第774話・水野さん、相談する

Side:水野信元


 まさか松平殿から相談を受けるとはな。理解はする。よくわからんのだろう。織田家が。


「臣従を望むならば、そのまま臣従したほうが良かろう」


 しばし考えて、わしは平手殿に相談した。ひとりで勝手に動くのは、今の織田ではあまり褒められぬこと。まして事が事だけに、三河が荒れるかもしれんのだ。


「やはりそうでございましたか」


「松平が従わぬ者を従えるのに何年かかる? その間に織田は更に進んでおるぞ。松平殿の居場所がなくならんとも限らん」


 そう、自ら家中を治めて臣従をと考えるのは当然のこと。治められておらん土地は召し上げになってしまうのだからな。


 とはいえ、今の織田で数年の時を無駄にするは僅かな土地以上に松平殿の時を奪うことになりかねん。


「今川が背後で動いておればいかが致しますので?」


「渥美半島の件もある。今川には松平など構っておられんはずじゃな。謀をするならば、こちらも同じく東三河にしてやればいい」


 一抹の懸念があるとすれば、これが今川の策であることか。されど平手殿はそれでも構わんと仰せだ。織田は敵味方にしっかりと分けることを望む。それに渥美半島の件か。


 知多半島と渥美半島は似ておる土地だ。共に水が足りぬ土地で海から得られる糧で生きておる。それが変わったのは久遠殿が佐治殿に助力したことか。


 海に生きる久遠殿は東の伊勢の海を制する佐治殿と誼を結び、不毛の地である知多半島を変えた。


 海苔の養殖に大きな網での漁。またナマコやアワビなどを干したものを高値で買うてくれることで、知多半島の暮らしは変わった。


 陸の上でも山に木々を植えねば先はないと、久遠殿の助力で木々を植えることをしておる。初めはそんなことをしてもなんの利もないと渋っておった者もおるが、子や孫の世代には大きな収穫となると語った久遠殿の言葉が伝わると、従う者らが増えた。今では皆が、暇さえあれば山に木々を植える仕事をしておるくらいだ。


 更に昨年には佐治殿のところでのみ植えておった芋をほかでも植えておる。つい先日には大殿と久遠殿が知多半島の水について、なんとかならんかと考え始めたばかりだ。


 水軍が税を取るのは禁じられたが、思えば久遠殿はそれを見越して動いておったのであろう。暮らしは特に悪くなったという話はない。


 ところがだ。渥美半島は今川家の朝比奈の一族が治めておる。あちらは以前の暮らしと変わらぬままだ。


 こちらの暮らしが楽になりつつある様子が伝わったのであろう。渥美半島の連中がこちらの船を襲ったり、海苔の養殖の筏を破壊したりするようになった。


 船には警護と案内の船を増やして、海苔の養殖の筏は見回りをするようにした。もともと三河の海の西側は当家が制しており佐治殿があまり関わらぬところなれど、この件を重く見たようで大殿とも話して佐治水軍も三河の海まで来るようになった。


 今川と織田が停戦するとそのような連中は居なくなったが、奪わねば向こうでは食うてゆけぬ。結果として夜半に船で逃げ出してくる者が後を絶たん。逃げてきた者らは知多半島で受け入れるには多すぎるために水軍として使うか、尾張や三河の賦役に使うておるところだ。


 渥美半島の連中がいずこまで考えておるかわからぬが、三河の海での連中の動きに怒りを覚えておるのは伊勢と関東の連中だ。織田は久遠殿と佐治殿が沖を通り、直接関東に船を出すので渥美半島の連中が騒いでも困らんのだ。


 むしろ織田以外の者らが困って怒っておる。ただでさえ遠州灘があり東に行く船は命懸けであるというのに、渥美半島の連中が暴れておるのだからな。


 昔のように案内して税を取っているだけならばよかったのであろうが、隣の知多半島が楽になるのが面白くなかったのであろう。


 結果として今川は評判を落とした。もっとも当の今川がそれをどこまで受け止めておるかわからんがな。今川にとって渥美半島など属領のようなもの。知らんと言えばそれまでだ。


