第733話・工業村の贈り物と……
Side:久遠一馬
あれから一週間になるか。織田領は連日が祭りのように賑わっている。
生まれた子は正式に吉法師と名付けられた。どうもこの時代では生まれて七日目に名付けをするという習慣があるらしい。
出生率も低く成人するまでに大きくなれない子も多い。そのせいだろうと思うけど。
七日目の今日、かわら版と紙芝居で織田領全域に知らせる手配をした。紙芝居はウチの忍び衆の仕事となっていて、みんな喜んで知らせに行ったようだ。
今日は大湊、桑名、北畠の伊勢の勢力に、松平宗家、吉良家などの三河の勢力、それと東美濃や北美濃の独立領主からも祝いの使者が来ているようだ。懸案の安藤と竹中も家臣が祝いの品を持ってきた。六角からも直に来るだろう。
ここで無視してくれると楽だったんだが、そこまで非常識じゃないらしい。もっともこの慶事に臣従をと考えないところが彼らの限界だろう。今なら慶事だからと話がしやすいし、多少の事情は考慮するのに。
あとケティは帰蝶さんに一日数回は自分で授乳するようにと指導していて、完全な乳母さん任せにしないようにしているんだとか。
「うわぁ」
そんな慶事のこの日、工業村の職人が珍しいものを作って持ってきた。一緒にいたお市ちゃんが思わず瞳を輝かせたのがわかる。
「船の方様に久遠家の赤子をあやすものを聞いて作ってみました」
うん。犯人は鏡花か。目の前にあるものは、元の世界のと少し形が違うが確実にベッドメリーだ。
木を加工した動物が紐に繋がれていて、硝子と青銅もあり揺れると風鈴のような音色が聞こえるものだ。倒れたり落ちたりしないように安全面もかなり考慮したものだね。
木彫りの動物。実は山の村で特産にと作らせたら、意外に売れているんだよね。特に珍しいものじゃないが、芸術品ってこの時代一部の地位の人が頼んで作らせるものなので気軽に買えないからかもしれないが。
あと洗濯板も相変わらず売れているしさ。木工品は足が不自由な人たちなどの仕事にしようと現在動いている。農作業は無理でもこれなら出来る人がいるだろう。
「凄いな。さっそく献上に行こうか。若様も喜ぶよ」
誰もが驚く祝いの品を贈りたいと、半年以上前からみんなで相談して試作していたんだってさ。
さっそく職人たちのまとめ役である清兵衛さんと那古野城に献上に行く。当然のように付いてくるお市ちゃんもいるが。
那古野城は相変わらず賑わっているなぁ。今日は命名したからもあるだろうけど。
「おおっ」
那古野城の広間では早くも祝いの品を持参した人たちに酒を飲ませていたが、信長さんに命じられてベッドメリーを皆さんの前で組み立ててみることになった。
木製の動物は漆や金箔で塗装しているので結構派手だ。組み立ててお披露目をすると宴をしていた皆さんがどよめいた。
「かず、お前が作らせたのか?」
「いえ、職人の皆さんが考えたんです。鏡花が手助けはしたようですが」
この時代ではベッドがないので倒れたりしないようにと、結構大掛かりのものになっている。それにこれから冬で障子を開けて風を入れるのも無理なんで、紐を引くと動物が動いて音が鳴るような仕掛けにしたらしい。
信長さんも自分で紐を引いてみて驚いているよ。ああ、お市ちゃんが自分もやりたいと紐を引いちゃった。でもかなり頑丈そうだね。加減がわからないお市ちゃんが引いても全然大丈夫だ。
「清兵衛、見事だ」
「はっ、ありがとうございまする」
今日は織田領外からの人がいるから、いい宣伝になったかもしれない。謎が多い工業村については、未だに中に忍び込もうとしたり、中の人から話を聞きだそうとする人があとを絶たない。
別におもちゃを作らせるための工業村じゃないんだけどね。自由に考えて試作していいと命じているし、費用は織田家で出しているんだ。
ああ、工業村の内部では早くもトロッコが試験運用されている。短距離だが川舟で運ばれた鉄鉱石やコークスこと蒸し石炭を川岸から貯蔵場所に運ぶために使ってみているらしい。
「織田はあのようなものまで……」
「あれはいいですな。珍しさもあり売れましょう」
清兵衛さんはそのまま奥にて赤ちゃんの部屋に設置するべく職人たちとベッドメリーを運んでいった。
近くにいた大湊の商人の目の色が変わったのが面白いね。
Side:冷泉隆豊
ここを抜けると備後だ。十人おった供の者もふたりにまで減った。他の者は生きて逃げ遂せたであろうか?
