第749話・冬の訪れ
Side:久遠一馬
安藤さんの影響は大きかった。西美濃は隣国と両属状態の国人以外は、ほぼ全ての国人が臣従を申し出てきた。本当に小物が多いので影響も問題もないだろうけどね。
北美濃と東美濃は揺れている。美濃守護の噂が一気に広まったためだろう。北美濃では有力国人である東家を筆頭に、それなりの国人や土豪が臣従に向けた検討を真剣にしているようだ。東美濃では岩村遠山家が、臣従を前提に一族の取りまとめを始めた。
それぞれの家に歴史と血縁と事情がある。土地の俸禄化がネックになっているのは誰が考えてもわかるが、臣従をしてしまえばそこまで不満は出ていない。
どうなるかね。
季節は冬になり、各地の田んぼの情報も集まった。今年の収穫は可もなく不可もなく。場所によってはちょっとした水害や台風で収量が減った村なんかがあるものの、そんな村への支援もウチが指導するまでもなく進んでいる。
飢えない程度の食料と田畑の復旧が基本だ。これから春までは農閑期になるので、賦役で働かせれば織田家としての支出はさほど大きくないだろう。
「おおよそ二割から五割か。恐ろしいな。親父は褒美を悩んでおったぞ」
この日は最近文官仕事も板に付いてきた信長さんが、勝三郎さんたちと共にウチに来ていた。こたつに入りのんびりしているが、今年の米の取れ高や塩水選別と正条植などの新しい農法と、ウチが試験的に植えている新品種の話となった。
新しい農法だけでおおよそ二割、新品種を植えたところは五割ほどの収穫が上がっていることで、織田家では軽く騒動になったらしい。
二年目から始めて、少しずつ試験的な栽培を増やしている結果だ。一年だけなら豊作で終わってしまうが、昨年のやや不作の時も試験栽培の田んぼはまずまず良かったんだ。
「米はきちんと収穫した年を記載して、新米から奥に入れるようにと命じることをお願いします」
「ああ、すでに命じた。人を送って確認もさせてある」
米が多く採れると浮かれるのはいいけど、きちんと管理もしてほしい。各地の城に備蓄している米なんかは織田家のものだ。きちんと何年に収穫した米であることか明記して、新しいものを奥から入れていく。
そんな当たり前のことも出来ていない。今年もまた備蓄米の数が合わないところがあったくらいだ。ただし意識の変化は出ている。米蔵に鍵をかけて厳重に管理したり、管理する人を決めて責任を持たせるなど努力している人たちもいる。
「領外への米の販売は許可制にする必要がありますね」
「エル、やはりまずいか?」
信長さんはロボを撫でていて、オレはブランカのブラッシングをしていたが、紅茶を持ってきたエルが米の扱いについて言及すると信長さんは少しため息をこぼした。
米の産地の宿命なんだろうが、米が領外に流れていくんだよね。
「そこまで露骨ではありませんね。でもあまり良くありません。市場で米の値がある程度決まっていますが、他国より値が抑えられる分、外に売られることは当然でしょう」
市場原理というやつだろう。織田領では主要な農作物は公営市場にて大口取引が行われて市場価格の目安が決まる。その値からあまり外れるとウチが警告しているので、大きな問題は起きていない。
多少の値の上下は問題ないが、放っておくとぼったくる人が現れる。エルも仕方ないと少し困った顔をした。
あまりあれもこれもと管理することを増やしたくないが、モラルがようやく芽生えてきたかどうかという段階なんだ。禁じられないことは何をしてもいいと思っている人もいる。
一応今でも武田や今川に対して、米や雑穀に大豆などの兵糧になるものは売らないように命じているけどね。どこまで守られているかは微妙なところだ。
今川や武田が第三国で買って、その第三国が織田から買うのなら今のところ止めようがない。堺のような絶縁している相手ならば制限してもいいけどね。今川と武田相手にそこまでするのは難しい。
加えて、どこにでもある米なんかだと管理も難しいんだよね。
「米の余剰分は誼があるところに優先ですね。人のこと言えませんが、商人は抜け道を見つけますから」
まあウチも人のことは言えない。そもそもウチの品物って、表向きでさえ密貿易だし。朝廷や幕府は一切問題視しないけど。
オレの言葉に信長さんは、そこを気にする必要はなかろうと笑みを浮かべた。正直、やったもん勝ちってそこまで非難されないんだよね。ある程度の常識を弁えていれば。
ウチの場合は誰も考えもしなかったことをしているので、みんな非難する前によく理解していないだけだろうが。
「新九郎殿に聞いたが、安藤日向守が落ち込んでいたそうだ。いずれにせよ所領を整理されるのならば、早く臣従すればよかったとな」
紅茶を啜った信長さんは、安藤さんのその後を教えてくれた。安藤家は弟が継いで、守就さんは単身で一から臣従ということで、とりあえず義龍さんの下に付けられたらしい。
織田の統治を学ばせるのが目的だ。それに美濃の守護代家である斎藤家の下ならば、そこまで落ちぶれた扱いではない。
信秀さんって、そこんとこ気を使うよね。安藤さんからすると飼い殺しも覚悟したんだろう。残念。使える人材はどんどん使っていくのが織田家の方針だ。
ウルザの話では反骨精神のある人だと聞いたが、早くも落ち込んでいるのか。まあ臣従してすぐに、領内全体の領地整理をするなんて言われるとそうなるか。
「気持ちはわかりますけどね」
時代的には普通の人だと思う。理解が追い付かないというところか。少し同情する。
「あにうえー、かずまー。みてみて~」
「ほう、よく書けたな」
とてとてと誰かが少し駆けてくる音がしたと思ったら、お市ちゃんだった。わら半紙に楷書体で『市』という字が書かれている。信長さんがべた褒めしているね。
オレたちがいない間に文字の読み書きの練習を始めていたらしい。もうすぐ数えで六歳となるからね。子供の成長って早いなって思う。
「皆の衆、おやつでござる!」
「さあさあ、心して食べるのです!」
いたいた。ウチでも賑やかなふたりが。少し芝居がかった口調でおやつを持ってきた。なんだ? 今度はお芝居も始める気か?
「今日はどら焼きか」
「ふふふ、自慢の出来でござる!」
なるほど、今日のおやつはすずとチェリーが作ったのか。味見で完成するものが随分と減っただろう。
お市ちゃんはエルの膝の上から降りて、隣に座り一緒にどら焼きを頬張る。食事やおやつの時はきちんと座るように躾されているんだ。
「おいしい!」
「当然なのです!」
部屋はこたつもあり、達磨ストーブで暖めている。そんな中でみんなでおやつというのはこの時代では贅沢なことだ。お市ちゃんは一口食べると、気持ちのいい笑顔を見せてくれた。
それはいい。でもね。すずさんや。未来から来る猫型ロボットのアニメの歌を鼻歌で歌うのは止めよう。お市ちゃんが覚えて真似するじゃないか。
ああ、もう手遅れらしい。一緒に鼻歌で歌っている。まあいいか。歴史を重ねるごとにそれなりのものに落ち着くだろう。
エルもあまり気にした様子はない。
「ただいま」
「お帰りなさいなのです。今日のおやつはどら焼きなのですよ!」
「食べる」
結局いつもと同じ、賑やかなおやつタイムとなったが、ちょうどケティが往診から帰ってきた。おやつと聞いて、嬉しそうに微かに笑みをこぼした気がするのは気のせいではないだろう。
間に合うように帰ってきたんだろうなぁ。ちゃんととっておくけど、一緒に食べたほうが美味しく感じるしね。
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