第788話・三河に燻る問題

Side:織田信広


 安祥城の広間は静まり返っておる。集まったのは水野殿と主立った三河衆だ。


「もう知っておる者もおるようだが、岡崎が臣従を申し出て参った」


 誰もなにも言わぬか。致し方ないのであろうな。織田とて父上がまとめた故にひとつとなったのだ。決して三河が劣っておるわけではあるまい。まとめる者がおらぬとこれほど厄介になるのであろうな。


 次席に座る水野殿も、如何とも言えぬ顔をしておる。素直に喜べる者はおるまい。少なくともこの場にはな。


「西三河にはそれを望まぬ者がおるようだ。家中に限って無いとは思うが、勝手なことは許されぬ」


 暗殺は止めさせねばならぬが、名指しで言うわけにもいくまい。


「殿、まことによろしいのでございますか?」


 誰か声を上げぬかと思うて待っておると、なんと声をあげたのは酒井将監であった。こういう場で率先して声を上げるのもこの男なのだ。時にはわしの怒りを買うのを覚悟でな。


「配慮はせぬ。織田家家臣としてはそなたたちが先なのだ。松平殿や松平家の家臣どもが、かつての立場を笠に着るならば、父上が決して許さぬ。それで納得してくれぬか?」


「正直、収まらぬのが本音でございます。今まで散々裏切り者呼ばわりされて、嫌がらせをされました」


 はっきりと収まらぬと言うか。しかもそれに反論する者がおらん。周囲を見ても困った顔で黙るのみ。


 そういえば、久遠殿が言うていたな。評定では喧嘩をしてでも考えを言わせるべきだと。清洲の評定はおかげで皆が考えを言う。昔は父上を恐れて反論などしなかったというのに。


 こうして三河衆と話そうとしても出来ぬ現状を見ると、あれがいかにいいものかわかる。


 織田一族や重臣が久遠殿のやることを認めるのは、そういう功とならぬところで変えておるところも大きい。明や南蛮の知恵だけではないのだ。


 皆で話す。清洲で当たり前に出来ておることも、ここでは出来ておらん。久遠殿がいかに苦労して皆と話そうとしたかよくわかるな。


 無論、従えと言えば済むこともある。とはいえそれで納得がいかんと謀叛やら暗殺をされるよりはいい。


「そなたらは父上を甘く見過ぎだな。陰でそのようなことをした輩など好まぬ。無論、勝手に恨みを晴らすためと謀をする者もな」


 思わず水野殿と目が合うとため息をこぼしてしまった。こやつらは父上を甘く見過ぎだ。父上は武功のみを好むようなお方ではない。


「ものは考えようであろう。立場が逆になるのだ。困るのは向こうぞ」


 あまり口を挟まなかった水野殿が少し呆れたように口を開いた。確かに言われたことと同じことを言うくらいならば、父上も煩く言うまい。


 水野殿も上手くやれと言うておるのであろう。


 さて、酒井将監はこれで大人しくするか? しばらく注視して必要ならば直接言わねばなるまいな。




Side:酒井忠尚


 三郎五郎様は、なにか確信がありげに話しておられる。ほかの者らも同じように不満を抱えて動いておるのか? それともわしの謀が露見したか?


 いずれにせよ岡崎の臣従は受け入れがたい。三郎五郎様や水野殿の言い分はもっともだ。されど我らが受けた屈辱は容易く収まるものではない。


 如何するか。暗殺を止めるべきか? だが戦を望んでおるのだ。松平方の諸将も今川と繋がりがある者らもな。織田に臣従をするにしても、武功もなく臣従など出来ぬと考える者が多い。


 それに、この好機に積年の恨みを晴らさずして武士と言えるのか?


