第781話・蟹江海祭り

Side:冷泉隆豊


 ふと見渡すと梅の花が咲いていた。


「もう春か」


 追っ手に追われながら尾張を目指しておった頃が、夢かと思うほど穏やかな日々だ。もっとも陶隆房は、未だにわしを目の仇にしておるようだがな。


 己が大内家を正しき姿に戻す。奴の考えそうなことだ。とはいえ奴如きに大内家を治められるのならば、御屋形様は奴に任せてさっさと隠居しておったはずだ。


 それにしても出家させて周防から人を逃がすとは、なかなか怖いことを考える。己から出家してしまえば仏門に帰依した者として扱う。無論、陶がそれを認めず捕らえろと息巻くことはわかっておるが、それをやれば陶の足元すら危うくなる。


 門徒の多い安芸にて一向宗を敵に回すなど毛利には出来ぬこと。それにこればかりは家臣たちが必死に止めたであろう。一揆を起こされてもおかしくないことだ。


 そう、御屋形様や武衛様ならば寺社と話して止めさせることも出来ようが、山口を焼いたあの愚か者では止められぬ。


「いらっしゃいませ! おいしいよ!」


 蟹江に来るのは、尾張に来た時以来か。新しく造った町だとは思えぬほど活気がある。今日は蟹江の祭りだというので足を運んでみたが、なんとも楽しげな民がおるな。


 ふと焼けてしまったという山口の町を思い出す。陶と愚かな国人衆どもが、公家や寺社に銭をかけるなら己らに寄越せと考えたのであろうが、今頃は銭もなにもなくなっておると聞く。賦役で山口の再建をさせておるようだが、上手くいくのやら。


「隆光様! 食べていってください!」


 御屋形様は民が賑やかに楽しむ祭りも好きであられたな。そう思うておると、学校で教えた子らが食べ物を売っておるところに出くわす。


 実は今月に入り、わしは学校というところで人にものを教えておる。内匠頭様に誘われたのだ。御屋形様の菩提を弔うのもいいが、明日のために力を尽くしてくれぬかとな。


 大内領から人を逃がす件も一段落していたので、ちょうどよかった。


 御屋形様の遺言に従い花火を見て、御屋形様の下にゆく。ずっとそのつもりであった。されど尾張に来て武衛様や内匠頭様や久遠殿に会って、改めて考える時があった。


 特に久遠殿に葬儀の際に言われたことが忘れられぬのだ。伝えねば伝わらぬ。たとえどんなに正しきことや素晴らしきことでもな。


 織田家では尾張の人々に明や南蛮から得たことを伝えるべく、学校を建てて伝えておるのだ。わしが御屋形様の下で学んだことが、このまま消えてしまうのはあまりに寂しかった。


 おそらくは内匠頭様はそんなわしの考えを見抜いておったのであろう。


「ほう、これは美味いな」


「ありがとうございます!」


 子らに差し出されたのは串に刺さった団子であった。甘く味付けした醤油たれが掛けられた団子は、程よい甘さと塩気がもちもちとしている団子によく合う。


 山口でも御屋形様が明の者に珍しき料理や菓子を作らせておったが、ここではそれを民にまで食べられるようにしておる。これは御屋形様もしておらなんだことだ。


 御屋形様、今しばらくお待ちください。御屋形様が好む、面白き話を山のように持って参ります故に。


 わしは御屋形様の代わりに、日ノ本の行く末を今しばらく見て参ります。




Side:久遠一馬


 蟹江・海祭りの日となった。オレはこの祭りに関してはほとんど関与していない。蟹江の人たちが自発的に考えて準備したんだ。


 メインは義統さんや信秀さんなど織田家重臣の皆さんも参加して行う、熱田神社と津島神社の神職の人たちが海に生きる者の航海の安全や豊漁を祈る祈祷になる。


 織田家が所有するキャラック船なんかには神棚を付けた。縁起を担ぐのは元の世界ですらあったことだし、こういう海の安全を祈るのも織田家にはなかったがこの時代でもあることだ。


