第782話・蟹江海祭り・その二

Side:湊屋彦四郎


 ここ蟹江の町には、わしのように他所から移り住んでおる者が多い。伊勢や美濃や三河や畿内からの者がおる。それがこうしてひとつの町に生きる者として、祭りができるとは。


 町の者らで何度も集まり、話して決めたことだ。久遠家のミレイ様とエミール様や鏡花様も加わり、久遠家や尾張の伝統にそれぞれの故郷の話など、いろいろ話したな。


「これは懐かしいな」


「大湊ではよく食べた味噌汁でございますからなぁ」


 尾張では殿や奥方様がたが祭りに屋台を出して以降、屋台があちこちに増えた。せっかくなので屋台を多く集めた賑やかな祭りにしたいと思うたのは、豊かな尾張を諸国から来た者らに改めて見せたいとも思うたからだ。


 その中のひとつ、わしと同じく大湊から来た者が売っておったのは味噌汁だ。特に珍しくもない味噌汁。その日、海で獲れた売れぬ魚を味噌で煮ただけのもの。


 尾張と伊勢は隣の国だ。料理の味もさほど変わらんが、大湊の者が作ると懐かしいと感じるものになる。


 家人と共にふと懐かしくなって食べてみたが、昔を思い出してしまった。


「味噌もウチで作ったものでございます」


 大湊は佐治水軍の船ならばすぐに行けるところにあるが、忙しく中々帰る機会もないからな。懐かしく感じる。


 特に久遠家でいただく味噌から作る味噌汁は美味いからな。大湊で食べていたような少し塩気の強い味噌を使った味噌汁を飲むのは久々だ。


 魚と味噌の味がよく出ておる。この者は一度魚を焼いておるので臭みもあまりない。なかなか美味しい味噌汁だな。


「よく見ると、あちこちに同じ国の者らが集まっておるな」


「こういう機会はありませんでした。よいものでございますな」


 家人と共に少し聞き耳を立てていると、各地の方言による会話が聞こえる。同じ故郷の者らが集まり話しておるようだ。


 多いのは北伊勢であろうか。ここの町を造る賦役をしていた頃から来ている者も多い。いつの間にか居ついてしまい、北伊勢では不満に思っておる者もおると聞く。


 ここに住み着いた者たちは帰る気はないようで、此度の祭りも率先して加わって働いてくれた。


「おおっ、ここも凄い賑わいだな」


 港には日頃から鉄の原料を運んでおる、ひと際大きな南蛮船がおる。斯波家の家紋である丸に二つ引きと織田家の家紋である織田木瓜の旗印が靡いておるわ。


 この祭りでは殿のご厚意で、領民ならば誰でもこの大きな船に乗れることになっておるのだ。さすがに船の中には入れておらぬが、船の上に乗るだけでも長い列が出来ておる。


 旅の者などは乗れずに残念そうにしておるが、当然のことだ。久遠家の秘技をそう易々と他国の者に見せるわけにはいかん。


「あれ、湊屋殿やないの」


「これは鏡花様」


 喧嘩や騒ぎにならねばいいと思い見ておると、近頃では船の方様と呼ばれておる鏡花様と出くわした。一緒におるのは船大工の者らか。


 蟹江では商人や水軍に次いで力のある者たちになる。善三殿を筆頭に久遠家が召し抱えておる者や、尾張の船大工などおるが、まとめておるのが善三殿ということもある。


「船、人気やね」


「それはもう。一度は乗って大海原を走ってみたいと思うものでございます」


 蟹江では御家の船は珍しくはない。とはいえ本来なら乗ることの出来るものではないからな。鏡花様は喜ぶ民を見て少し驚いておられる。思うておった以上に賑わっておるからであろうな。


