第790話・春の夕餉のころ

Side:久遠一馬


 三河が相変わらず不穏だ。現状のまま従う家臣と共に臣従を決断した松平広忠さんだが、松平宗家の家臣や家臣だった人たちは納得していない人がそれなりにいる。


 単純に立場が下がることを嫌う人もいれば、今川に従ってもいいことがなかったことで信じられないという人もいる。


 とはいえ彼らは織田にも今川にも勝てないことは理解している。残る選択肢として西三河で武勇を示したいのが本音なんだろうね。


 それと信秀さんのところには、三河衆が不安と不満を燻らせていると文が届いた。こちらの対処も検討中だ。


「いい出来だねぇ」


 もうすぐ夕方になる頃、ジュリアが先ほど信光さんのところから届いた清酒を試飲していた。


「これからも失敗と成功はあると思うけど、大筋のやり方は教えたわ。温度計も貸したし、大丈夫じゃないかしら」


 守山城下で作った酒造りの村による清酒。ウチで酒造りを経験済みの職人が仕切って、医療型のマドカが時々指導しながら造ったお酒になる。


 マドカは一から十まですべて教えるというよりは、問題が起きたら必要なことを教えているらしい。失敗と経験を積ませる。オレたちがこの時代のみんなと仕事をする時に重要視していることだ。


「いつか造り手や地方によって、味わいが違う酒が飲める日が来るといいですね」


 セレスの言う通りだ。気候風土や人の歴史が多様化を生む。


 もともとギャラクシー・オブ・プラネット時代のオレたちは、そこまでお酒を飲む習慣はなかった。技術習得と資金獲得のために造っていたことはあるが。


 こうして一緒にお酒を飲んで夜を迎えるのは、生きているからこそなのかもしれない。


「これは確かにおいしゅうございますな」


 一緒に仕事をしていた資清さんもジュリアに誘われて飲んでいる。オレももう仕事はいいから今日は早めに切り上げてお酒を飲むことにする。


「これは売るのでございますか?」


「当面は織田家で買い上げて、織田家から売ることになるよ。実質ウチが差配するだろうけど」


「それがようございますな」


 日頃あまり商いに関わらない石舟斎さんが、珍しくこの酒の商売のことを訊ねてきた。欲しいのかな? ウチの家臣に必要な分は、津島で造った清酒をあげているはずなんだけど。量が多くないので晴れの日に飲むくらいになるけどね。


「孫三郎様では売るのに困りましょう」


「ああ、そういうことか。たしかにそれは孫三郎様も理解していたよ」


 武芸一筋でジュリアやセレスと共にそっちの担当なんだけど、ちゃんと商売の大変さも理解している。さすがは石舟斎さんだ。


 織田家の買い上げは他ならぬ信光さんの提案だ。造るまではやるが売るのは面倒なんだって。信光さん、ウチがどれだけ商いで忙しくて苦労しているか知っているからね。


 すぐに諸国から売ってほしいという人が大挙して押し寄せても驚かない。信光さん領地も広いし、そこそこの数の家臣もいるけど、商いには疎い人が多いんだよね。


 とりあえず家中と領内に大湊と北畠家には売ってもいいかな。


 守山の酒は量産を前提に造っているので、生産量はウチの清酒よりも多い。今後は希少価値のあるウチの澄み酒と、大量生産した守山の澄み酒で売れるだろう。まあ守山の酒も十分高価になるんだろうが。


「ただいま」


「ただいま~!」


「ただいま戻りました」


 そのまま試飲は宴会になりそうな中、病院からケティとパメラとお清ちゃんが帰ってきた。


 お清ちゃん、最近だと病院の看護師のまとめ役もしている。すっかりオレの奥さんとして認知されて活躍している。患者と向き合うという意味では大変なはずなんだけどね。


「おかえり。今日はどうだった?」


「そこそこ、忙しかった」


「そうか。ご苦労様」


 ケティたちにお酒を注いで労いつつ、今日一日あったことを話す。これもウチの日課だ。お酒はともかく、夕食時には一日のことを話すことにしている。


 控えめなケティがそこそこということは、忙しかったのだろう。元の世界では様々な専門医に分かれている患者をすべて診るからね。大変なんだ。


 最近では簡単な手術もしている。輸血はまだしていないので、盲腸とかごくごく簡単な手術に限るが。


「疱瘡の予防接種も受ける人、増えてるよ。今日はそっちも多かった」


 パメラは予防接種をしていたらしい。あれは目立つと面倒だからあまり宣伝とかせずに続けているが、病院に来る人には勧めているからね。確実に予防接種を受けた人は増えている。


 元の世界では尾張で疱瘡の大流行なんて歴史にはないが、この世界ではすでに尾張は諸国から人が集まる国になっている。いつ起きても不思議じゃない。


 ケティが始めた梅毒の治療も、極秘裏にケティたち医療型がしている。病の大流行とか恐いからね。みんな頑張ってくれている。


「今日は天ぷらにしてみました」


 みんなが戻ったところで夕食兼宴会となる。今日の夕食はエルと千代女さんが作ってくれた。春の山菜や魚介の天ぷらだ。


 サクッとした歯ごたえに中の具材が生きていて美味しい。熱々をハフハフしながら食べるのがいいね。


「美味でござる!」


「アチアチなのです!」


 すずとチェリー、慌てて食べると火傷するよ。天ぷらは逃げていかないのに。まあ熱々が美味しいんだけど。


 千代女さんとお清ちゃんと結婚する時、オレたちは肉体を自然に成長するように調整した。そのせいだろう。みんな少しずつ成長している。


 毎日顔を合わせるエルたちはあまり変わった気がしないが、定期的に尾張に来るみんなを見ていると成長したなと思う瞬間がある。


「ワン!」


「クーン」


 ああ、ロボとブランカも美味しそうに夕食を食べている。ブランカの体調も良さげだな。オレが一番成長を感じるのは彼らだ。


「今度の紙芝居は新作よ。陶の謀叛と大内殿の遺言もあるわ。あとは冷泉殿の旅の話ね」


 最近エルの代わりにオレと一緒に仕事をするメルティだが、絵師や慶次を使って絵の仕事もしている。春の祭りに合わせて大内義隆の最期と、冷泉さんの逃亡を題材にした紙芝居をするらしい。


 もちろん冷泉さんに許可はとった。京の公家の皆さんが尾張に来て葬儀をあげるまえに、領民に広めようということだ。


 かわら版ではすでに広めている内容だが、紙芝居にすると長く親しまれる物語として残るだろう。冷泉さんも喜んでくれた。


 あと冷泉さんの家族と周防を脱出した商人や職人が、石山本願寺をすでに出発してこちらに向かっている。彼らも春のお花見や義隆さんの葬儀の前には到着するだろう。


 陶隆房はいろいろと苦境らしいけどね。これで更に追い詰められる。史実と明確に違うのは、大友家から招くはずの大友晴英が来ていないことか。


 陶はなんとか来てもらおうと何度も使者を送っているが、公家を襲撃したことや義隆さんの遺言が広まっていて、大友宗麟が史実よりも強固に反対して相手にしていないらしい。


 幕府自体も史実と違い細川晴元が既にいない。九州探題として昔から幕府に近い大友家としては、幕府が近衛さんを襲撃した陶を許さない可能性がある以上は関わりたくないんだろう。


 結局大内義隆さんの遺言通りになりそうな状況だ。何処かが西国をまとめる可能性はあるが、当面はまとまらないだろう。その間に織田が強くなれる。


 もっとも勘合貿易の再開が絶望的な現状ではデメリットも多いけどね。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る