 ああ、ウチの船にもだが、尾張に来る船には神棚を設けてもらった。津島神社と熱田神社とは付き合いもあるし、ウチの船もいろいろな人が乗るようになったからね。


 そして、神棚がない船が蟹江に入港した際には、神棚を付けて祈祷をしてもらうことをお願いしているところだ。


「エル、大丈夫?」


「はい。日常生活に支障はありませんよ」


 この日はエルも同行している。比較的暖かいことと、エルも蟹江のお祭りが見たいと言ったんで一緒に来ている。


 蟹江の町には露店がたくさん出ている。ござを敷いてものを売る人から、炭火などで魚や肉を焼く人や、蕎麦やうどんのような屋台まで様々だ。


 光景は江戸時代のような感じになりつつあるか? 元の世界の江戸時代では二八蕎麦なんてあって、肩に担いでひとりで持ち運びが出来る屋台もあったというが、あれに近い屋台とかが既に存在する。


 どうもアンドロイドの誰かが工業村に教えたらしく、そこから広まったらしい。もともとこの時代でも数は少ないが屋台のようなものはあった。主に寺社の門前市では露店でいろんなものが売られているからね。


 それと椅子とテーブルが地味に普及しているのも影響している。正直、蕎麦やうどんは地面に座って食べるよりは椅子とテーブルのほうが食べやすい。


 これを始めたのはウチの屋台だ。ウチがなにかやると真似る人が多い。飲食関係の屋台は簡素な椅子とテーブルとか、酒樽や甕の上に板を敷いてテーブルにしたりと、工夫して椅子とテーブルのような形にしているところが多い。


 面白いもので、最近では屋台を作る職人もいるんだとか。本職は家具とか建具の職人らしいが、頼まれているうちにそっちも作るようになったみたい。


「護衛するのでござる」


「怪しい人は近づけないのです」


「ふふふ、ふたりとも大げさね」


 久しぶりの外出のせいか、楽しげに露店を見ているエルの前後を守っているのは、すずとチェリーだ。


 エルが祭りに行きたいと言った時に護衛をすると言ってくれたんだ。確かにちょっと大げさな気もしないでもないが、資清さんたちもそれがいいと言ったので任せている。


「用心に越したことはありませぬぞ」


「そうですな。万が一があってはなりませぬ」


 それと石舟斎さんと柴田勝家さんが今日は一緒だ。石舟斎さんは自分も護衛にと来てくれたんだが、勝家さんに関しては信秀さんがエルが蟹江の祭りに来ることを察して寄越してくれた。


 意外に心配性だね。信秀さんも。殴り込みにいくんじゃないんだが。とはいえ、外出するなと言わないだけウチに合わせてくれているのはわかるが。


「柴田殿、奥方のご様子はいかがですか?」


「おかげで良好でございます。薬師殿と久遠殿には日々、感謝しております」


 エルはそんな勝家さんに奥さんのことを聞いていた。実は勝家さんの奥さんも妊娠しているんだよね。来月の末くらいに生まれるということで、今日も屋敷で安静にしているんだとか。


「病が治ったのは、柴田殿と奥方の努力と天の助けでしょう。私たちは少し手助けしたに過ぎませんよ」


 それはいいんだけど、勝家さん。未だに労咳を治したことを感謝してくれていて、何かあるたびに感謝を伝えてくれる。


 幸せな様子を見られるのは、嬉しいんだけどね。何度も感謝されるとちょっと気恥ずかしいところもある。


 困った時は神仏のおかげということにしておこう。実際に随分とそっちにも頼っていたようだし。


「そうでございますな」


 オレの気持ちを察したのか、勝家さんもそれ以上病のことを口にすることはなかった。とはいえ忘れた頃にはまた感謝されるだろうね。


 労咳を治したことは、織田家中ではそれなりに知られている。ただ眉唾な噂が多い時代であることと、ウチで祈祷の成果もあったと噂を流しているので、領外ではそこまで騒がれていない。


 まあケティのことはすでに畿内でも知られているから、今更なことでもあるが。




◆◆

隆光。冷泉隆豊の法名です。

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