第754話・蟹江にて
Side:久遠一馬
師走も半ばに差し掛かるが、織田家では水軍の再編が進んでいる。佐治さんに信秀さんの娘であるお縁さんが嫁ぐことをきっかけに、佐治水軍は織田水軍として正式に再編される予定なんだ。
水軍を持つ者は知多半島の東側を主に制している水野家もいる。今後の組織の指揮命令系統の明確化と水野家に対する負担と保障など、時間をかけて話し合っている。
ただまあ水軍の再編は、飛び地の再編よりは楽だというのがオレの印象だ。しがらみや慣例など、いろいろ難しいところはあるが、水軍として活動しているところは領地で米が取れなかったりするところが多い。
近海においてウチの船と強化され続けている佐治水軍に勝てる勢力などなく、その支配下に組み込まれるのは仕方ないというのが、おおよその人たちの意見でもある。
もっとも今までと違うやり方には反発もあり、一筋縄ではいかないが。
「蟹江城ですか」
オレとエルはこの日、そんな水軍の拠点になる蟹江に来ている。佐治さん、ウチの家臣で船大工の善三さん、それとミレイとエミールと鏡花もいるね。
この日提案してきたのは佐治さんだった。
「南蛮の城を建てるということも不要な様子。ならばいっそ水軍の学び舎と城をまとめてしまえばいかがかと思いましてな」
計画の段階で止まっている蟹江城を、学校と併用する形にしてはというのが佐治さんの意見だ。古渡城を武官の城にしたことで思い付いたんだという。
蟹江城の件は二転三転している。当初では諸国や南蛮人をも威圧するような南蛮の城をと信秀さんも望んでいたが、港と町を優先した結果、計画から数年で織田家の状況も変わった。
当初の構想であった伊勢への拠点としての城はほぼ不要となっている。懸念していた一向宗の願証寺は驚くほど協調路線にシフトしているためと、六角家や北畠家との誼が深まっているためだ。
三河も今川の西三河からの撤退と甲斐侵攻に変化したことで安定しているし、西美濃は関ヶ原城もあって完全に掌握しつつある。
城による防衛よりも街道の整備と治水による、経済の発展と地域の安定を優先させた結果でもあるんだが。
「考えてみる価値はあるね。城はどのみち守りだけなら蟹江より他が優先だし」
対伊勢は、実は六角家の定頼さんの生死で変化しそうなことは気になる。とはいえ濃尾と伊勢が戦をするには川が多いことと、領境に願証寺があって侵攻も大変ということや、水軍による海の戦も考えなくてはならない。
城をひとつ建てて戦況がそこまで有利になるわけではない。それに織田家の方針として、領内に引き込んで戦うというのは、戦の勝敗以上に経済的な損失が大きすぎるという事情もあるんだよね。
船乗りや船大工の学校という話は善三さんたちと以前からしていて、校舎は手付かずだが、善三さんたちは船大工の親戚縁者などを集めて船大工を育てることをすでに始めている。
水軍は陸上より改革が遅れていたが、畿内から戻ってすぐに信秀さんが各地で通行税を取るのを止めるように命令を出している。結果として食えない漁民や船乗りは佐治水軍で雇うという形で拡大しているんだ。
困ったことは建物とかの建設がまあ順番待ちであることか。既存の建物や城を活用してはいるが、そろそろ蟹江の学校も必要か。
那古野の学校と病院の拡張は終わっていない。学校は初等教育から高等教育などを分けることと、警備兵のための校舎を建てている。
病院も医師や看護師の学校を併設させつつ、病院そのものを大きくしているんだ。本当は武官のための士官学校や兵学校もまとめるか議論したんだけどね。待っているよりは古渡城を活用することになった。
どのみち水軍と船大工の学校は、那古野ではなくて海が近いほうがいいので別になることもある。
あと警備兵と水軍と武官は、相互理解と交流をするようにするつもりだ。史実のような縦割り行政の弊害や、陸軍と海軍の対立なんて御免だからね。
「そうですね。学校としても使える城としてなら早期に普請をおこなうべきです」
ミレイたちと鏡花も、佐治さんに知恵を貸したらしいね。エルにも意見を聞いてみるが、ほぼ必要がなくなっていた蟹江城を学校としての機能を持たせることで建設するならいいアイデアだ。
行政としての機能も持たせるとより効率的になるかな。一方で主が寝泊りする御殿は要らない気がする。実際にウチも織田家も町に屋敷がある。まあそこはみんなに話して要検討か。
「ここは尾張の玄関のようなもの。城の場所だけを空けておくのはなんとも不自然に見えますからな。織田は城を建てる銭も実はないのではと考える者もおりましょう」
ああ、佐治さんが気にしていたのはそこか。一応土地の造成工事は終えているからなぁ。一番いい場所が空き地となっている。夏場なんかは草刈りをしていたほどだ。
実際になんで城を後回しにするんだという意見は結構多い。城の価値を認めないわけじゃないが、この時代の人の優先順位だと街道や治水よりも土地と命を守る城なんだよね。経済なんて頭にないから。
その都度オレや文官が説明しているんだが、まあ他国からの人だと説明も出来ずに勘違いする人もいるか。
実のところ、蟹江で今も建設が盛んなのは蔵だ。広い蔵の予定地では今も蔵の建設が進んでいる。米にしても米以外の食料にしても保存がなにより大切な時代だしさ。
まあ検討して評定にあげてみるか。
Side:お市ちゃんの乳母、冬
「賑やかですね。姫様」
「うん。たのしい!」
清洲から蟹江の町まで馬車で来られるようになり、楽になりましたね。この日は久遠殿と共に蟹江に参りました。久遠殿と大智殿は仕事があるということで、私と姫様は露天市に参っております。ここには諸国からの珍しい品があります。
警護の者は半数が女でございます。女警備兵と呼ばれておる者たちにございます。
「あー! ぷりしあ!」
「あら、姫様。ご機嫌麗しゅう」
楽しげに露天市を眺めていた姫様は、突然群衆の中に手を振ってプリシア殿の名を呼んでおります。
久遠殿の奥方のひとり。普段は尾張では見かけぬお方でございます。姫様もあまり多く会ったことのないお方なのでございますが。よく気付きましたね。
「いつ、きたの?」
「先ほど到着したばかりでございますよ」
普段は本領のほうで果樹園にて作物を育てておられるお方。以前本領に参った時とは違い、今日は着物を着ておられますね。
「いっしょに、ろてんいちまわろう!」
「ええ。お供致しますわ」
久遠殿の奥方が交代で尾張に来るのは珍しくありません。とはいえ名前と顔を全員覚えておられるのは、久遠家の者を除けば殿や若様など少数のものだけでしょう。姫様もそのひとりでありますが。
「ふね、たのしかった?」
「いえ、大変でしたよ。嵐にあって大揺れでございましたわ」
姫様は今でもまた久遠殿の本領に行きたいと時々おっしゃいます。私は正直なところ、恐ろしく思うのですが、姫様は久遠殿の船は沈むとはまったく思わないからでしょう。
楽しげに本領の様子や船の旅を問うておられる姫様の様子に、私は姫様がどのような大人になるのか楽しみでございます。
いずれ久遠家に嫁ぐのが姫様の定め。海を恐れてはそれも叶わぬことでしょう。姫様は久遠家に嫁ぐべく生まれてこられたのかもしれませんね。
もっとも、何処とも知れぬ他家に嫁ぐよりは幸せとなるでしょう。
私はどこまでお供が出来るのかわかりませんが、許される限りはお供致します。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます