第794話・織田水軍の春

Side:真田幸綱


 我らが尾張に参ったのは昨年の晩春だった。あれからもうすぐ一年になろうとしておる。


「また祭りか。尾張者は祭りが好きだな」


 先日、聞いた春の祭りの話を思い出したのか、甲斐から参った武田家古参の家臣が不満そうに呟いた。桜の花を見る祭りだと聞くと京の公家の真似事かと思うたが、家中ばかりか民すら集まり宴を開くのだという。


 夏には夜空を照らす花火で盛大な祭りをしたかと思えば、秋には武芸大会にて武士から僧侶に民まで一体となり祭りをしておった。さらに年始の冬でさえ烏賊のぼりにて騒いでいたのだ。まさか春まで祭りとはな。


どこにそのような銭があるのだと不満を抱えるのも当然であろう。わしはまだ武田家では新参者故にそこまで思わぬが、甲斐源氏の武田家の古参の家臣とすれば面白いはずもない。


「それより甲斐は大丈夫なのか……」


 もっとも我らの敵は織田ではない。今川だ。奴らは湯ノ奥の金山と信濃にて優位に進めておる。特に厄介なのが信濃だ。我が真田家の領地もある信濃は、必ずしも武田家に忠義を持つ者が多いわけではない。


「ふん、戦をすれば負けん」


 不安を口にする家臣に古参の者は、臆病者とでも言いたげな顔で睨み負けぬと言うたが、それは地の利がある甲斐で戦をするならばという話であろう。果たして信濃や遠江で勝てるか?


 御屋形様はひとかたならぬお方だ。とはいえ仏の弾正忠とまで言われる内匠頭様に勝るかと言われると難しかろう。今川が西三河から逃げ出したのもわかるというもの。


 関東では北条が関東管領上杉憲政を追い出したとも聞く。北条は織田との商いで莫大な利を得ておる様子。武田家と今川の争いも西が潰し合うので好都合であろう。北条が動くとすれば織田と謀るときか。


 三河が少し騒がしいようだが、織田はまったく気にしておらぬ様子。そんなことよりも領内を整えることで大きゅうなっておる。


「今川との戦が終わる頃には、尾張は如何になっておるのであろうな」


 思わず口にしてしまった懸念に誰もが口を閉ざした。我らはここに参って知ってしまった。尾張は甲斐や信濃など物の数ではないほど力があることを。畿内は言うに及ばず、尾張より東は貧しいのだ。


「そう悲観することもあるまい。今川は斯波家と織田家の仇敵、されど我ら武田家は客人としてここにおるのだ」


 しばしの沈黙のあとにひとりの家臣が良きところもあると言うと、皆に安堵の表情が広がる。実情は人質なのだといえばそうなのだろう。とはいえ武田家はそれで尾張から塩や兵糧などを買っておる。


 それに若君が学校にて学べておるのも確か。今川よりは優位に運んでおるところではあるな。


 懸念は今川の太原雪斎。あの男に武田家は翻弄されておるのだからな。


 わしに出来ることは多くはない。武田家は如何になるのであろうな。




Side:久遠一馬


 蟹江の港は相変わらず賑わっていた。ウチの船に佐治水軍改め織田水軍の船や、他所からの商船がいろいろと見える。


「あの船か」


「ええ、そうです。ちょっと古いですけどね」


 今日は信長さんと共に来ている。信長さんは港に泊まっている三隻の古いジャンク船を見て、大丈夫なのかと言いたげな顔をした。


 船は黒く塗られているものの、明らかに古さが際立っているからだろう。南蛮船と船団を組んでこの三隻をここまで運んできたのは、リーファと雪乃だ。


 このジャンク船はウチが使っている船の中でも古い船ということにしていて、古く遠洋航海には厳しいので近海で使うために織田水軍に譲渡する目的で運んできてもらった。


「先代の頃まではよく使っていた船だよ。今では南蛮船に変わったけどね」


「あちこち傷んでいますが、修理すれば近海での航海ならばまだまだ使えます」


 ふたりはこの船について説明を始めたが、実は明の辺りで古くなって廃船間際のジャンク船を買い、帆を替えて、喫水下に銅板を張るなど多少改修したあとに運んできたらしい。この時代の船は寿命が短い。特に船底につくフナクイムシが厄介で、その対策として船底に銅板を張ることにした。当然これもこの時代にはない技術なので久遠家の秘伝にする。


 南蛮船を造る前の主力の船という扱いで織田家に譲渡して、少しでも海上輸送を強化しようということだ。


 尾張ではすでに久遠船を量産していて、以前修理と改造をしたキャラック船の経験を生かすために次はガレオン船の建造も計画している。


 とはいっても需要のほうが急激に伸びているので船も船乗りも足りてない。特に伊勢大湊や関東との航路は船が頻繁に行き来していて足りないくらいだ。この船も大湊との航路で荷物を運ぶ予定になっている。


「若様、十分使える船でございます」


 もともと水軍の存在しない織田家において、水軍の整備は優先順位が高い。織田水軍を束ねる佐治さんがリーファと雪乃と共に出迎えてくれたが、先に内部を視察したらしく、あちこち傷んでいても船体は修理で使えると判断したらしい。


「海も足りぬものばかりだな」


 船はすぐに船大工たちに引き渡された。船大工たちを指揮している鏡花と善三組ならばすぐに使えるようにしてくれるだろう。信長さんは蟹江の屋敷に入ると、少しため息交じりに現状を憂いた。


「五年、十年先を考えて整えるものですからね。それと水軍に輸送も任せているので、船が足りなくなっているんですが」


 今川や北畠から見ると脅威とも見える水軍整備であるが、信長さんはいささか不満らしい。水軍の主力は未だに小早であるし、輸送船も片っ端から旧来の船を改造した改造久遠船だ。


 新造久遠船と、以前南蛮人が乗ってきて改造したキャラック船の二隻は関東との交易が主で、そこまで余裕があるわけではない。改造キャラック船はウチの島との荷物運びにも使っているしね。


 あとはオレたちの移動用のキャラベル船と、織田家と佐治さんに貸したキャラベル船が尾張に常駐しているが、忙しい時はそれも動かして荷物を運んでいるほどだ。


 陸路がもう少し使えればいいのだが、陸路は関所が多く道も悪い。


「船大工も船乗りも教育を始めたばかりですしね」


 以前も説明したが、船大工と船乗りの育成はすでに始まっている。大々的に学校として育成するには校舎の建設が必要であるが、そちらは蟹江城の一部を学校にすることで計画が進んでいる。


 ただ、建設は宮大工が忙しくて後回しになっている。那古野の病院と学校の拡張はほぼ終わったが、信秀さんと信長さんの意向で蟹江城よりも那古野城と周囲のウチの屋敷などの再編が優先された。


 水軍は佐治さんが、船大工は善三さんが、それぞれに人を集めて育成してくれているんだけどね。まあものになるのはまだまだ先だろう。


 もっとも他国からすると贅沢な悩みなんだろうが。




「エルの様子はどうだい?」


「いいよ。元気にしている。みんな大切にしてくれているしね」


 最近忙しい信長さんは幾つかの報告を受けると一足先に清洲に戻ったが、オレはリーファと雪乃と共に温泉でゆっくりする。


 話題は妊娠中のエルだ。やはり心配らしい。


「不思議なものですね。厳密には父も母もいない私たちアンドロイドが母となる」


 リーファはエルが元気だと聞くとホッとした顔をしたが、雪乃は感慨深げな様子で温泉から見える庭を見ていた。


 家庭というものも知らず、また家族という存在すらいない。強いてあげるとすれば、オレたちが家族みたいなもんだった。


 仮想空間とはいえ命を創り出したオレが、現実世界で自ら創り出した者たちと愛を育み命を授かる。


 これを奇跡と言わずしてなにを奇跡と呼ぶのだろうか。


「まあアタシたちは気楽だね。司令は大変だろうけど」


 少ししんみりとした中、リーファはオレをからかうような笑みを浮かべた。みんな好きなことをして楽しんで生きているからなぁ。


 それは素直に嬉しい。ちょっとバランスの悪い夫婦で確かにオレは大変だけど。




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