第797話・偉大な父を持つ者
Side:久遠一馬
桜まつり、楽しかったな。
まつり期間中には、今年も久遠家中の独身の家臣たちを集めてお花見で宴を開いた。ただ、参加人数は減っている。定期的に独身のみんなが出会う機会をつくっているので、すでに結婚している人も多いんだ。
その分、最近は若い夫婦が喧嘩をしたりしていて、資清さんの奥さんやオレとエルたちが仲裁するなんてこともある。
まつりが終わって、領内の各地からは桜まつりが概ね成功したとの報告が届いている。地域によって違いはあるが、刃傷沙汰とか大きな事件がなかったことで良しとしよう。
織田家では夏に行う大内義隆さんの法要の準備が始まっている。京の都から尾張までの旅路に宿泊場所と護衛、当然そこには公家としての体裁を保つ旅とする必要がある。
京の都に滞在する武衛陣の留守居役の話では、費用が問題となっているようで斯波家で招くという形になると思う。
なんというか、こちらが呼んだわけではないのに招くという形には個人的に若干の違和感がある。もっとも殿上人を含む大勢の公家を招くことは大変名誉なことではあるが。
多くの公家を招くことは、斯波家と織田家の権威を高め、尾張、美濃、西三河における領地の安定に大きく寄与するほか、名声は天下にも轟くだろう。
本来ならば旅費のほか莫大な礼金を払っても来てくれない人たちもいる。尾張なんて田舎と馬鹿にしている人たちだっているんだ。それが花火を見たいと向こうから来るんだから、こんな機会は滅多にないだろう。
「観音寺城の上様もお力添えをいただけるようだ。六角家も領内での護衛と案内を承知してくれた」
この日は清洲城の庭にてお茶を楽しんでいる。参加しているのは義統さん、信秀さん、信長さん、信康さん、信安さん、政秀さん、他重臣の皆さんにオレとメルティとシンディになる。
シンディはいつの間にか紅茶の指南役になっていて、ちょくちょく清洲で義統さんや信秀さんにお茶を淹れているんだよね。
咲き始めた菜の花を眺めながらの茶会は、天気がいいこともあり気持ちいい。
ちょうど義統さんから六角家との交渉の結果が知らされたが、協力してくれるそうだ。六角家に支払う謝礼は安くはないだろうけどね。京の都からの報せでは三好家も協力的であり妨害はしないだろうとのこと。
斯波、六角、三好。この協力体制が京より東の安定となっていて、京の都を押さえる三好家の大きな力となっている。
この件で斯波家と織田家の権威が高まることを警戒するかと思ったが、三好家は細川晴元もそうだが、まだまだ敵を抱えている。畿内への野心がないこちらを敵に回すほど長慶は愚かではないようだ。
それと義輝さんが協力してくれることになったことも情勢を動かすかもしれない。もしかしたら義輝さんは法要に来る気なのかもしれないね。
「まさかこれほど大事になるとは……」
「伊勢守家は、元は織田嫡流、この一件は大いに働いてもらうことになる。期待しておるぞ」
信康さんを筆頭に重臣の皆さんも、戸惑っているというほうが適切かもしれない。現代で言えば、いきなり我が町でサミットでも開くことになったようなものだ。外交など関わりのない人にとっては一生に一度の大事だろう。
そんな戸惑っているひとりである伊勢守家の信安さん。彼の呟きに信秀さんが声をかけた。
「なんと重大な役目。僅か数年前を思えば、驚くしかありませぬ」
伊勢守家の名前って権威あるんだよね。やっぱり。信安さん自身が文官気質で外交向きだという事情もあるが、当の信安さんはあまりに重大な役目に恐縮しているようにも見える。
弾正忠家に臣従するか戦をするかで悩んだんだろうしね。臣従しても飼い殺しにされると考えていたのかもしれない。残念ながら有能な人を飼い殺しにする余裕は織田家にはないので頑張ってほしい。
Side:
「まさか都の公家衆が尾張まで行くなど……」
前代未聞だ。先例を重んじる公家が大勢で尾張に行くなど聞いたこともない。家臣たちも戸惑っておる。確かに大内義隆の最期と、冷泉隆豊が首を守り抜いた忠義は近江でも知られておるが。
「邪魔をしても我らに得るものなどないぞ」
家中には面白うないと思う者もおるようだ。とはいえ平井加賀守が申す通り、邪魔をしても得るものなどない。特に上様は織田に入れ込んでおられるからな。つまらぬ邪魔をすれば朝廷と上様の御不興を買う。
「まあ、よいではないか。これを機会に我らの力を、公家衆や尾張者に見せ付けてやればよいのだ。幸いにして向こうから良しなにと頭を下げてきたのだ」
蒲生下野守も同意見か。不満そうなのは三雲。あの男の織田嫌いは相当なものだ。未だに織田が北伊勢に攻め寄せてくると吹聴しておると聞く。
確かに北伊勢では尾張に出ていく者が多く、ところにより困っておる村もあるとか。だが豊かな土地に人が流れるのは仕方なきこと。止めようとしてもそうそう上手くいかぬ。
そもそも織田は人を出した分だけ、今も銭を払い続けておるというのだ。国人の中にはそれをあてにしておる者も多い。文句のつけようもないな。
「公家の不興を買うこともあるまい。それに織田は北近江三郡の際もこちらに十分な配慮をした。此度は手を貸してもよいであろう」
父上が亡くなり六角家を継ぐと、わしは東の恐ろしさを痛感しておる。争うにはあまりに恐ろしき相手だ。
もっとも斯波とも織田とも友誼を保っておる。此度のことも謝礼は多かろう。争う必要などないのだ。
「御屋形様、これを機会に斯波が天下に号令をかけようとすれば、如何なさるおつもりか? 上様は斯波を管領にと望んでおるのではありませぬか?」
話が纏まりそうになった頃、我慢出来なかったのか三雲が不満げに口を開いた。重臣たちは呆れた顔になるが、三雲はそれをものともせぬようだ。
「ふん、武衛殿は管領など望んでおられぬ。そんなこともわからぬのか」
天下に号令をと口にした時、蒲生下野守が呆れたように笑い反論した。そうだ。織田の躍進に合わせてそのような話が時折湧くが、武衛殿も内匠頭殿も畿内に関わることをよしとしておらん。
上洛の一件以来、上様が織田に入れ込んでおるのだ。その気になれば管領就任もあり得るのだからな。
そもそも三雲は管領の細川と繋がっておる。気が気でないのは細川か?
天下に号令などと軽々しく語るこの男は、所詮は甲賀の田舎者か。父上が滝川ではなく三雲が出ていけばよかったとこぼしておったほど。
「下野守、万事抜かりなくするのだ」
「ははっ、お任せくだされ」
苦々しげに蒲生下野守まで睨む三雲に周りは呆れておる。これ以上話しても無駄だな。この件は下野守に任せるとするか。
ふと、父上の最期を思い出す。
尾張に行きたいと久遠家の南蛮船に乗りたいと、困ったら内匠頭殿を頼れと遺言を残されたことだ。
父上。まことに新たな世は尾張から来るのでございまするか? 家臣たちの中には父上は少しお疲れだったのだと言う者もおりまするが。
奇しくも大内義隆も似たような遺言を残しておる。これは偶然か?
まあよい。今しばらく尾張を見極めようではないか。父上が残してくだされた刻がわしにはあるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます