルティに視線を向けると問い掛ける前にアドバイスをくれた。


「モチのロン。任せて!」


 春は四人のリーダー役のはずなんだけど、何故か元の世界の昭和にハマった。春さんや、『モチのロン』って言ってもこの時代の人には通じないから。しかもネタが古いとつっこみたいが、資清さんや望月さんや太郎左衛門さんがいて出来ないじゃないか。


「太郎左衛門殿は引き続き忍び衆の差配をお願い」


 有能な人員が余剰なわけないから仕方ない。太郎左衛門さんもこれ以上三河に専従させるわけにはいかないんだ。


 松平広忠さんに今度会ったら、もう少し客観的な視点についてそれとなく教えてあげよう。臣従するなら早く。駆け込み乗車は危険だ。




Side:松平広忠


「半蔵、主と家臣とはいかなるものなのであろうな。尾張では新参の久遠殿が忠義ある家臣を揃えておるというのに……」


 半蔵からの報せにわしは思わずうなだれてしまった。幾ばくかは臣従を嫌い出ていったが、大半の者は残ってくれた。されど残った者の中に、わしを隠居させるか亡き者にせんと企む者がおるとは。


 そもそも父上を殺めたのは織田ではない。家臣なのだ。松平の者は今も変わらぬということか。


「忠義や奉公などと言うても結局は力と銭か?」


 半蔵は答えん。わからぬのか、わしに遠慮しておるのかわからぬがな。


「公家衆や近隣の守護や国司が招かれるこの時期に騒ぎなど起こしてみろ。加担した者も防げぬ者も根絶やしにされても文句は言えぬぞ」


 いくら仏の弾正忠といえど、己の顔に泥を塗られて笑って済ませるわけがなかろう。今川からの援軍はないのだ。それが何故わからん。


「恐れながら、この時期故に織田はこれ以上の兵は挙げぬと高を括っておるのでございましょう。そもそも織田でなくば国人の内輪の争いに関わることもありますまい」


 言いにくそうな半蔵の言葉に家臣どもの愚かさを痛感する。確かに暗殺などされるほうが愚かとも言える。国人程度の内輪の争いなど主家に逆らわねば黙認で終わる。


 だが、織田はそのような小細工を嫌うと何故わからんのだ。


「飯を食うのも命がけか。竹千代がおらんで良かったわ」


 出来得る限り城の中の者は裏切らぬように精査した。とはいえ限りがある。半蔵とていずこまで守ってくれるのかは、わしにもわからん。


 敵地であったはずの尾張にて竹千代が疑心に苛まれることなく育っておることが、皮肉としか思えん。


「殿、早めに尾張に向かわれたほうがよろしいかと。新参者として働くといえば悪う扱いはされますまい。城の中も必ずしも安泰とは言えず……」


 ああ、半蔵も困っておるのか。己も疑われておることを悟っておるのやもしれんな。確かに尾張に行くべきかもしれん。


「そうだな。公家衆が到着してからの騒動は阻止せねばならん。さっさと尾張に行くか」


 あとのことは終わってから考えるか。いずれにせよ領地は大幅に減らされて俸禄に変わる。家臣どもも残るかわからんからな。


 滅びたければ勝手に滅べ。不忠者どもが。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る