第789話・一馬、春を感じる

Side:織田信広


 皆を集めた翌日、酒井将監がひとりわしのところにやってきた。険しい顔つきにわしは人払いをしてふたりで酒井将監と向き合う。


「家中を騒がせ、殿や大殿にご迷惑をお掛けしたこと申し訳ございませぬ」


 深々と頭を下げた将監はそう口にすると岡崎との諍いの積み重ねから口にした。きっかけは先代の松平清康の頃にまで遡るようだ。


 松平清康。一代で西三河を統一したのだ。強かったのは確かであろうが、家臣に敵地と言える尾張で討たれてしまった。まあ、わからんでもない。領地を広げるというのは、それだけ苦労が多く気が抜けぬものだ。


 父上や清洲が如何程苦労をしておるか、わしもわかっておるつもりだからな。


「許せませんでした。我らへの謝罪もなく臣従が成ると思う岡崎の者らが」


 そう、謝罪の一言があれば、また話は変わったのであろうな。松平広忠と松平家家臣は根回しを怠った。水野殿の話では、清洲と水野殿には先に話があったとのこと。こやつらはそれを知って激怒したらしい。


 散々裏切り者呼ばわりしたばかりか、一族で臆病者やら愚か者呼ばわりして絶縁された者もおったそうだ。それを謝罪もせずに織田家に臣従など何事だと怒った、こやつらの思いもわかる。


「それ故、某は……、次郎三郎殿を亡き者にしてしまおうと考えておりました。申し訳ございませぬ」


 ああ、素直にわしに打ち明けてくれたか。こやつはこやつなりに苦悩したのであろうな。


「先に言うてほしかったな。さすれば父上にも話して、岡崎の臣従についてわしも動けたのだ。父上は先に臣従した者を粗末には扱わん。無論、わしもな」


「申し訳ございません。どのような罰になっても構いませぬ」


 どこまでやったかと問うたが、西三河各地に探りを入れて、暗殺する策と手筈を考えておっただけだという。ただし西三河の国人や土豪に、織田家三河衆が松平宗家の臣従を快く思わぬことなどを吹聴し挑発したようだ。


 屈辱は決して忘れぬ。戦もせずに降るなど臆病者だと散々言われたことを言い返しただけとも言えるが。


 もともと暮らしが明らかに変わることで、織田領とそれ以外では不満や対立はあった。岡崎の宗家はまだよかったが、国人や土豪では一向宗の寺社の借財の帳消しなどで信を失っておったからな。


 広忠も勝手ばかりする家臣に、あまり手を差し伸べておる様子もない。まあ特におかしなことではない。父上のようなことは他所ではしておらんのだからな。


「三河はな。父上や久遠殿が随分と頭を悩ませて心を砕いておったのだ。そなたはそれを台無しにした」


 酒井将監の勝手を許すべきではないが、すべてがこやつのせいではない。こやつが動こうと動くまいといずれ同じことが起きたというのが正直なところ。


「必要とあらば、腹を切りまする」


「まあまて。それがそなたの悪い癖だ。すべては父上にお伺いを立ててからだ。軽はずみなことはするな」


 こやつに限らぬが、抜け駆けや勝手な謀をする者らは、己の考えだけで動いてしまう。それにこやつはあまり理解しておらぬが、松平広忠も家臣たちの勝手にウンザリしておるのだ。


 上手く立ち回れば広忠を味方に付けて、三河衆が許せぬ松平家家臣を堂々と叩けたかもしれぬというのに。


 まったく。今川との停戦だけは守らねばならん。父上の名に傷がついてしまうからな。あとは三河衆を今一度引き締める必要もあるか。


 はてさて、如何なるのやら。




Side:久遠一馬


 春だ。那古野城に近い場所の配置換えで賑やかだ。政秀さんの屋敷や、資清さんと望月さんの屋敷も場所が決まりほぼ新築に近い形で建てることが決まった。


 ウチの屋敷の両隣は滝川家と望月家の屋敷になる。ああ、政秀さんの屋敷もお隣さんだ。城から一番近いのが政秀さんの屋敷とウチの屋敷で、それを守るように滝川家と望月家の屋敷を配置することにした。


