第767話・佐治さんの結婚

Side:久遠一馬


「久々に来たけど、活気があるね」


 一月も残り僅かとなったこの日、オレはキャラベル船で知多半島は大野湊に来ている。伊勢湾から東方面を行き交う船が立ち寄る湊として、現在もここは賑わっている。


 関東に行くにはウチの船と佐治水軍の船以外は沿岸を航行するしかなく、今でも沿岸航行で荷を運ぶ船は存在する。自給出来ないものは買うしかなく、尾張より東の太平洋側は明の密貿易船が行くこともない。


 そのため遠州灘を越える危険を承知で荷を運ぶ商人は存在する。もっとも海路より陸路のほうが安全であり輸送総量は多いが。


 とはいえ馬に載せられる荷物の量は限られている。船が使えれば一度に大量に運べるので、それに越したことはない。


 佐治さんの居城、大野城は今日の婚礼の儀のために慌ただしく人々が準備をしていた。そう、今日は佐治さんと信秀さんの娘であるお縁さんの結婚式なんだ。


「ほう、なかなかいいところだな」


 同じ船で乗船してきたのは、信秀さんだ。どうも大野は初めてらしく、興味深げに見ている。


 信秀さんがいるからか、扱いが違う。案内役の佐治家の家臣も緊張している様子だ。


「しかし、よく慣例を変える決断を致しましたね」


「いいではないか。同じ家中なのだ。誰に憚ることもない」


 大野城に入り、エルはお清ちゃんと千代女さんと共にケーキを作りに台所に行った。オレと信秀さんは特にやることもないのでのんびりとする。


 実は信秀さん。佐治さんとお縁さんの結婚式に出席することになっている。元の世界では特におかしなことではない。花嫁の両親が結婚式に出ることは。


 とはいえこの時代ではあり得ないことだ。生まれ育った家から出て新しい家に嫁ぐ。それが当然であり、信長さんと帰蝶さんの時のように見届け人が出席することが常識だった。


 きっかけはやはりオレたちらしい。オレの婚礼の儀をあげてくれた時に、ウチの島では両家が揃ってお祝いすると説明した結果だ。


 両家の結び付きを強めるために、信秀さんはこの時代の婚礼の儀の風習を変えると宣言した。


「久遠家の風習と言えば反発する者は多くない。一から十まで変えるわけではないのだ」


 強かだなと思う。仏と呼ばれる名声も、久遠家の異質さも必要とあらば利用する。


 もっとも佐治さんとは事前に相談していたらしいが。あとでちょっと佐治さんと話したが、信秀さん自ら出向いて婚礼の儀に出てくれることに畏れ多いと言いつつ喜んでいた。


 そもそもこの時代において、主君が自分の城に来ること自体が名誉なことだ。家臣どころか親兄弟ですら疑わなければならない時代だからね。


 信秀さんはよくウチに遊びに来るが、あれも本来ならばあり得ないことだ。


「これで佐治水軍は正式に織田水軍ですね。伊勢の海に限れば敵はいないでしょう」


 それとこの婚礼で佐治さんは織田一族として認められることになり、織田姓を名乗る許可ももらえるそうだ。これは正式な織田水軍創設のためでもある。


「安祥と大垣も上手くいった。水軍ももっと増やさねばなるまい」


 あと今年の正月にひとつの変化があった。三河安祥を治める信広さん、彼は信秀さんの庶子だが、この正月から三河安祥の領地を直轄領として彼も俸禄に変わった。大垣の織田信辰さんも同様だ。


 信秀さんから俸禄を与えて、安祥の税はすべて織田家で公的に使う。まあ現状ではそこまで使い方に変化はないだろうが、信広さん個人の収入と領地の税を分けることに成功している。


 家臣の俸禄化の前に自身の子からだと信秀さんが決断したんだ。ついでに大垣城の信辰さんも俸禄化したが、収入については変わらないように配慮して仕事も変わるわけではない。肩書が城代となったこと以外は。


 それと佐治さんに関しても俸禄に変えることで話が進んでいる。大野の領地を直轄領として、佐治さんには大野城城代兼、織田水軍の将となってもらう。


 領内の俸禄化が進んだら異動もあるという説明はしているが、織田一族入りと水軍を任せるという役職も増えるので収入は上がる。多少複雑な心境はあるんだろうが、領地に固執しては生きていけないと理解もしていると思う。


 そもそも佐治さんも現状では蟹江に住んでいるからね。大野城は城番じょうばんを置いて、たまに様子を見に帰るくらいだと言っていた。


 水軍の仕事が忙しくなり、本拠地が清洲にもすぐに行ける蟹江に移った以上仕方ないことだ。


 本来の水軍は漁業の傍らで税を取っていただけだが、現状では伊勢湾の守りと海運を手掛けるほどに広がっている。


 ウチも手伝っているが、領地を広げるとかそんなことを考えている余裕はないだろうね。




Side:佐治為景


 我が城だというのに落ち着かぬほど騒がしいな。これでわしも織田一族か。


 領地召し上げと俸禄になることは、海に出ぬ家臣や長老衆を納得させることに少し苦労した。土地を治め、土地で生きるのが当然だからな。


 とはいえ世は変わる。織田家や久遠家から多大な支援を頂いておきながら、所領には手を付けるなとは言えぬ。清洲の殿に限ってないだろうが、攻めて滅ぼしてしまえば済む話なのだ。陸でも海でも勝てぬ以上は従うしかあるまい。


 それに安祥の三郎五郎殿も俸禄となった。今後もその流れは変わるまい。久遠殿はすでに日ノ本の外を見ておる。そのためには日ノ本をまとめる必要があるからな。


 そもそも大野は他人が欲する土地ではない。今でこそ湊が栄えておるが、あれは久遠殿のおかげというもの。久遠殿に睨まれれば生きていけんような土地だ。


 それに俸禄になったことで驚くほど暮らしは変わる。家臣たちに俸禄を与えても余りあるほどだ。


「殿、まさかケイキを作っていただけるとは……」


「ああ、万事抜かりなく頼むぞ」


「ははっ」


 わざわざ大智の方殿が婚礼の料理とケイキを作るためにここまでお越しになられた。


 女の身でなどと言えぬほどの功があり、その智謀で天下を取れるとまで囁く者もおるのだが。ご本人はあまりそういうのは好かんお方だからな。


 無理を承知で頼んだのだが、喜んで引き受けてくれた。


「大殿は世を変えるおつもりなのでしょうな」


「ああ、そのおつもりであろう」


 今回の婚礼の儀に、ご自身が出席したいと言われたことには心底驚いた。とはいえ久遠殿と共に関東や久遠諸島に参った者ならば、そのお心がわかるというもの。


 久遠殿の本領を見たことは、清洲の殿に羨ましいとまで言われたものだ。


「久遠様の御本領はようございましたからなぁ」


「ああ、我らは久遠殿と共に遥か海の向こうに行くのだ。そのために必要なことだ」


 いくら拘ったとて、わしが治めることの出来る領地などたかが知れておる。わしでは一国を治めるなど夢のまた夢。だが水軍に掛ける思いだけは負けんと自負しておる。


 今でも夢に見ることがある。争いもなく白い屋敷に夜も灯りが灯る湊。久遠諸島のように日ノ本を栄えさせて、日ノ本の外へと出ていくのだ。


 そのためにはこの婚礼は必要なことだ。織田一族となり久遠殿とも縁戚となる。


 伊勢や志摩の水軍はこのままでは立場がないと焦っておるようだが、こちらが連中など見ておらぬと知ったら如何するのであろうな。



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