第784話・三河の様子とエルの春

Side:織田家家臣・三河衆


「聞いたか? 岡崎の松平が織田家への臣従を決めたそうだ」


 ここのところ穏やかだった安祥城下が少し騒がしくなった。数年前から湿地の埋め立てなどをして、すっかり町が出来た安祥城下には、織田家で三河衆と呼ばれる者らの屋敷がある。


 そのひとつに、わしは親しい三河衆のひとりに先日聞いた話を伝えに来ていた。


「まことか?」


「ああ、今川方と通じておる者は違うらしいがな」


 人払いをして囁くように教えると、男は渋い顔をした。我らはかつて岡崎松平家に仕えておったのだ。織田が優勢になったことで松平を切り織田に臣従した。


 矢作川の向こうの親戚からは裏切り者呼ばわりされて、絶縁されたところもある。こちらの暮らしが楽になったことが面白くなかったのであろう。


 戦にはならなかったが、親戚との付き合いが随分と変わった者は多い。もっとも今川が西三河から退いたことで風向きが変わりつつあるが。


 時勢を読んで、かつての言葉を謝罪して関わりを戻そうとする者もおるが、裏切り者呼ばわりされて、あることないことを罵られた我らの気持ちは収まらず大概は放置しておる。


 領地を整理されることになるなどこちらもいろいろとあるが、飢える心配はない。


 向こうの連中はこちらの苦労も知らずに援助がほしいようで、あれこれときっかけを持とうとしておるが、しこりが残ったままであることで上手くいったという話は多くない。


 そんな状況なのだ。迷惑だの一言に尽きる。今更、元主家など来て大きな顔をされるのは迷惑でしかないのだ。我ら三河衆にとってはな。


「攻め滅ぼしてしまえばいいものを。松平も元を正せば土豪であろう? 攻め滅ぼしても誰憚ることない相手だというのに」


「滅多なことを言うでない」


 親しい男は人目がないからであろう。外で言えば危ういとさえ思う本音をぶちまけた。


 そう、清洲の殿は仏と言われるお方。逆鱗に触れると本證寺のように寺社とて跡形もなく滅ぼされるが、頭を下げて頼めば悪いようにはされぬ。


 本證寺に味方した者が出た家の者も、罰を受けて所領を幾ばくか召し上げられた。中にはすべての所領を失い、俸禄にて存続を許された者もおる。そんな者らも当初は落ち込んでおったが、慣れると田畑の面倒を見ずともよいことで楽だと喜んでおる者までおる始末。


 腹を切らせるよりは働かせてしまえとお考えのお方のようだ。


 安祥城はその昔、岡崎松平がおったところ。まさか返すなどあり得んと思うが、近隣には縁が深い者も少なくない。それ故、同じ家中になると粗末に扱えんし、邪魔だとすら思う者も多かろう。


「吉良も近隣の者は迷惑しておるとか。無駄に家柄で威張るからな。織田家の者がおればいい。おらぬところでは威張るので疎まれておるのだがな」


 臣従といえば吉良も織田家に臣従したな。当初は斯波家への臣従を望んだというが断られたらしい。家柄を考慮した扱いはしない。それが臣従の条件ということで、織田としても必ずしも望んでおった臣従ではあるまい。


 吉良家当主はまあいい。それなりに時勢をわかっておって、無理難題は言わん。だがあそこは家臣が一癖も二癖もある。道で会った時など、どちらが譲るかで揉めるなどよくあることだ。たかが国人の陪臣程度の分際で、吉良家家臣という立場を笠に着て大きな顔をする。


 松平家も同じではないのかと思うのは当然のことだ。


「仕方あるまい。どのみち織田は働かぬ者に立身出世がない。岡崎の松平が臣従したとて、岡崎で今までと同じ暮らしをしておるだけだと、すぐに家中で立場を失う」


 松平の家臣どもは理解しておろうか? すでに松平による三河統一などあり得ぬことに。矢作川の西など、三河ではなく尾張にしてしまえとすら言われておるほどだぞ。


 松平と己らが国人程度の扱いしか受けぬと知っても臣従をするのか?


 それに今川に近い者らは如何するのだ? 一波乱あるとみるべきか? もっとも矢作川の西岸は変わらぬであろうが。織田に逆らえばすぐに万の兵がくる。松平や国人程度では相手にもならん。


 懸念は松平を邪魔に思う者が織田に臣従した者に多いことか。良からぬことを企む者が出ねばいいがな。




Side:エル


 鳥の声が聞こえます。縁側に出ると暖かい春の風が気持ちいい。


「くーん」


 ブランカが私の隣で安心したように丸まります。お互いまだお腹が目立っていませんが、通じるものがあるのでしょうか。偶然かもしれませんが、そうだと思えば夢がありますね。


 私の妊娠を多くの方が喜んでくれています。先日には土田御前様がわざわざご来訪くださり、体を大切にするようにとお言葉をいただきました。


 八郎殿の奥方であるお梅殿は、ケティとパメラに久遠家の出産の習わしややり方を聞いて熱心に学んでいます。


 私の外出は減りました。程よい外出は問題ないのですが、周りのみんながハラハラして心配をかけてしまいます。司令と話して仕事での外出は控えています。


 どんな子が生まれるのだろう。ふとお腹に手を当てて我が子がいると思うと、生命の神秘を感じずにはいられません。


 最近、昔の夢を見ます。司令と初めて会った頃の夢や、ふたりでクエストを始めた頃の夢が多いでしょうか。昔を懐かしむことは、仮想空間の頃もないわけではありませんでした。ですが夢を見るというのは、この世界に来て初めて体験したことです。


 私も今ほど能力が高くない頃で、司令とふたりで初期配布された小さな古い輸送船で宇宙に出たあの頃が懐かしく感じます。


 いつかたくさんのアンドロイドを作って、みんなで楽しく過ごせる拠点を持ちたい。まだ若い司令はそう夢を語っていました。


 結果として十数年の年月を重ねて、司令はギャラクシー・オブ・プラネットでも最高ランクの宇宙要塞とアンドロイドたちを創りましたね。


 そして訪れた別れの日。私は別れたくないと確かに望みました。もっと一緒にいたいと。ですが同時にもうひとつの願いも祈っていました。


 『司令にはリアルで恋人を作り家庭を持ち、幸せになってほしい』そんな願いも祈っていました。


 戦国の世という司令の元の世界とは違うリアルですが、私の願いはまたひとつ叶ったのかもしれません。


「える~、ぶらんか~」


 目を閉じて春風を感じながら懐かしい思い出に浸っていると、お市様が折り鶴を持ってきてくれました。


 願いを込めて鶴を折れば願いが叶うかもしれない。どうもすずとチェリーが教えた千羽鶴のことをそう解釈したようです。


 私とブランカのための折り鶴が二羽。お市様はどういうわけか一日一羽ずつ折っていますので、私のもとにはブランカの分も含めて二羽ずつ折り鶴が溜まっていきます。


「あかご、げんき?」


「ええ、元気ですよ。早く姫様とお会いしたいと言っているかもしれません」


「わたしもあいたい!」


 私のお腹を覗き込むお市様は、なかなかお腹が大きくならないことで少し心配しているのかもしれません。知らせるのが少し早かっただけなのですが。


 子供たちの教育も上手くいっているようです。私たちとこの時代の価値観の違いがどうでるか、少し気になっていましたが、人は逞しいですね。理想と現実をきちんと見極めて良い人材が育っているとアーシャが教えてくれました。


 皆で力を合わせてよりよい明日を目指す。それを出来るようになったのが、この数年で最大の成果かもしれませんね。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る