第753話・海で生きる者

Side:とある海の男


 遠くに白い帆を張る黒い船が見える。久遠様の船だろう。あの船が尾張に来るようになっておらたちの暮らしも変わったなぁ。


 水軍の船ほどじゃねえが、昔とは比べ物にならない大きい船と網を使って皆で漁をしておるうえに、海が荒れると賦役に行ける。


 今では沖を通る船から税を取ることも禁じられたりもした。どっかの奴が税を取ろうとして罰を受けたって話だ。魚をとるか、佐治様の下で水軍として働くか。どちらも食うには困ることはねえが。


 村の長老の中には面白くねえ人もいるみたいだが、騒いだところで付いていく奴はいねえからな。飢えずに飯が食えることがなにより大事なんだ。


 海が荒れて漁が出来ずに、飯が食えねえなんてことはなくなっただけでありがたい限りだ。


「父ちゃん、いっぱいとれたよ!」


「おっ、よくやったな」


 漁から戻ると、まだ漁に出られない倅が拾ってきた貝殻を見せてきた。昔は食べ終わった貝殻なんてその辺に捨てていたんだがな。今では村に来る商人が買っていく。なんでも久遠様がお買い上げくださるらしい。


 海沿いで拾ったり、昔捨てたものを探して拾ったり、同じくらいの幼い子らがあちこちから拾ってくるんだ。


「よう、漁はどうだ?」


「ああ、悪くはねえ」


 家には水軍で働く弟が来ていた。土産にと麦酒を持ってきてくれたんで、一緒に売りもんにならねえ魚を焼きながら飲むことにした。


 下魚だと嫌われている魚だが、獲ったその日に焼いて食う分には十分食えるもんだ。うめえ魚だってある。


 季節は冬だ。火を焚かねえと寒くて死んじまうことだって珍しくねえ。おらのおっ母もそうだった。寒くて寒くて仕方ない日、おらと弟を温めるように抱いて寝ていたら、冷たくなっていた。


 こんな寒い日はあの日を思い出す。


「夜はどうだ? 寒くねえか?」


 弟も同じことを思い出したんだろう。家を見渡して案じてくれた。


「ああ、大丈夫だ。わらも十分あるし、薪もある」


 寝る時に寒さをしのぐには藁が一番だ。藁の間に入って寝る。藁は秋に配られた。売ったり焼いたりしないで、春までその藁で寒さをしのぐように命じられたんだ。


 この辺りは薪に出来そうな木が少ねえから、毎年暖をとるのも苦労するが、薪や炭も手に入るようになった。全部織田様のご命令だって聞いた。


「そうか。良かったな」


「ああ、良かった」


 商人ばかりじゃねえ。たまにくる紙芝居が村だと何よりの楽しみなんだ。近頃だと紙芝居のあとに文字の読み方まで教えてくれるようになった。


 おかげで皆と読んでいれば、かわら版に書いてあることがなんとなくわかるようになってきた。あれも読めると楽しいんだよな。


「水軍は大変じゃねえか?」


「大変だけど、食えるからな。酒も飲める」


 村から水軍に行った奴は何人かいるが、みんな忙しいと言っている。弟もそうだ。だけど昔と比べるといい顔をしている。


 贅沢は言わねえ。あんな日のようなことが少しでもなくなれば……おらはそれでいい。




Side:久遠一馬


 今朝はやけに寒いと思ったら雪が僅かにちらついていた。昨夜は一段と冷えたからなぁ。


 尾張は滅多に雪が降ることがないんだけど、こうしてちらつくこともある。


「殿、おはようございます」


「ああ、おはよう。今日は寒いから、暖かくしているようにね」


「はっ」


 屋敷では奉公人の皆さんがすでに働いている。この時代ではあまり一般的ではない足袋も、尾張ではかなり普及している。


 草履や下駄は寒いから、この季節のウチは更に靴を履くことが多い。尾張にはまだ普及まではしていないが、信長さんは当然として一部の人たちは履いている。


 奉公人の格好も寒くはなさそうでほっとしつつ、オレは鳥小屋の掃除に行く。


 この時代の死因で意外に多いのは凍死だ。庶民は特に断熱なんて無縁な家に住み、暖房の薪だって貴重で布団もない。織田領ではなるべく凍死者を出さないように努力しているけど、まだまだ道半ばかな。


