第787話・松平宗家の現状

Side:久遠一馬


 松平広忠さんの件は調査の継続と、信広さんから三河衆に説明と注意をすることになった。


 結論から言えば、暗殺など許せることではない。たとえそこに私利私欲がなくても。真面目に働き織田を理解しようとしている人なだけに、一旦注意してそこからどうするかを見極める必要がある。


 とはいえ彼らの懸念も理解する。松平広忠さんには旧臣の扱いを事前に注意しておく必要もあるし、彼らが上手くやれるようにこちらも手を貸す必要があるだろう。


「難しいね」


「当然ね。人と人ですもの。合う合わないはあるわ」


 信秀さんたちと話し合いも終わり、清洲城のオレの部屋で帰り支度をしているが、メルティとこの件について話をする。


 まあ元の世界でもいじめは無くならなかった。子供だけではない大人だって老人だっていじめはある。ただこの時代では、それが命のやり取りに直結する。無論、元の世界でもそんな事例はいくらでもあったが。


 元の世界ですら日本人は体裁とか重んじる割に、内情が良くないことなんてざらにあった。上場企業だって、お客様は神様だなんて言いつつ、従業員や派遣社員、契約関係にある下請けや個人事業主との関係は、力関係でご主人様と奴隷並みに酷いのも珍しくなかった。


 少し大げさに言えば、有史以来、村社会で生きていた弊害かな。この時代から人間関係については方向性を変える必要があると思う。


「しかしまあ、恨まれているね。松平殿は」


「貧乏くじを引いたというべきかしらね。父親が三河を統一したまではよかった。でもそれを安定させる前に亡くなってしまったもの。結果としてその過程で多くの恨みを買い、不満はあったはずよ。それが今も残っているわ。七代先まで祟るなんて言葉もある。弱くなれば叩かれて当然ね」


 過去のしがらみに恨みつらみ。面倒なことだ。


 三河の調査は忍び衆のみんなも頑張ってくれている。今川家の太原雪斎は謀略を仕掛けることはないだろう。とはいえ今川方には西三河と繋がりがあり、撤退が面白くない人はいるだろう。


 酒井さんじゃないが、謀略や抜け駆けなんて珍しくない時代だ。今川方の誰かが義元にすら知らせずに、密かに知恵を貸したり手を貸していてもおかしくはない。


 また織田に臣従を望む者も一騒動望んでいるところが結構ある。武功をあげて信秀さんに認められたい。そんな思いがあって当然だ。


 一般的にそれなりの敵の首をあげると、生涯それの武功で威張って生きていけるだけの価値がある。必ずしも戦を望んでいるわけではないだろうが、武功こそが生きるためには必要なんだ。


 アピールの機会がほかにないとも言うが。


 ああ、対策は他にもすることになった。広忠さんには暗殺を企む噂があると極秘裏に知らせる。水野さんは手紙のやり取りをしているので、彼から知らせるのと、あとは服部家がいるから、忍び衆経由でそっちにも知らせることになった。


 織田家家臣のほうはこっちで始末を付けるが、向こうにも同調者がいる可能性もあるし、警戒はしておいて損はない。


「史実の一向一揆のような泥沼は困るなぁ」


「今の織田家の力だとそこまではならないはずよ」


 一向一揆の可能性があった本證寺は潰したし、今川との対立も半ば強引に収めた。織田は領内統治の時間がほしいのと、今川は甲斐を攻める時間がほしいことで利害は一致していたからな。


 ただ、おかげで国人や土豪のガス抜きが出来ていない。三河の国人や土豪からすると、雲の上で勝手に決めてしまったことだからね。今川にも織田にも不満はあるんだろう。


「完全に押さえ付けるより爆発を制御したほうがいいか?」


「そうね。検討してみましょう」


 なんか爆弾の解体でもしている気分だね。こうして考えてみると、美濃の道三さんの有能ぶりがよくわかる。あっちはそこまで負担がない。


 ともかく、広忠さんは助けないと。せっかく竹千代君がお父さんと会えるようになったのに。




Side:松平広忠


「殿、よろしゅうございますか?」


「半蔵か。構わぬ、ちょうど呼ぼうと思うておったところだ」


 水野殿から文が届いた。わしが織田に臣従をすることで西三河のあちこちで不満が出ておるとのこと。暗殺を企てる者もおるとのことで気を付けるようにとのことだ。


 さて困ったなと思うていたところに半蔵が姿を現した。


「殿の暗殺を企てる者がおります」


「耳が早いな。わしにも水野殿よりそれの報せが届いた。これはまことか?」


「まことかと思われます。織田が殿を亡き者にするとは思えませぬ。仏の弾正忠。本心は分からねど、その名は織田の役に立っております。無理に殺さずとも飼い殺しで十分と言えば十分。更に織田に従うのを嫌がっていた西美濃の安藤家も、臣従を許されて仕えております。暗殺などすれば、家中に疑心が生まれますのであり得ぬかと」


 長年の敵より家臣や元家臣たちが信じられぬか。松平が落ちぶれるわけだ。


「某には尾張は滝川八郎殿より同様の知らせが届きました。織田では酒井将監殿が良からぬことを企んでおる様子。無論、こちらもそれに通じる者がおるであろうとのことでございます」


「忠義の八郎殿か。久遠殿ばかりか斯波武衛様の信も厚いと噂の男だ。嘘かまことか、亡くなった管領代殿が外に出したことを惜しんだとも聞いたが。実際に見た限りではあまり目立つ男には見えんがな」


「恐ろしき御仁と某は思いまする。忠義と情けにて、今や甲賀ばかりか伊賀にも大きな力を持ちまする。おそらく久遠殿の知恵でございましょうが、同じことをしろと言われても某には出来ませぬ。更に戦上手とも思えます」


 素破が今や忠義者として三河でも知られておる。さらに一声掛けると、甲賀ばかりか伊賀をも動かせるというのか。


 確かに真似をしろと言われても出来ぬな。それに松平相手に謀をする理由もない。


「いっそ身ひとつで尾張にゆくか?」


「……暗殺をされることはないと思われます。とはいえ三河においての殿の立場がなくなってしまいまする」


 家臣や一族よりも敵が信じられるとは、松平も終わりだな。戯言ではあるが、身ひとつで尾張に行って人質にでもなるほうがよいではないか。


「清洲や竹千代を見ていて思うのだ。織田は松平との決着などもう考えておらん。戦うのが愚かしく思えて仕方ない」


 家臣は皆、戦にて織田に松平の武勇と力を見せるべしと考えておるが、織田はそのようなものを求めておらん。それがわかっておらんのだ。


 わしが清洲に行くたびに、竹千代や於大と会えるように手配してくれる。それほどの気配りをするのだぞ。今や天下に名の知れた織田が。すでに岡崎近隣しか治められておらんわしを相手に。


「滝川殿からはこちらの内情を探ってほしいと頼まれております。その代わり向こうも殿の臣従を邪魔する者は押さえて教えるとのこと。如何いたしますか?」


「教えて構わぬ。臣従をするのだ。拒絶してどうなる。半蔵、そのほうは滝川殿の要請に応えよ」


「はっ」


 織田に守られて元家臣と争うか。つくづくわしは無能なのだと思い知らされるわ。それでも竹千代に継がせる家を残すことこそわしの務め。


 ここで踏ん張らねばならんな。




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