第793話・伝わらぬこと
Side:久遠一馬
三河の松平宗家の臣従と、東美濃と北美濃の国人や土豪の臣従は停滞している。双方に共通するのは、領地の召し上げを嫌がっている人が多いことか。
織田に招待されて尾張に来たことがあるような国人などは、力の差があることや臣従後の扱いもそこまで悪くないと理解しているが、その家臣レベルになるとほぼ理解していない人がそれなりにいる。
あと美濃で言えば、先に臣従した西美濃の大垣周辺の国人などは領地整理をされていても領地を保持していることが比較対象であり、それと比較して条件が悪いことに不満を抱えている者が多い。
三河はもっとめんどくさい。織田に臣従した者と松平宗家に残った者の対立、血縁や一族の序列をどうするかという問題。それとこちらも領地の問題が地味に影響を及ぼしている。
織田家三河衆はむしろ領地整理を覚悟していて、三河で言えば信広さんが所領を直轄領としたし、水野さんが領地整理の先陣を切った。
織田弾正忠家本来の尾張南部も例外なく今後は領地整理をしていくという信秀さんの覚悟と、従えば悪いようにしないとの信頼があるからいいんだけど。
まあ三河衆は領地がどうとか言う前に忙しいんだけど。三河での賦役や治安維持などの役目の中核は彼らなので普通に忙しい。働く役目があるとそこまで大きな不満は溜まっていないようだ。
さて、尾張はすっかり春の陽気となり、エルはお腹の中で日に日に育つ我が子を感じるのか穏やかな日常を送っている。
エルの仕事は完全に休ませることにした。基本的な代行はメルティがしていて、細々とした仕事はオレたちや資清さんたちを含めたみんなで分担している。
仕事の件はオレが決めた。今後、子供を産むみんなのためにも妊娠と子育ての期間はきちんと休む体制を整えることにしたんだ。
編み物をしたりお菓子作りをしたりしていて、お市ちゃんがエルと一緒にいる時間が増えたと喜んでいる。
本の読み聞かせをしたり、文字を教えたり、一緒に散歩したりもしている。
ああ、ブランカも順調なようで、屋敷内の部屋で大人しくしている。どうも気に入った部屋を出産の場にするらしい。
「殿、近衛殿下より文が届いております」
春の陽気を感じながら細々とした仕事をしていると、太田さんが少し緊張した様子で現れた。近衛稙家さんの手紙? なんかあったか?
義統さんや信秀さんではなく、オレに手紙が来たことに控えていた資清さんも驚いているが、内容によっては大変なことになるかもしれない。
急遽メルティを呼んで手紙の中身を確認することにした。
「……よかった。子供のことだ。無事に子が生まれるようにと祈祷してくれたらしい」
身分が違うオレに直接手紙なんて何事かと驚いたが、子供が出来たお祝いと無事に生まれてくるように祈っているという手紙だ。
というか京の都の近衛さんのところまで子供のこと知られているのか。
「返礼は守護様に相談するべきでしょうね」
「そうだね。あとで清洲にいくか」
恐らく義統さんや信秀さんのところにも手紙が来ているだろう。メルティが返礼を相談するべきだと言うので同意しておく。
そろそろ春の献上品が朝廷に届いた頃だろう。季節毎に送っているので、それほど変わったものはない。とはいえ献上品の評判は凄いからね。近衛さんに返礼をどうするかはこの時代の人の意見を聞く必要がある。
「そういえば吉二君の両親の働き口どうなった?」
あと、今日は伊勢から吉二君の一家が蟹江に到着することになっている。昨年伊勢に行った時に再会して、その時に信長さんが尾張に来ないかと誘った結果だ。
「若様の城に奉公することになっております」
一家で来るので家と仕事を用意してやることになっていたんだが、信長さん自分のところで雇うことにしたのか。吉二君を学校に行かせるなら、那古野がいいからなぁ。
偶然の出会いとはいえ、生まれる瞬間に立ち会った吉二君のこと相変わらず気に入っているみたいだね。
今の尾張は各地から来た出稼ぎ労働者も多い。吉二君一家もすぐに馴染むだろう。
Side:苗木遠山家の重臣
「何故、所領を捨てるような条件で自ら臣従するというのだ?」
岩村城の遠山本家から、尾張の織田に臣従するとの使者がまたやってきた。しかも織田から求められたのではなく、自ら臣従を申し出るなどあり得ぬと以前反対したにもかかわらず、聞き入れるつもりはないらしい。
気に入らぬことは、織田は土地を奪うことか。銭で俸禄とすると聞くが、そんなものいつまでも続くわけがあるまい。
かつての土岐家や足利家ですら、我らの領地を奪うなどしなかった。にもかかわらず尾張の織田は我らから土地を奪うつもりなのだ。いかに斯波家が美濃守護に任じられたとはいえ、それはあまりに傲慢と言えるのではないのか?
「どうしても臣従したくば、己らで勝手に臣従をするがいい。我らは別のところから養子を迎えてでもこのままやっていく」
ここ苗木遠山家はあいにくと養子が続いておる。岩村からの養子であった先代が昨年に亡くなり、次も岩村から養子を迎えようと話をしていたが、祖先より受け継いだ領地を売り渡すようなところから養子は迎えられぬ。
何代か養子が続いたことで、苗木遠山家は我ら家臣が
そもそも西美濃の者らには領地安堵した者も大勢いるというではないか。連中より条件が悪いなどあり得ぬ。
「だが、岩村が織田の援軍を受けて攻めてくればいかがする?」
「地の利はこちらにあるのだ。大軍が来ても早々に敗れはせぬ。それにこんな山ばかりの土地にわざわざ攻めてくるか? その前に織田と我らが直に話すことが先であろう」
岩村への怒りをぶちまけていると、戦の心配をする者が懸念を口にした。
愚か者め。同じ立場で状況もわからぬのか。岩村などと話したとてどうしようもないのだ。我らは岩村の家臣ではない。織田と直に話して我らを認めさせる必要があるのだ。
それにこちらから安易に織田を敵に回す気はないわ。織田とて、わざわざ兵を挙げてくるほどではあるまい。
「狙いは川の水運か」
そう、織田の狙いはおおよそ見当がついておる。近年飛騨や東美濃から尾張に大量に売られておる材木の税であろう。川を下って尾張まで材木を運んでおるが、その税を各地で取っておる。
織田としては木曽川を己のモノとしたいのであろうな。
だが、我らは代々この土地で生きてきたのだ。暮らしの糧であり、祖先から守りぬいてきた土地。なにを考えておるかわからぬ余所者に容易く明け渡すと思うなよ。
とはいえ相手を怒らせることも得策ではない。尾張に運ぶ水運の税を軽くすることは考えねばならぬか。所領の安堵さえあれば我らは抵抗する気はないのだ。
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