第798話・見守る者たち

Side:久遠一馬


 桜が終わると、尾張は新緑の季節となっていた。那古野や清洲や蟹江では相変わらず建設ラッシュと言っても過言ではないほど、新しい建物があちこちで建てられている。


 賦役に関しても順調だ。清洲、那古野、蟹江に関しては中心部の整備が終わると郊外へと賦役によって道や町の整備が続いている。


 津島と熱田は津島神社と熱田神社の敷地は変わらないが、町の区画整理が本格的に始まっていた。こちらは尾張の発展の影響で町が無計画に広がっていて、以前から問題になっていたところになる。


 蟹江というお手本が目に見える形で出来たことや、放っておくと今後もこの流れは続くということで、旧来の住人たちも自分たちの家屋敷を移すことを含めて決断した。


 もっとも織田領では関所の通行税を織田家が握っているので、費用は織田家が出すということも大きい。津島の川の浚渫や熱田の港の整備も大規模ではないが細々としているし、尾張南部の発展は止まらず続いている。


 那古野で言えば城と周囲の屋敷の整備が始まっているので、ウチの屋敷の辺りは賑やかであるが。


「やはり産気づいてる」


 夕食も終わり、日が暮れようとしている頃だった。ブランカのことを定期的に確認していたケティが産気づいたことを知らせてくれた。犬の出産は早いなぁ。


「クーン」


 父親であるロボは状況がわかっていないのか、パタパタと尻尾を揺らして駆け寄ってきた。ただブランカは出産のためにと作った木製の寝床で落ち着かない様子だ。


「頑張れ、ブランカ」


 オレたちはケティを含めて見守るしか出来ない。母子共に順調で自然分娩で大丈夫らしいので、ケティも特にすることがない。


「殿、お方様。おやすみください。異変があれば寝ずの番が知らせます故」


 じっとして居られずエルたちと屋敷に滞在しているアンドロイドのみんなに、資清さんとか慶次とかまで一緒に離れたところから見守る。屋敷の部屋のひとつをブランカが気に入って使っているため、オレたちは隣の部屋で静かに見守るんだ。


 完全に夜も更けると、ブランカがあくびをしたりいつもと違う鳴き方をし始める。家臣は休んでと言うが、落ち着かないんだよね。なるべくブランカの負担にならないように見守り続けたい。


「産まれる」


 そして深夜を回った頃だった。ケティがブランカの出産が始まったことを教えてくれた。よかった。自然に出産出来るらしい。


 隣の部屋の障子の隙間からみんなで覗いてみる。暗くてよく見えないが、確かに生まれそうな感じだ。


 そしてその瞬間、思わずあっと声を出しそうになった。ブランカの傍でなにか小さな影が動いた。


 産まれたんだ。


 ついつい駆け寄ってやりたくなるが、出産はまだまだ続く。ケティの話では四匹産むらしいので、あと三匹か。




 夜が明けた頃、ブランカは無事に四匹の仔犬を産んだ。愛しむように仔犬を舐めて我が子を育て始めるブランカの姿にオレたちはホッとして長い夜を終えた。


「うまれたの!?」


 ケティの指示でブランカと仔犬は当分はそっとしておくことになり、オレたちは徹夜したので少し休んでいると、お市ちゃんがいつもより早くやってきた。


 産まれたら知らせてほしいと言われていたので、昨夜のうちに清洲城に知らせていたんだよね。どうも朝起きてそのまま来たらしい。


「ええ、産まれましたよ」


「よかったね、ろぼ!」


 我が子が産まれたこと、わかっているのかいないのか、オレたちと一緒にのんびりしているロボをお市ちゃんは嬉しそうに撫でて仔犬の誕生を喜んだ。


「ぶらんかとこいぬにあえないの? おめでとうっていうだけでも?」


「産まれたばかりの頃は親子だけにしてあげないとダメ。ブランカが上手く子育てを出来なくなるかもしれない」


 そのままお市ちゃんは喜びのあまりすぐにブランカと仔犬に会いに行こうとしたが、ケティに止められて残念そうに隣の部屋からそっと覗くだけになった。


「うわぁ、ちいさいね」


 お市ちゃんが初めてロボとブランカと会った時より遥かに小さい、まだ濡れている産まれたばかりの仔犬にお市ちゃんは感動しているようだ。


「ほう、四匹か。無事に産まれてなによりだ」


 その後は朝食もまだだったお市ちゃんと乳母さんと一緒に朝ご飯を食べて、お市ちゃんが飽きることなくブランカと仔犬を静かに見守っていると、信秀さんと信長さんが揃って姿を現した。


