第751話・次のステージへ

Side:冷泉隆豊


 清洲は、周防の山口を思い出す町であった。活気があり人々が笑みをこぼす町。思わず涙が込み上げてきそうになる。


 織田は僧に対しても荷改めをしておるようで、御屋形様の首を織田の者に見られた。わしは捨てた名を明かし、誰ぞに目通りを願うと清洲城へと案内された。


 なんとも御屋形様が好みそうな城だと思うた。雅の心がありつつ、初めて見る美がそこかしこにあった。特に見たこともない織田内匠頭様の絵には思わず度肝を抜かれた。


 そのまま時を置かずして織田内匠頭様に目通りが叶う。


 もう少し早う知っておれば……。内匠頭様との目通りを終えると、そう思わざるを得なかった。仏の弾正忠。まさにその名に相応しき人物に思えた。日ノ本広しといえども、仏の名を持つ武士もののふはあのお方くらいであろう。


「お初にお目にかかります。拙僧は沢彦宗恩でございます」


 与えられた屋敷に入り、ようやく一息吐けたところに見知らぬ僧が参った。内匠頭様が寄越してくれた者のようだ。


 御屋形様に経を上げたいというので頼むと、しばし共に冥福を祈る。


「守護様との目通りは近日中に。困り事はなんなりと申し付けくだされ」


 謀叛で自害した者には過ぎたると思えるほど、織田は気を使ってくださる。無論、わしは御屋形様のことをよく知っておるが、遥か遠い尾張において御屋形様のことをいずこまで知っておるのかはわからぬこと。


 沢彦殿とは今後のことを話す。この沢彦殿は内匠頭様の嫡男の師であり、噂の久遠殿とも親交が深いようだ。噂程度でいいので西国のことを今後も知りたいと頼むと、久遠殿ならばわかるであろうと頼んでくれることになった。


 御屋形様の葬儀はあげていただくことにした。密葬にするかと問われたが、隠したところでいずれ御屋形様の死は広まる。ならば尾張にて堂々と行うべきであろう。


「では、大内卿の名に恥じぬ葬儀にせねばなりませぬな」


「よろしいのか? それでは陶と対峙することになりましょう」


「さて、困るのはどちらでしょうな。陶では明への船も出せぬとこちらは理解しておりますが?」


 大内家は終わったのだ。陶めが誰ぞを傀儡としておるかもしれぬが、御屋形様を討った奴に先はない。とはいえ驚かされたのは、尾張の者である沢彦殿が今後のことを大筋で理解しておることか。


 東に大内に負けぬ国がある。あの噂はまことであったな。


 夏までは半年。御屋形様の弔いをしながら花火を待つとするか。




Side:久遠一馬


「周防からここまで追っ手から首を守り通したなんてね。凄い人もいたもんだ」


「執念だろうね」


 目の前に広がる伊勢湾の海を見ながら、ふと大内義隆さんの首を抱えてここまでやってきた冷泉さんのことを話している。


 個人が大人数に追われるということが、いかに大変で恐いことかはオレにもわかる。ジュリアは執念だと言うが、まさにその通りだろう。


 冷泉さんが尾張を目指していたのは知っている。念のため大寧寺の様子を監視してもらっていたからね。ただし大内義隆さんが自刃して寺に火を掛けたことや、首を持って尾張に来るのは思いもしなかった。


「おおっ!」


「尾張の黒船だ!!」


 少ししんみりしていたが、それも湧き上がる歓声に吹き飛んでしまった。目の前で動きだした黒い船に港を埋め尽くすような人たちが喜びの声を上げた。


 ここは蟹江の港だ。歓声があがったのは二隻の船が動いたからだろう。


 昨年の夏、蟹江を襲撃してきた本物の南蛮人が乗ってきたキャラック船だ。衛生状態が最悪だったことで消毒をして、研究と技術習得のために解体したのちに補修と改良を加えて尾張の船大工たちが組み立てた船になる。


