第796話・桜の花と共に……
Side:久遠一馬
日に日に暖かくなるこの頃、今日は桜まつりこと観桜会だ。
「エル、大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ」
この日は久々にエルと一緒にお出かけだ。念のため護衛はいつもより多いが、気分転換と運動にもなるのでケティもお花見に行くことは許可した。
寒くないようにして馬車での移動で清洲に向かう。
エルはここのところ屋敷に籠ることが多かったが、特にストレスを感じていた様子ではない。とはいえお花見に出かけることは嬉しいようで、今朝から笑みが絶えなくご機嫌だ。
「今年は領内の各地で祭りが行われているんだ。三河安祥、美濃大垣、美濃井ノ口、関ヶ原を筆頭に、村単位でも祭りをするところが結構ある」
そんな完全に産休となっているエルに、今年の桜祭りを説明する。今年は織田領内各地で桜祭りが行われるんだ。これはオレたちが決めたことではなく、昨年の関ヶ原での桜祭りを経験した結果によるものだ。
武芸大会や花火大会と違ってお花見は一か所に集まる必要もなく、また地元でも祭りをしたいという意見が結構あった。目的が豊穣祈願や田植え祭りと思われているからだろう。
この結果、主要な町や各村などでの祭りも行われることになった。織田家としては賦役を休みとして、祭りを知らせる紙芝居やかわら版を各地に出した。
費用は安祥や大垣などの直轄領では織田家が出しているところもあるが、必ずしもすべてで出しているわけではなく、村単位の祭りなどは村で出したりしている。
「皆さん、楽しそうですね」
馬車は清洲や那古野近辺では、すっかり馴染みのものとなった。通りを走っていると控えてくれたり手を振ってくれる子供たちなどがいる。
今オレたちが乗っている馬車は黒い漆塗りに織田家の家紋入りの高級感があるものだ。
以前は最初に持ち込んだ木材にニスを塗ったシンプルな馬車に乗っていたが、信秀さんから頂いたこの高級な馬車に最近は乗ることが多い。
馬車に関しては補修と整備を工業村が担っていて、織田家家臣に販売している日本在来馬でも牽ける小型の幌付きの馬車と、織田家や斯波家のみ許されるアラブ馬で牽く高級な馬車がある。
大型の馬車に使うアラブ馬は相変わらずウチが管理していて、車体は工業村で少数の製造をしている。馬車が故障などしても大丈夫なようにと複数の馬車が常に用意されているんだ。
少数生産した高級馬車はウチや極一部の織田一族に褒美として与えられていて、現状では犬山城の信康さんと伊勢守家の信安さんに与えられている。
維持費も馬鹿にならないので、並みの武士だと与えても困るんだよね。アラブ馬の維持費に随行する護衛のための人と馬とか、アラブ馬や人のための雨天装備のマントとかとにかくお金がかかる。
アラブ馬は去勢した馬を貸し与えているが、餌代とかは各自で負担してもらっているし。随行する護衛の馬も、きちんと馬車に合わせて移動出来る訓練された馬でなければならない。
この時代だと基本的に馬の去勢とかしないので、馬の気性が荒いなんてよくあるしね。実際、織田家と斯波家の馬車の護衛が乗る馬は基本的に去勢した馬を用いている。
牧場での馬の繁殖も順調だし、関東や木曽辺りからいい馬が結構集まるので数と質を揃えることが出来たんだ。
「エル様だ!」
「お体は、大丈夫でございますか!?」
馬車が清洲郊外の寺に到着すると、お花見に集まっていた人々が少し騒めいた。
以前はオレと一緒にあちこちと出歩き、多くの人と直接向き合い話していたからだろう。妊娠して以降外出を控えていたエルが来たことで、祭りを手伝っている顔見知りの子供たちが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ええ、大丈夫よ。凄い賑わいね」
「はい! お楽しみください!」
お花見会場である寺では多くの子供たちが働いている。武芸大会の時にリリーが始めたことが尾張に根付いていて、今年の花見なんかは準備の段階から率先して働いてくれたと聞いている。
大勢の人が集まっても大きな騒動にならずに楽しむ様子にエルの表情も緩む。子供たちも自分たちで支度した祭りに誇りと自信があるんだろう。
会場を警備する警備兵に出店や屋台を開いている商人の皆さん。寺社の僧の皆さんも会場の運営や手伝いにと働いている。
「すっかりみんなの祭りになったね」
「ええ、それがなにより嬉しいです」
為政者やオレたちのような裕福な人ばかりではない。領内に住むみんなで運営して楽しむ桜祭り。これこそ桜祭りの本来の姿だ。
オレたちの手を離れた桜祭りは、人々によって受け継がれて永久に続いていくだろう。
来年は生まれてくる子供も一緒に来られたらいいな。
Side:隆光(冷泉隆豊)
「これはなんとも賑やかで、楽しげな祭りでございますな」
御屋形様、ご覧になられておられまするか? 尾張の春は賑やかでございますぞ。
あれから月日が流れ、あの世で先代様にお叱りを受けておられぬか案じております。某は次の世は尾張から動くであろうとおっしゃられた御屋形様の正しさを、ここに来て日々感じておりまする。
戦で争わずしても国を富ませて豊かにする。ここ尾張は、周防の更に先を行っておりまするぞ。
「これは隆光様、よろしければおひとつ如何でございますか?」
「ほう、美味そうだな。ひとつもらおう」
町を歩けば、武士や僧ばかりか民にすら声をかけられることもよくありまする。仏の弾正忠様と同じ政で国を治めていた御屋形様の名がここでは民にまで知られており、そのおかげで某も皆に良くしていただいております。
御屋形様が生きておられたならば、西と東から戦のない世の為に天下を纏めることも出来たのではと思えてなりませぬ。
「隆光様、あまり気を抜き過ぎぬようにお願い致します。警護は万全を期しておりますが……」
「わかっておる。気を使わせて済まぬの」
御屋形様の菩提を弔う傍らで、御屋形様と過ごした日々を書にするべく書き残してゆく日々。悪くない日々でございます。
ただ、すでに俗世を離れた某が、未だに隆房に狙われておりまする。今更、某を討ったところでなにひとつ変わらぬとわからぬことが、あの男の愚かなところ。
御屋形様。御屋形様はやはり乱世には向かぬお方でございました。尾張に来てそう思いまする。ここのような太平な世ならば、御屋形様はもっと違う生き方が出来たはずでございます。
「これはなんじゃ?」
「桜餅でございます。綺麗でございましょう? これは久遠様の秘伝の菓子。ここでしか買えません。味も美味しゅうございますよ!」
綺麗に咲いた桜の花と民の笑顔。この場に御屋形様がおられぬことが寂しく思います。
「これはよいの。すまぬがいくつか包んでくれるか? 御屋形様の仏前に供えたいのだ」
「はい!」
一際、人々が集まっておったのは、小綺麗な子らが多い屋台。この者らは久遠殿が育てておる子らでございます。
周防にもなかったような珍しき料理や菓子が並ぶ中、目を引いたのは桜の花のような綺麗な色をした餅でございます。
これは御屋形様が好みそうな菓子。幾つか買って参ります。
御屋形様の下に届くように
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