 ともかく松平殿には、余計なことをする暇があるのならば臣従をするようにと勧めるしかあるまい。


 どのみち所領は整理されるのだ。




Side:久遠一馬


 信濃が混迷を深めてきた。忍び衆の報告で今川が信濃に熱心に介入していることは以前から知らせがあったが、南信濃の小笠原家はあまり悪い気がしないようで話を聞いているらしい。


 あそこは武田と敵対しているからな。守護家であり居城の林城を追い出された小笠原長時には斯波家として多少の援助はしているが、それでも林城を奪還するほどの力もないし援軍を送る計画もない。


 今川は長時と、弟で南信濃の鈴岡城の城主である小笠原信定に対して、林城奪還の支援もちらつかせながら武田との戦への協力か、領内の通行の許可を取ろうとしているようだ。


「湯之奥と信濃の二手にわけて動くか。そなたたちが今川と和睦を急いだわけがわかるわ」


「そうですね。理にかなった策です。やはり今川は侮れません」


 この日は、信秀さんがウチにいる。遠乗りの帰りに立ち寄ったそうだ。相変わらず前触れがない。別にいいけど。お茶を出して冷えた体を温めるように迎えると、話は信濃になったんだ。


 武田信玄。この世界ではまだ武田晴信であるが、誰も彼が戦下手で弱いとは思っていない。とはいえそこまで強さを評価されているかと言えば、それもまた違う。まして信義を破り同盟相手を滅ぼしたことは彼のマイナスになっている。


 史実のような強さがあれば別だが、そこそこ強いだけなのに同盟を破り諏訪家を滅ぼしたことは信濃において決定的な失点になるのかもしれない。


 対する今川は太原雪斎が尾張を知った影響か、史実よりも苦労をしながらも確実に武田を追い詰めている。


 晴信も若いからね。この危機を越えれば先があるんだろうが、如何せん雪斎が本気で甲斐を取りに行っている。


 このままではこの世界では武田晴信という男は自らの野心で実の父親を追放して、信義も守らず国を滅ぼした男として歴史に残るのかもしれない。


 むしろ武田の後釜として甲斐を支配する今川を警戒するべきか? 雪斎は織田との争いを避けているが、義元は微妙と言えば微妙。氏真は知らないけど、史実を見ると一度は戦をと望むだろう。


「遠江攻めも検討はしております。ですが三河が落ち着いておりません」


 エルは既に遠江攻めの検討に入っていることを信秀さんに明かした。まだ評定にも話していないことだが。遠江奪還は斯波家の悲願でもあるので軽々しく口には出せない。


 とはいえどこに城があるかや、どんな地形をしているかなど、攻める前に調べるべきことは多い。ウチだと衛星や虫型偵察機ですぐに分かるんだが、実際に忍び衆のみんなに情報収集をしてもらっている。


 懸念は三河だ。以前に比べると落ち着いたが、本格的に遠江攻めをするほどの安定はない。


 まあ遠江攻め自体は、今川が甲斐を取って織田との停戦が切れて敵対したらという流れが必要で、こちらからきっかけを作ることはないんだけど。


 とはいえ準備と計画は早くからしておく必要がある。実際に使わない計画や検討も元の世界では当たり前にあったことだ。


「さて、義元は甲斐を得てなにを望むのやら。それを見極めてからでも遅くはあるまい」


 すすっとお茶を飲んだ信秀さんは一息つくと、義元を試すように一言呟いた。


 なにを目指すか。織田はそれが明確になりつつある。新しい世を創りたい。別に足利家を滅ぼすとかではない。今のところは領内を新しい国にしたいとみんなで頑張っているんだ。


 義元はそんな尾張とどう向き合い、どう動くのか。オレも見てみたいね。



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