 松平宗家は竹千代が継げばいい。幸い、那古野の三郎様の近習として覚えもいいと聞く。


 いずれにせよ織田は国人や土豪など求めておらんのだ。松平宗家を潰して、そのまま織田に従わぬ国人や土豪を潰してしまえばいいと思うのだが。


 とはいえ、三郎五郎様には話すべきか。わざわざ我らを集めてあのようなことを言われたのだ。無視したとあっては、三郎五郎様を愚弄するようなものか。




Side:久遠一馬


 西三河も安定していないしね。今川が武田と小競り合いをしている以上はそのままでいい。仮に向こうが甲斐を取っても戦力化するまでに長い年月が必要だ。その頃には織田は更に大きくなっているだろう。


「しかし三河は困ったね」


 今川はいい。想定の範囲内で動く。困ったのは松平宗家の臣従を発端とする三河の混乱だ。


「あらぬ噂が飛び交っております」


 噂を流す流言は別にウチだけがやっているわけではない。騙し騙されるのがこの時代の特徴だ。


 望月さんも少し渋い表情をしながら報告をしてくれた。


「今川方の国人や土豪に寺社も絡むのか」


 もとは酒井忠尚が発端だったようだが、すでに多くの勢力が動いている。松平宗家に臣従する者も離反しつつある今川方の国人や土豪は討ちたい。また今川方の国人や土豪も、再び織田と今川の争いに持ち込みたい人なんかがいる。


 抜け駆けしても功をあげると認められることが多い時代だからね。今川家中も一部ではそんな今川方の西三河の国人や土豪に味方するかもしれない。


 それと西三河の一向宗の寺もあまり芳しくない。本證寺との争いの際には一揆勢に味方した味方しないに関係なく、襲われた寺や一揆に加勢したとの嫌疑で借財の帳消しを強引にするために寺を焼いたり、寺領の横領など好き勝手にした国人や土豪もいる。


 織田領ではそんなことはさせなかったし、それ以外だと松平広忠は安易に動かなかったが、あとは火事場泥棒のように動いた人が結構いる。


 織田と今川で一向宗を叩き過ぎたことで、力が弱まったどさくさに紛れたんだ。


 問題なのはその後始末だ。織田は寺が困らないように最低限の配慮はした。無論、責任は取らせたし、裁くべき寺は裁いたが、それ以外は飢えないように配慮をした。戦には参加させなかったが、使者を出して命を失ったお坊さんがいる願証寺への配慮もある。


 だけどそれ以外の西三河は放置されたままだ。和睦自体は今川がしたが、この時代では補償など普通しないし、向こうは守護使不入の特権が今も生きている。自分たちでなんとかしろで終わったようだ。


 まして今川は西三河から撤退したからね。


 結果として織田領以外の西三河の一向宗の寺は、多かれ少なかれ損をして被害を受けた。現状では願証寺が面倒みてなんとか維持している。間接的ではあるが、ウチや大湊も支援をしている。


 現状では織田領以外での一向宗の寺と国人や土豪の関係も悪い。国人や土豪なんてどんぶり勘定で借金をしながら生きている人が多いが、借りる相手は寺社だ。それがどさくさ紛れに寺を焼いたり借財の帳消しをした者に、寺社の側も貸すはずがない。


 あと商人も寄り付かないんだよなぁ。岡崎の広忠さんとは話が付いているが、国人や土豪単位では知るかと広忠さんの命を無視する人も多い。


 ウチとしては大湊にお願いして松平宗家だけは困らぬように品を運び売っているが、あとの国人や土豪は尾張、美濃、伊勢の商人はまず寄り付かない。


 関東や駿河に向かう行商人がついでに立ち寄ることはあるだろうし、立場の弱い行商人が行くこともある。だが、あまり治安の良くないところには行かないし、忍び衆ですら無理に行かせないようにと命じている。


 最低限飢えないようにはしているが、織田領以外の西三河は苦しいんだ。松平宗家の臣従がひとつのきっかけとして、過去から続くしがらみや恨みが出てきて不穏な空気となっている。



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