第806話・駿河の決断

Side:今川義元


「御屋形様、東美濃が落ちました。また北美濃の東家も臣従したようでございます。これで美濃はまとまりましょう」


 雪斎が顔色を悪うしてなにを知らせに参ったのかと思えば、美濃が織田の手に落ちたとは……。


 北美濃と東美濃は山ばかりで織田と争うとは聞いておらぬが、それでも織田は領地を召し上げることから臣従まではいかぬと思うておったが。


「苗木城の遠山が臣従を拒んでおりましたが、岩村と明智の遠山が兵を挙げました。織田は斎藤義龍を大将に援軍を送り、苗木城が落ちると東美濃はほぼすべて織田に臣従をすることになったようにございます」


 遠山か。あそこは氏族が藤原のはず。挙兵のわけはそれか。美濃守護を斯波家が得たことも大きいの。おそらく苗木の者らも戦になるまで抵抗するつもりはなかったのであろうが。我慢出来ずに動いたのは遠山一党か。


「蝮の嫡男か。不仲と聞いておったが?」


「それは拙僧にもわかりかねます。されど義龍は清洲にて仕えておるとのこと。織田とは上手くいっておるのやもしれませぬな」


 これで織田が信濃に進むことも考えねばならんということか。


「雪斎、母上の気は変わらぬのか?」


「はっ」


 わしは迷うておる。雪斎もそれは同じであろう。


 大内義隆殿の法要。それに誰を出すか。あり得ぬとは思うが、武田晴信が自ら行くことも考えておかねばならん。母上にその件と三条家を含む公卿が都からくることを話すと、母上は自ら尾張に行くと言い出したわ。


 公卿も参列する法要に斯波家が招いたのじゃ。謀はあるまいとはわしも思う。されど長年争う尾張に自ら行くと言い出すとは、我が母ながら肝が据わっておると感心するわ。やはり噂の久遠家の女にも母上ならば負けまい。


「これを機に公家どもが織田を恐れ、周りが手を組むような流れにでもなるとよいのじゃが……」


「それこそ織田の思うつぼでございましょう。さらに六角と北畠は動かぬかと。織田と誼を結ぶ利は大きゅうございます」


 あり得ぬのはわしもわかる。されどそのような願いでも持たねば如何ともしようがないところまで追い詰められたわ。


「今川と斯波や織田にそこまで違いはなかったはず」


「久遠一馬という男が尾張に行き着いたことがすべてかと。武衛殿も内匠頭殿も共に油断ならぬ相手。されど両名がここまで上手くいくは、あの男がおればこそ。尾張の者は武士から僧に民まで明日を夢見て生きております。すべてはあの男の策と思うて間違いありますまい」


「まるで坊主ではないか」


 一向宗は極楽浄土を語って民を扇動して一揆を起こすが、久遠一馬とやらは明日を語り民を動かす。さらに南蛮船という得体の知れぬ力がある。信秀もよう恐れぬものじゃの。


「致し方ない……な。朝比奈備中守に供をさせる。朝比奈家は藤原氏であったはず、尾張にも行ったことがある。ちょうど良かろう」


 敵を恐れて滅ぶわけにもいくまい。わしが行くか母上が行くか。武田が動かんとも言えん。わしは駿河を離れられん。母上が自ら行くというならば行ってもらうしかあるまいな。


「拙僧も参りましょうか?」


「いや、母上の身に危害は及ぶまいよ。むしろ武田が気になる。そなたは残ってもらう」


 皮肉なものじゃ。先年まで同盟を結んでおった晴信より信秀のほうが信じられるわ。奴が母上に危害を加えることはあるまい。むしろ武田が刺客を寄越せる道中のほうが危うかろう。それも朝比奈備中守がおればよい。


 此度の一件は武田にとって千載一遇の好機となり得るのじゃ。雪斎には残ってもらわねばならん。


 長い夏になりそうじゃの。




Side:久遠一馬


 梅雨の雨音が響いている。屋敷を建てている大工さんたちも今日は雨でお休みなので、静かだということもあるが。


 もっとも大工さんに関しては他にも現場を複数抱えている。公家衆が来ることで清洲と津島では寺社が急遽補修など必要なところもあり、ウチの屋敷の建築は後回しにしてそっちを優先的に頼んでいる。


 あと伊勢神宮の宮大工。手の空いている人たちは尾張に出稼ぎに来ていたが、公家衆が伊勢神宮を参拝することで急遽帰った。あそこも出来る範囲で補修をしたいみたいでさ。


「あれ? あれ?」


「私の勝ちなのです!」


 雨音に耳を傾けていると楽しげなお市ちゃんとチェリーの声がした。リバーシで遊んでいるらしい。お市ちゃんも成長している。最近ではリバーシなども覚えて好きなようで、エルとかオレもよく相手をしている。


 チェリーのことだ。手加減をしないで最後の最後で逆転でもしたんだろう。戸惑うお市ちゃんの声がする。


 エルは先ほど清洲城の料理人が訪ねてきたので、千代女さんと一緒に別室で話をしていた。公家衆の滞在中の食事について相談を受けたそうだ。


 都の味付けの傾向とか、公家衆が好まない食べ物とかは山科さんのお付きの人に聞いたらしいが、実際のメニューになると相談する相手が限られているからね。


 万が一食中毒でも起こせば切腹ものだ。随分と悩んでいる様子だったからなぁ。


「ふふふ、貴公の命もここまででござる」


「ざんねーん。まだまだよ」


 隣ではすずとマドカが将棋をしている。雨だから今日は屋敷にいる人が多い。ルールは元の世界の将棋そのもの。この時代とは微妙に違うが、久遠家のやり方として家中では知られている。


 将棋に限らない。元の世界では統一されたルールや法があるが、この時代だと地方や地域によってまちまちだ。ウチのやり方が違うのも特に珍しくはない。


「それで度量はどうなったんですの?」


「評定を通ったよ。今後は統一される。違反者には罰則も与える」


 今日は熱田からシンディも来ている。以前からずっと議論をしていた度量、いわゆるものの量や長さを計るもののことを聞きにきたみたい。この時代だと米を量るますですら統一されていない。


 有名な逸話で年貢を量る升と、褒美として与える時の升が違うなんて話もあるくらい違いがある。長さを計る尺も物差しがいい加減だったりして微妙に違うんだよねぇ。


「ウチで作るんですの?」


「いや、工業村に任せることにしたよ。あそこも最近頑張っているし」


 優雅に紅茶を飲むシンディは、升や物差しをウチで作らないと教えるとホッとしている。ウチではいろいろ仕事を抱えているしね。それに度量はデリケートな問題だ。ウチがそれを決めたような印象は良くないからだろう。それでも元の世界のメートル原器みたいなのが必要だろう。どうしよう、ウチか、任せてみるか? 長さの次は重量も控えてる。温度や湿度は酒造りでウチが手を出してる。悩ましいね。


「あらあら、お目覚めね」


 升と物差しの生産次第ではあるが、早ければ来年の正月から統一された度量に変わる。そんな話が一段落した頃、お休み中だった仔犬たちが起きたようで元気に暴れだした。


「駄目ですわよ?」


 シンディの紅茶もなんだなんだと一匹の仔犬が近寄りクンクンと匂いを嗅ぐが、シンディは多少匂いを嗅がせるだけで留めている。


 ああ、隣では座卓の上に登ろうとして挑んでいるが、さすがにまだ無理なようで失敗してコロコロと転がっている。


「クーン」


 転がった仔犬を抱きかかえてあげようかと手を伸ばそうとしたが、その前にブランカがやってきてオレの膝の上に乗ってしまった。


 おかげで仔犬たちも集まるが、ブランカは自分も構ってくれないと駄目だとアピールしている。


 うん。ムツゴロウさんみたいな光景に見えるだろう。慣れたけど。


 ロボ? ロボはお市ちゃんの乳母さんにさっきから甘えている。なかなか要領がいいらしいね。




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