「ああ、柳生の屋敷も移すことにしたぞ。あそこも手狭であろう」


 この日、ウチの屋敷には信長さんが来ている。屋敷の工事の視察と休息を兼ねて立ち寄ったらしい。


 城の周囲でまだ決まっていなかった屋敷のひとつを、石舟斎さんに与えることにしたらしい。柳生一族、増えているんだよね。


 大和の領地は食べていくだけで精一杯なことと、大和柳生家の親戚縁者からも良ければウチの者を使ってやってほしいと頼まれるとの報告が、だいぶ前にあったので許可を出した結果だ。


 まあ新しく来た人たちは、石舟斎さんたちほどの武芸の腕はない。とはいえウチも尾張も人手不足だからね。資清さんたちとも相談して受け入れた。


 石舟斎さんやジュリアたちが鍛えているので、遠くないうちに一人前になるだろう。


 そうそう、当初は大和の柳生家を継ぐまでという約束で仕えてくれた石舟斎さんだったが、現在では変わっていて尾張柳生家として家を残すことになっている。


 正直なところ、大和よりも尾張柳生家のほうが裕福なんだよね。この件は資清さんとかジュリアとも話したらしいが、すべてを捨てて領地に戻るのは事実上あり得ないほどの出世をしている。


 そんな配慮もあるだろう。石舟斎さん、武芸大会の優勝者の常連だし、武功も結構ある。那古野城を守るべく屋敷を城の近くに移しても反発はなかったらしい。


「ありがとうございます。喜びますよ」


「お前にも子が出来たかもしれんのだ。万が一などあってはならん。城で守る気などないが、相手が怖れる備えは必要だ」


 なんか那古野城の周りはウチの屋敷が増えたけど、信長さんは気にしないらしい。一般的にあまりに力の強い家臣は警戒するもんだけどね。


 これは政秀さんから聞いた話だが、信長さんは那古野城というよりはウチの屋敷と那古野全域を守ることを第一に考えているみたい。


 牧場や工業村や学校も含めて、守る体制を再度考え直した結果のようだ。まあ子供が生まれて信長さんも変わった。


 父親という立場になって分かることもあるんだろう。


「おお、エル。体はいかがだ?」


「はい、おかげさまでようございます」


 そんな時にエルが姿を見せるが、信長さんは真っ先にエルの体調を心配してくれた。


 顔色もよく問題ないと理解すると信長さんもホッとしている。妊娠と出産はそれだけ大変で危険なことだからね。この時代では。


「世が流れるのは早いな。オレやそなたたちが子を持つとは」


 隣近所から聞こえる大工仕事の音と職人の皆さんの声に耳を傾けながら、信長さんは少し懐かしそうに空を見上げた。


 信長さんも今では織田家の嫡男として、政秀さんや信康さんと一緒に家中の仕事を頑張っているんだ。朝から晩まで馬を走らせて武芸を磨いていた頃とは違う。時々、昔が懐かしくなるんだろうね。


「ロボとブランカも子が出来た。めでたいことだ」


 先日にはブランカの妊娠が確定したと報告した。まだ出産まで時間があるが、行動が少し変わったりしているからね。


 ああ、まだ面と向かって言われていないが、信秀さんや信長さんはロボとブランカの子供を貰えるか気にしているらしい。


 ロボとブランカ、ふたりにも懐いているからね。出来れば子が欲しいみたいなんだけど、政略結婚を否定したり娘を外に出さないと言ったりしたせいで、オレに子の話は慎重にする必要があると思われているようだ。


 ロボとブランカの子供の件はエルたちと相談しているが、可愛がってくれる織田家にはあげてもいいんじゃないかと話している。


 さすがに絶対出さないというのはやり過ぎだし。ロボの実家の商家とかは、たまに津島に行った時にロボとブランカを連れて遊びにいくこともある。そんな関係もいいかと思うんだよね。




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