 供をしておる船大工らは大人しいの。荒くれ者も多いが、久遠家のお方様がたはそんな者らにも好かれておる。


 見た目は虫も殺せぬようにも見えるが、武芸も嗜むうえに船大工らと一緒に働いておると聞くからであろうが。


「ええことや。みんながそう思てくれはったら、蟹江はもっとええ町になるえ」


「そうでございますなぁ」


 織田の若様はこの町に来ると久遠家の御本領を思い出すと仰せになる。一から造り上げたこの町は、久遠家の御本領を参考にされたのであろう。


 佐治殿は久遠家と共に海の向こうに行きたいと常々おっしゃる。ここにいると明日に夢を持てるのだ。


 わしは、そんなこの町がなによりも誇りに思い、好ましく思う。




Side:とある甲賀者


 なんという賑わいだ。今日は偶然にも、蟹江というこの町の祭りだという。それにしてもなんという賑わい。


 わしの村など食うものも足りずに、飢える家族のために僅かばかりの銭で尾張を探りに来たというのに。ここでは民が路上に出ておる店で買い食いをしておる。


「いけませんねぇ。ここで不届きなことを企むのは……」


 豊かなここなら奪うものがいくらでもある。そう思った矢先に、背後から声をかけられた。


 いつの間にか長い刀の柄がわしの背中に押し当てられておる。背筋に冷たいものが流れる。


「いえ、某はそのようなことは……」


「尾張を荒らしに来たんでしょう?」


 いかん。ここ尾張には甲賀者が多いのだ。わしの素性も知られておって当然。慌てて弁明するが、そんな時に背後の男が噴き出すように笑い出した。


「……そなたは銀次殿」


「よう、生きていたか」


 誰かと思えば、甲賀者で以前世話になった銀次殿だった。あれは何年前のことだったか。畿内に働きに出た折に、無謀な命を受けたわしらと共におった男だ。あの時は銀次殿の機転で生き残ることが出来た。


「姿が見えぬと思いましたが、尾張におられたのか」


「ああ。そうだ、ちょっと付き合えよ」


 ほっと一息ついたが、銀次殿は相変わらずなにを考えておるかわからぬ笑みでこちらを見ておる。必要とあらばどんな手でも使う男だ。生きるためには必要だと言っていたな。


 わしは銀次殿に連れられるままに特に賑わっておる屋台に並んだ。妙に小綺麗な幼い子らが働く屋台だ。なんとも珍しき光景に見える。下働きの子にしては小綺麗なのだ。


「金色酒をふたつとたこ焼きをお願いしやす」


「あら、今日は自分で払うのね。珍しいわね」


「へへへ。あっしもたまにはね」


 思わず息が止まるかと思った。金のような髪をした見たことのない女だ。ああ、これが噂の久遠家の南蛮人か。


 銀次殿が親しげに話す姿に更に驚いた。身分が違うのではないのか? 銀次殿は久遠家に仕官でもしたのであろうか?


「さあ、飲みねえ。毒なんか入ってねえ」


 木で組んだ椅子というものに銀次殿と向かい合い座ると、銀次殿がこちらに盃を寄越して酒を注いでくれた。


 これが金色酒。畿内では混じりもののない金色酒は値が付けられないとまでいうものを。どうもこれはその混じりもののない金色酒らしい。


「ああ、美味い。酒などいつ以来であろうか」


「これも美味えぞ」


 たこ焼きと言ったか。丸いものになにやらたれが掛かっておる。銀次殿はそれを箸でつまみ一口で食べるとハフハフと熱そうにしつつ、美味いと笑みをこぼし金色酒を一杯飲む。


「銀次殿……、某は……」


 誘われるままにたこ焼きというものも食べた。言葉では言い表せない美味しさに涙がでそうになる。そんなわしをじっと見ていた銀次殿に、尾張に来た訳を話そうと思う。


「雇い主は三雲か? 尾張で不届きなことをすれば、命はねえぞ」


「何故それを……」


「わかるもんだぜ」


 だが銀次殿はわしのことを悟っておられた。


「三雲から離れられんか?」


「一族がおるからな」


 わかっておる。とはいえ故郷は三雲家の領地なのだ。家族もいて一族もおる。ほかの甲賀者のようにはいかん。


「悲しいねぇ。とはいえ良からぬことを企むなら、次は容赦しねえぞ」


 そう一言残すと銀次殿は先に立ち上がり人混みの中に消えていった。


 世は無情だな。




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