 関ケ原とか寒いだろうな。あとでちょっと調べておいたほうがいいかもしれない。関ケ原では今でも賦役が続いているが、関ケ原に慣れていない人は大変かもしれない。


 ああ、鶏の飼育も順調に広まっている。今では清洲城でも飼育しているくらいで、武士は元より領民でさえ飼い始めている人がいるくらいだ。


 卵は薬という認識が強いが、雄鶏なんかは食べている人も結構いる。鶏は時を告げる鶏として食べることが禁忌として扱われることもあるが、お腹が空けばなんでも食べちゃう時代でもある。


 無論食べたと自慢できることではない。気が付いたらいなくなっていたというだけだ。あの鶏どうしたとは聞かないことがまあ普通らしい。一部の信心深い人は怒ることもあるらしいが。


「おはよー!」


「おはよう。パメラ、お清」


「おはようございます」


 今日の卵を確認して台所に運ぶと、パメラとお清ちゃんがいた。今日は二人が朝食を作っているのか。エルも忙しいからね。みんなで分担する日もある。


 お清ちゃん。彼女と結婚してもうすぐ二年になるが、未だに気を抜くと習慣でお清殿と呼びそうになる。夫婦だからね。そこはエルたちと同じく呼び捨てにするようにしているんだ。


 ただ、エルたちとは仲良くやっているようでなによりだ。




「では古渡城を使いますか?」


「捨て置くには惜しい城だ。以前は勘十郎に継がせるかとも思うたが、今更あの城はいらんであろう」


 朝食後、この日はエルとジュリアとセレスと一緒に清洲城に来ている。信秀さんと信長さん、信康さんや政秀さんたち常駐する一族や重臣と一緒にひとつの報告を受けて検討をしていた。


 武官の今後についてだ。信長さんの領地をすべて直轄領として俸禄に切り替えた者や、大和守家の旧臣の俸禄の者たちを武官として鍛えていたが、一定の目途と成果が出ていることで、古渡城を武官の訓練所にすることになった。


 前々から話はいろいろあったんだけどね。優先順位が低いことで進んでいなかった話だ。清洲の運動公園や学校の体育館を使っていたが、そろそろ本格的な拠点をという話となっていた。


「基礎はこれまで通り、警備兵と一緒でいいよ。ただ武官となるなら用兵とか学ぶことも多いからね」


 現状では警備兵と武官が少しごっちゃになっている。まあ武士だろうが商人だろうが、農民だろうが戦に行く時代だ。当然と言えば当然なんだが。


 ジュリアも今まではそこまで分ける必要はないと判断していたが、そろそろ専門的な訓練と教育が必要な段階になっている人もいるということか。


 清洲は拡大しているとはいえ、それ以上に織田家の拡大が続いている。手狭になる前に武官の拠点を清洲から離すことにしたんだ。


 現状だと個人の武芸と集団戦闘の訓練なんかはしているが、用兵とかあまり訓練していないからなぁ。警備兵はそこまで用兵とか必要ない。彼らの本職は治安維持だ。


 戦場でも直接戦うよりは、自軍や占領地の治安維持を今後は任されることになるだろう。


 難しいのは、史実とか元の世界の歴史から得られる教訓のままに効率化をしようとしても、あまりうまくいかないことだ。


 ある程度でも経験を積んで課題を浮き彫りにしてから動く必要がある。


 古渡城は清洲に来る前に信秀さんが住んでいた城なんだけどね。勘十郎君。信行君といったほうが馴染みもあるが、彼も城持ちになる必要がなくなっているし。


 勘十郎君は信長さんの下で文官仕事をしている。信康さんのように、ゆくゆくは信長さんを支える人になってほしいというのが信秀さんの考えなんだろう。


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