 蟹江で南蛮船は珍しくない。とはいえあれは尾張で組み立てた船ということで、注目度は高い。織田一族や重臣にあちこちから船を見ようと見物人が押し掛けているんだ。


 先日には津島神社と熱田神社の神官がお祓いをして祝詞を上げてくれた。船の中に神棚が設置されたのにはオレも驚いたけど。


 さほど大きい船ではない。とはいえウチの船や久遠船と同じく黒に塗った船は威圧感もあり、周りのみんなが喜ぶのもわかるというものだ。


「これでまた一歩、進んだな」


 信長さんも嬉しそうだ。尾張で南蛮船を造る。それは最先端の憧れの船を自分たちで造るということになるんだろう。誇らしく思う気持ちもわかる。


「一馬よ。あれは、今後も造れるのか?」


「はい、船大工たちも基本の構造と造り方を学べたようです。次は一から造る支度に入っています」


 今日は守護の斯波義統さんも来ている。普通に驚いているな。そういえば義統さんは、あの船を見るのは初めてか。


 先日には石山本願寺から戻る時にウチの船に乗ったが、大きさや内部の造りに驚いていたからね。ウチのガレオン船と比較すると小型だが、それでも本格的な南蛮船を造ったことには驚きらしい。


 二隻で一年かかったが、今後は作業に慣れて人が増えるともう少し早く造れるだろう。まあ船大工は久遠船の建造もあって忙しいんだけどね。


 幻庵さんたちの帰りには間に合わなかったが、次回の関東行きには使える。佐治さんからはまたウチの島に行きたいと早くも言われたね。


 武装は金色砲と同じ軽量なファルコネット砲とバリスタを載せた。ウチのキャラベル船を武装する時と同じだ。


 当然ながらガレオン船のカルバリン砲より軽いのが決め手だ。どのみち伊勢湾近海で砲撃戦なんてありえないし、当面はこの二隻はウチの船と一緒に船団を組むことで決まっている。


 本当は大砲も要らないくらいなんだけどね。佐治さんとか織田家の皆さんから大砲を備えたいという要望があったことと、今後のために操作訓練や大砲のある船の操船訓練が必要だという判断だ。


 もっとも今後の運用や建造に掛かる費用を教えると、さすがの信秀さんや評定衆も少し渋い表情をしていた。今回はウチから献上するという形にしたが、信秀さんや重臣の皆さんにはおおよその海外での市場価格を教えてある。


 ウチは自前で製造出来るので、そこまで掛からないとも教えたが、南蛮船の建造と運用や武装の費用を理解するとウチが商いに精を出す理由をわかってくれた。


「この辺りで使うなら久遠船のほうが良さそうだな」


 信秀さんはそんなことを思い出したんだろう。誇らしげに見つつも、一瞬なんとも言えない顔をしてポツリと呟いた。


 槍と士気で戦う戦国武将ではなくて、お金と経済で戦う戦国武将だからね。信秀さんは。費用対効果を考えられるようになると心強い。


「船が増えると運ぶ荷も増えます。大きな損失にならないように努力します」


 そんな信秀さんにエルは今後の運用も含めて可能な限り努力すると進言すると、ほっとした表情をみせてくれた。


「国を豊かにせねばならぬな。今川の相手などしておる暇はないわ」


「確かに……」


 軽い冗談なんだろうが。周囲にいた重臣や義統さんたちは、なんとも言えない表情で笑った。


 他国から見ると激怒しそうだが、豊かになりつつある尾張は次のステージに入ろうとしている。


 その日暮らしの奪う暮らしとは次元の違うステージだ。




◆◆

 大内家家臣、冷泉隆豊が尾張に辿り着いたのは、天文二十年の冬のことであったと伝わる。


 遥々周防から主の首を守り抜いて辿り着いた隆豊に信秀は感銘を受けたようで、花火を見たいとの遺言を果たしたいとの願いを聞き入れて、最大限の礼を以って迎えたとある。


 隆豊自身は尾張のことを日ノ本一の国と書き残しており、大内義隆の先見の明を知りその死を更に惜しんだと言われている。


 同時期には、織田家において初めて南蛮船が造られたと『織田統一記』にある。


 厳密に言えば、前年に蟹江を襲撃した南蛮船を解体して組み立てたものであったが、久遠家の技術で改良された船であり、新造船に匹敵する船であったと伝わる。


 これを指揮して建造したのは、久遠船の設計もした船の方こと久遠鏡花であった。日本造船の母と言われる彼女は、多くの船大工たちに慕われていたとの記録も残っている。


 当然であるが、久遠家を除くと日本で最初の南蛮船を建造した記録となる。


 船おろし当日は、多くの人々に見守られていたようで、斯波家、織田家、久遠家を称える人々でお祭り騒ぎだったと『織田統一記』にはある。


 久遠家の影響で既に日本本土の外を見ていたと言われる織田家にとっては、記念すべき日であり、周囲の大名はこの知らせに織田の力を心底恐れたとも伝わる。


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