第750話・残すモノ

Side:織田信秀


「よう参った」


 久々に一馬の屋敷にでも行こうかと思うておると、予期せぬ者が訪ねて参った。


 冷泉隆豊。大内家家臣らしい。確か左衛門少尉の官位もあると聞いた覚えがある。とはいえわしは顔を知らぬ。船で連れ帰った者に周防の元遊女がおったな。あやつなら顔を知るやもしれん。念のため確かめさせるか。


 しかし、凄まじい姿だな。剃髪して僧となって『隆光りゅうこう』と名乗っておるが、よほど狙われたのか着物が血や泥で汚れておるわ。


「このような姿で申し訳ございませぬ」


「なに構わん。大内家のことは聞き及んでおる。力になれずに残念に思うておる。大内殿はこの荒れた世で代わる者がおらぬ男。惜しいことをした」


 多少の世辞を含むが本心でもある。大内家を西国一とまで言わしめた男。戦ではなく文治で国を治めようとしたことを思えば、本当に惜しいと思う。


「某、御屋形様の遺言で参りました。御屋形様の代わりに、この目で花火を見ねばなりません」


 遺言で花火とは。大内殿らしいと言えばそうなのかもしれぬが、本音はこの男を生かしたかったのではないのか?


「花火を上げるは夏だ。すぐにでも見せてやりたいが手間がかかるもの。それに夏に見てこそ花火と言えよう。屋敷を与える。夏まで待たれるといい」


「はっ、ありがとうございまする」


「あと、これは答えたくないのならば、答えずともよいが。首を持っておるようだな? 誰の首だ?」


「……御屋形様の首でございます」


 なんと、大内殿の首をここまで持って逃げおおせたのか。陶も死に物狂いで狙ったであろうに。荒れた姿をしておるわけだ。


「そうか。まずは供養してやらねばなるまいな。墓はいかがする? 尾張でよいならば力になろう。しばし体を休めて考えるがいい」


「重ね重ね、ありがとうございます」


 明日は我が身とまでは思わぬが、如何とも言えぬものがあるな。忠臣が単身で首を守り遺言を果たすべく遥々尾張まで参るとは。


 守護様にお知らせして坊主も集めなくてはならんか。大々的にやるかひっそりとやるかは冷泉に任せるとして、供養はしてやらねば浮かばれまい。


「そうそう、陶は苦労しておるそうだ。先日聞いた話だが、大内殿を討ち取ったと喧伝しておるが、誰もその死を見ておらぬそうでな。逃げ遂せたという噂もあるそうでな」


 ふと気になり、先日報告があった陶のことを教えると、冷泉の目に怒りが渦巻いた。これはまことに本人で間違いなさそうだな。


 恨み言のひとつも言いたいのであろうが、なにも言わぬまま冷泉は下がった。



Side:久遠一馬


 すっかり冬となっているが、織田家では安藤領を中心とした西美濃の独立領の検地と人口調査などが始まっている。


 飛び地解消のための領地整理も本格的に話し合いが始まったが、それを後押しする援軍は農業改革だった。


 在来種でも平均二割ほど収量が上がったインパクトが大きい。捕らぬ狸の皮算用というわけではないが、明確な成果があると話し合いも進む。この段階でようやく進んだのは、領地整理と田んぼの区画整理だ。


 清洲や那古野の町の拡張は規模を一定のまま続いている。川の治水や街道整備などもある。それらがあるにもかかわらず、一部の村では農地の区画整理が始まった。


 弾正忠家の直轄領と太田さんの領地など数カ所。米の取れ高の実績や土地の状態に、領民のやる気などを考慮した結果だ。第一条件として区画整理に村が同意したということがあるところになる。


「頑張っているね」


「はっ、皆、春までには田植えをしたいと張り切っております」


 武芸大会でも活躍した太田さんの村に、今日はエルと太田さんと一緒に視察に来た。太田さんも故郷の村が区画整理に選ばれたことに誇らしげだ。


 ちなみに選定したのは評定であり、ウチが決めたわけではない。もっとも評定衆もウチが持ち込んだ技術だということで配慮してくれたんだろうが、なにより太田さんの村のやる気が凄い。


 織田家の賦役なので近隣の村からも人が来て区画整理をしている。湿田の埋め立てが一番大変そうだね。灌漑設備も整える必要がある。


 麦酒と水飴を差し入れにしてみんなに配るようにお願いしつつ、賦役の様子を見守っている。慣れているからだろう。最初にオレが参加していた頃と比較すると効率がいい。大人数で協力することに慣れたというのもあるんだろうが。


「先代様も喜ばれておるでしょうな」


 そんな賦役を見守っていると案内役の年配男性が、ふと目頭を押さえるようにしてポツリと呟いた。


 歳を取ると昔のことを思い出す時間が増えると聞いたことがある。変わる村に一抹の寂しさを感じつつ、先に亡くなった者たちを思い出しているんだろう。


「ご苦労もあったのでしょうね」


「つまらぬことを申しました」


 エルはそんな年配男性にハンカチを差し出した。男性は感極まったのか更に涙を流してしまい、何度も謝ってくる。太田さんも少し目が潤んで見えるのは気のせいではないはずだ。


 生きている者は精一杯生きていく。それがこの時代の人たちの強さなのかもしれない。


「九郎殿、苦しい時のこと。子供たちに是非伝えてあげてください」


「畏まりました」


 オレに出来るのはこのくらいだ。辛い時代、苦しい時代を次の世代に伝えるように命じる。年寄り扱いなんてしない。生きているうちは頑張ってもらうのが一番な時代だ。


 それに苦しい時代の記憶は伝えなくてはならない。


「太田殿。この村に限らず苦しい時の暮らしや言い伝えなど、まとめてみようか。そんな暮らしが忘れられることがないように」


「はっ、お任せを」


 領民の暮らしとか後世に残らないことが多い。残すべきだ。そうすれば先人の苦労が報われると思う。


 上洛から戻って以降、太田さんは上洛の時の様子を記録として残すために頑張っているが、年配者を使って効率化を図っている。


 地域の話や暮らしは若い衆に集めてもらえばいいし、上洛の記録の編纂が一段落すると可能だろう。


「エル、せっかく来たんだ。みんなに料理でも振舞うか?」


「いいですね」


 ちょっと視察して帰ろうかと思ったが、もう少しなんかしてあげたい。屋敷から食材とか取ってきてもらって、なにか料理を振舞おう。


 なにがいいかなぁ。寒いし鍋物とかいいな。魚のツミレ汁とかはどうだろう? うん、とりあえずなんの食材が届くか見極めてからだな。




◆◆


 『尾張風土記・室町』


 室町時代から戦国時代の尾張の様子や、暮らし、古い言い伝えなどをまとめた文献になる。


 編纂者は久遠家家臣、太田牛一。


 制作のきっかけは、久遠一馬が太田牛一の所領を訪れた時のことだと伝わる。暮らしが変わり楽になる日々に年配者が涙した姿を見た一馬は、苦しい時のことを後の世に伝えるために牛一に命じて作らせたとある。


 公家や僧侶や武士など限られた者が残した日記や家伝しかない時代に、庶民の暮らしから言い伝えなどまで克明に残したのは、一馬の大きな功績である。


 後にこの『風土記』は各地で制作されることになり、現代に伝わる郷土史の礎となっている。



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