第808話・ギリギリで動く男

Side:近衛稙家


 供の者を合わせて二百数十人も公家が集まり旅することが、これほど大変じゃとはの。やれ足が痛うてのと、腰が痛うてのと、よう騒ぐわ。あまつさえ夜に草木が揺れると祟りじゃと騒ぐ者が出ようとは。


 都から離れたことのない者らよ。致し方無いとも思うが……。


「大樹よ。息災なようでなによりじゃ」


「殿下もご無事のご到着、祝着至極」


 観音寺城まで来ると一息吐ける。ここでは病ということで吾だけが内々に大樹と会うが、落ち着いたよい顔をするようになった。


 管領と離れることは吾もいかがなるかと案じたが、これほど変わるとは思わなんだ。


「ほう、左京大夫を尾張にの。確かに良いかもしれん」


 大樹はやはり旅に戻るか。その代わりというわけではないが、六角家の新たな当主である左京太夫を尾張に行かせるか。これからの世を動かすは尾張を無視しては難しかろう。一度は行っても悪うなるまい。


 尾張の当人らは望まぬのかもしれぬがな。


「管領はいかにしておりまするか?」


「馴染みの公家や丹波に書状を出したりしておる程度じゃ。三好を叩いて都に返り咲きたいようであるが、当分は無理であろうな。三好筑前守、なかなか隙のない男じゃ」


 久々の再会にあれこれと話すが、大樹が気にしたのは管領の細川晴元のことか。あの男も油断ならぬが、手足となり動く者がおらぬと如何ともしようがあるまい。


 三好筑前守は織田内匠頭や久遠の一馬と比べると面白みがないが、手堅い策を講じる。六角も動く気がないところを見ると当面の畿内は大きな動きはあるまい。


「美濃は斯波と織田の下でまとまったようでございます。また朝倉も当主自ら尾張に参るとか」


「ほう、それは面白きことよ。斯波との因縁をまことに終わらせる気か?」


 これが誰ぞの策なのか、吾らの動きを見てのことかわからぬが、朝倉が動くとは。あそこは戦にも当主は出ぬと聞いたがの。


 六角、朝倉と当主が尾張に揃うか。戦乱の世となった今では珍しきことだ。このまま世が動くのか。それとも……。


「殿下、管領代の法要を行うとお聞きしましたが?」


「六角にも世話になるからの。ついでじゃ」


 三好、六角、織田。いずこがいかに動くかわからぬが、旅のついでに法要に出るくらいはかまわぬ。六角を軽んじたとでも思われると厄介じゃからの。


「では某はそれが終わり次第、旅に戻りまする」


 すでに将軍職に興味はないか。大樹にも困ったものよの。気持ちはわからんでもないが。


 とは言え代わる者もおらぬ。今の世で新たな将軍宣下を行えば、また天下が乱れ、世が荒れる。


 何事も上手くゆかぬものよ。




Side:松平広忠


「皆の者。わしは織田に臣従する」


 集まった者たちはわしの一言にそれぞれに違った顔を見せてくれた。


「致し方ありませぬな」


「裏切り者に頭を下げろと言うのか!」


 仕方ないと諦めにも思える覚悟を決めた者もおれば、先に織田に寝返った矢作川の向こうの者らより立場が下になることに激怒する者もおる。


 また、東三河や今川家中と縁がある者も素直に従えぬようで不満げだ。


「気に入らぬ者は構わぬ。今川に従うなり己でやるなり好きに致せ。わしはもう織田と戦をする気はない」


 織田からは従わぬ者など放っておけという命が届いておる。水野殿からはこれ以上臣従が遅れれば、如何になるかわからんと案じておるとも呆れておるとも思える文が届いた。


 京の都より公家が大勢来るのだという。そんな時に従っておらぬ者は敵として見られて当然。斯波と織田の顔を潰すことだけは避けねばならん。


「そのような勝手なこと許されるとお思いか!? 先代様が苦労をしてまとめた家を売り渡すのか!!」


「西国の大内殿の法要がある。京の都からは公家が大勢来る。近隣の守護や国司も勢ぞろいするという噂だ。もはや臣従以外にはあり得ん。父上の頃とは何もかもが違うのだ」


 まだ父上の頃の夢に縋る愚か者がおるか。今川が織田との戦を避けて逃げ出し、美濃の斎藤は戦もせずに臣従したことを忘れたか?


 いずれにせよ、そのような天下に知られる法要に呼ばれなければ、松平宗家の権威は地に落ちる。


「もういい! ならばわしは勝手にする!!」


 数人の者が怒り心頭の様子で勝手に席を立った。他にも大人しゅうしておるが不満げな者もおる。臣従するのは容認しても寝返った者らより立場が下がるのは我慢が出来ぬのであろう。


 隠居するなり独立するなり勝手にしろ。わしがこうして松平宗家を継げたのは今川のおかげ。そなたら家臣の力ではないのだ。


 何度も松平宗家の置かれた立場を話して、生きるために臣従をすると説得しても無駄な者らなど要らん。


「明日、もう一度ここに参れ。織田に臣従するを望む者だけな」


 さて、いかがなるか。勝手に暴れる者もおるかもしれん。安祥に知らせを出して、わしも寝首を掻かれぬようにせねばならんな。




Side:久遠一馬


 北美濃と東美濃の検地と人口調査は大内義隆さんの法要の影響で後回しとなったが、臣従自体はほぼ終わった。


「そうか……」


 そして懸念があった三河の松平広忠さんも臣従を決断したらしい。どうも美濃の一件が影響というかショックを与えたらしいね。


「家中には反対する者もおりますが、反対を押し切ったようでございます」


「一騒ぎありそうだなぁ。この忙しい時に」


 望月さんの報告にため息が出てしまう。下手したら広忠さん暗殺されるぞ。前に警告はしてあるけど。


 というか、そんなに先に織田に臣従した親戚や一族が許せないかね?


 美濃が臣従して焦ったのかなぁ。この忙しいタイミングでの臣従って織田にとっては正直、軽い嫌がらせだよね。


 法要が終わってからだと立場がないのはわかるが。


「挑発に乗らないように、三河衆に釘刺しておいたほうがいいなぁ。信広さんに書状を出すか」


 やられたらやり返せというのがこの時代だ。さすがに安祥とか織田家直轄領は狙わないだろうが、織田家中にいる親戚や一族の者は狙われかねない。


 織田家への敵対ではない。一族の問題だと開き直ることは十分あり得る。そんな言い訳が織田家では通じないけど。騒ぎを起こしても勝てば一定の評価をされて召し抱えられるとかこの時代だとないわけではない。


 一か八かの賭けに思えるが、誇りとか面目を保つためにはやりかねないんだよな。


 まあ、松平宗家が動かない限りは小競り合いで終わるだろう。その程度ならば安祥の信広さんが鎮圧するはず。とはいえ公家衆が来ている時に騒ぎは困る。


「やっぱり花火見物は城か船がいいかな」


「そうね。津島神社は厳しいと思うわ」


 望月さんは忍び衆の増員のために急いで動きだした。残ったオレはメルティとこの件の影響を相談する。


 自棄になった人も怖いんだよね。公家を狙う人が出ないとは限らない。怖いのは花火見物が夜だということだ。不特定多数の見物人が集まる夜の警備はセレスが今も頭を悩ませている。


 そんな中で出た案が、近隣の勝幡城しょばたじょうかウチの船での花火見物だ。城はあまり使ってないらしいが、花火大会を見物するくらいなら問題ないようなんだ。


 船は舟遊びというのが平安時代から公家がしていたなんて話もある。抵抗感もないだろうと山科さんに内々に相談したら教えてくれた。ウチの船だと大きいので数隻使えば公家と招待客の見物なら余裕だろう。


 ただ問題は海が荒れるとか川が増水すると河口かこうに近い津島付近では船が揺れることなんだよね。海や川の状況次第では地上での花火見物の準備も必要だ。


 また仕事が増えるなぁ。


 本当に松平広忠さん。タイミング悪いよ? いつもながら。



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