 時間的に朝ご飯を食べてすぐに来たっぽいね。親子三人で障子の隙間から覗く姿は微笑ましくもある。


 信秀さんは無事に育つようにと、すぐに祈祷をさせるように命じていてお市ちゃんを喜ばせた。


 うーん。最低でも一匹はウチで育てたいなぁ。信秀さんとお市ちゃんに一匹ずつあげるべきか? 信長さんも欲しいかなぁ。


 仔犬たちは数日このまま見守り、落ち着いたら会えるだろう。


 みんな元気に育つようにケティたちに頼んでおいた。みんなで散歩に行くのが楽しみだ。




Side:乳母、お冬


「姫様、朝でございます。ブランカが産気づいたと昨夜、知らせが届いておりますよ」


 気持ちのいい朝日が障子越しに差し込む中、まだ眠いのか起こしても中々起きていただけない姫様ですが、ブランカの名を出すと一気に起きだします。


「ふゆ! かずまのところにいく!」


 一馬殿より頂いたお布団を大きく開けた姫様は、今まで見たことがないほど元気に起きだすと夜着のまま部屋を出ようとされます。


「姫様、お待ちください。お着替えせねば行けません。その間に殿の許しを得て参りますので、お着替えをお願い致します」


 侍女の皆が慌てて姫様を止めて着替えをさせていきます。姫様はブランカの出産には立ち会いたいとおっしゃっておりましたので、そのせいでしょう。


 ブランカと子が無事に産まれ元気に育つようにと、姫様ご自身が何度も寺社に足を運び祈っておりました。


 誰かに聞いたのでしょう。子を産むのはとても大変なことだと。母子共に無事となるには神仏に祈り願わねばならないと姫様は真剣でございました。


 せめて朝餉あさげを済ませてからでもよいのではないかと殿に言われても、姫様はすぐに行くと強く求めて許されました。


 馬車に乗り、慌てて支度をしてきた警護の者たちと共に那古野に急ぎます。


「ぶらんかとあかごたち、だいじょうぶだよね?」


「ええ、大丈夫でございますよ。姫様は何度も神仏に祈っておりました。それにケティ様たちもおられます」


 久遠家のお屋敷に出向くようになって、毎日のように共に遊んだブランカは姫様にとって特別なのでしょう。


 まだ小さい手を握りしめて案じると、神仏に真剣に祈る姿は姫様も大人に近づいているのだなと感じるものがあります。


 久遠家の屋敷は朝から多くの者たちが集まり、少し賑やかな様子でございました。馬車が到着すると、皆が笑顔で姫様を迎えてくれたことでブランカのお産が上手くいっていることを私は悟ります。


「ろぼー、ぶらんかー」


 足早に屋敷の中を歩く姫様に私も続きます。


「おはようございます。姫様。仔らは無事に産まれました。それにブランカも元気です」


 ブランカのいる部屋の隣には一馬様や奥方様に八郎様までおられました。どうも一晩中起きておられた様子。


 皆様の明るい顔に姫様もまた花のような笑顔を見せて喜ばれました。


 よろしゅうございましたね。姫様。本当によろしゅうございました。




◆◆


 天文二十一年春、久遠家の愛犬であるブランカが仔を生んだと『資清日記』にある。


 久遠一馬とその妻や家臣たちが産気づいたブランカを見守るために徹夜したと克明に書かれていて、久遠家の日常や愛犬との関係がわかる出来事となっている。


 他には津島神社がブランカと仔の無事を祈る祈祷をした謝礼の記録があり、それが織田信秀名義だったことで当時の信秀と一馬の親密な関係が読み解ける。


 久遠家の愛犬のロボとブランカの仔の子孫は、現在も尾張犬との愛称で数多く残っていて、久遠家や織田本家には直系の子孫が今も家族の一員として飼われて愛されている。




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