わしがここまで逃げてこられたのは、他の者がわしを逃がすために尽力してくれたおかげだ。
燃え盛る大寧寺に涙が止まらぬまま、わしは御屋形様の首を持って逃げた。すべては花火を見たいという御屋形様の願いを叶えるために。
途中の寺で出家して僧に身を変えて、ひたすら東へと逃げる。
隆房め。覚えていろ。あの男如きに治められる国などないわ。侍大将止まりの愚か者が。
「ここは我らが!」
「お逃げを!!」
そしてあと少しというところで、また追手か。手際のよさから毛利の手の者か?
供の者が身を挺してわしを逃がそうとしてくれる。そなたたちの忠節、決して忘れぬぞ。
それでもなお四方から迫る敵を薙ぎ払いながら、わしは首桶を抱えて走る。ただ走る。
「その首、渡してもらおうか」
あと少し、あと少しだというのに……。囲まれたか。
その時だった。なにか丸いものが飛んできた。
「焙烙玉だ!!」
わしの前を遮っていた者がその正体に気付いた。何処からか焙烙玉が投げ込まれたのだ。
されど目の前の者たちは気付くのが遅かったようで、逃げられずに手傷を負ってしまう。どういうことだ? まだ味方がおるのか? それとも備後の者か?
続けて響く鉄砲の音。狙いはわしの追っ手だ。何者だ? まことに味方がおるのか?
「押し通る!」
考えておる暇はないな。目の前が空いた隙に逃げねば。この首だけは渡せぬ!!
どれだけ走ったか。備後に入り追手が見えなくなり、荒れた呼吸を整えてひと息つく。
先ほどの手助けはいったい何処の手の者だ? わしを狙う様子もなかった。しばらく待てば現れるかと思い、小川で水を飲み待つが現れぬ。
姿を現せぬということか。何処かで見ていよう。わしは走ってきた方角に深々と頭を下げて先を急ぐ。
いかなる訳があったかは知らん。されどこの恩は忘れぬ。
「さあ、御屋形様。参りましょう。尾張へ」
首桶が無事なことに安堵したわしは、遥か東の空を眺めて先を急ぐ。
思えば、御屋形様ほど乱世が似合わぬお方はおられなかったのかもしれん。太平の世であらば、よき主君として名を残したであろう。
明に倣い、国を豊かにしようと御屋形様がどれほど尽力したか。西国の者らはこれから知るはずだ。陶隆房如きには真似も出来ぬことよ。
やはり近衛殿下がおいでになった時に、御屋形様を無理にでも逃がすべきであった。
御屋形様はあのような場所で死んでいい御方ではなかったのだ。
◆◆
『義隆公記』
大内家家臣冷泉隆豊が尾張にて書いた大内義隆の一代記である。
この中に大内義隆の首を持って逃げている時に、何度か謎の助けがあったことが記されている。隆豊は義隆の人徳のおかげだと記しているが、それが何処の誰の指図で行われたことかは未だに不明のままである。
隆豊は同時に助けに入った者たちへの感謝も記していて、この『義隆公記』により大内義隆の治世の実態が後の世にも正確に残ることになった。
著者は冷泉隆豊であるが、久遠家家臣太田牛一の協力があったようであり内容の正確さでも第一級の歴史的な価値がある。
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