第734話・関ヶ原のその後
Side:久遠一馬
季節はすっかり秋になった。武芸大会の準備が本格的に進んでいる。回を重ねるごとにみんな慣れてきて、ウチの負担は減っている。
大会の種目やルールなどは評定でも話し合っているし、書画などの展示も行うので寺社も張り切っているのが特徴だ。みんなで参加する武芸大会というコンセプトが根付いたことがなにより嬉しい。
「そうか。それは良かった」
この日は関ヶ原の報告が入った。相変わらず賦役にて松尾山の関ヶ原城や関所の周囲に町などが出来ていて、北の山の麓に作っていた氷を製造する場所が今年の冬から試験的に運用出来るそうだ。
もっとも夏場まで氷を保存する氷室はまだ完成しておらず、本当にやってみるだけらしいが。それでも一歩前進だね。
「不破殿も羽振りがいいと評判ですな。俸禄も意外に悪くないのではと西美濃では評判だとか」
この日の報告は望月太郎左衛門さん。望月一族の分家らしいが、望月さんに後継者の子供がいないので後継ぎの最有力候補な人でもある。
彼が報告していたのは不破さんの現状だ。実は彼には浅井家との戦のあとに、俸禄を払うことに決めていた。なりゆきで築いた城や関所を織田家が運用しているので、その対価としてだが。関所の周囲に造った町もあるので相応の俸禄になっていた。
ただし関ヶ原は要所であることには変わりはないが、もともと大きな町があったわけではなく最前線で狙われていた場所なだけに、それを主家に差し出す対価としてはいささか多すぎる俸禄に本人が驚いていたくらいだ。
もっとも関所の価値と国境の町の経済的な価値を考えると妥当な金額にした。今後あそこが発展して不破さんが手放して損をしたと思わない金額にしたからね。
その結果が、西美濃にも波及し始めたということか。むろんこれはエルたちが狙ったことだが。
「不破殿が不満じゃないならよかったよ」
「喜んでおりますな。国境の守りを織田がするうえに、働けばさらに褒美が出る。領地を差し出した対価もありまするが、西美濃で一番金回りがよくなりました」
信秀さんは相変わらずウチのやり方をよく見ている。土地は与えないが、俸禄はきちんと良銭で払うし、働けば褒美を出している。成果報酬を上手く利用している。
不破さんは美濃に向けた織田の統治の実態を見せる、テストケースでもあるんだよね。斎藤家は守護代家だから別にして、国人でもあのくらいはなれるよという。
実際に関ヶ原で働く人は不破さんの領地の人が当然多い。実入りも変わっただろうね。
「安藤殿と竹中殿はいかがな様子ですか?」
「そちらは思わしくありませぬ。領民は日に日に不満を募らせておりますが、近頃では安藤家家臣と竹中家家臣までもが不満な様子。ものの値が違うことが、もっとも気に入らぬ理由でしょう」
関ヶ原が順調なことにほっとしたが、エルは懸案の安藤さんたちのことを訊ねた。やはり危ないのか。
ものの値は仕方ないじゃないか。彼らの領地にものを運ぶには織田と彼らの関所の二か所で税をとっているんだ。しかもウチの商品を中心に領民価格で売っているものは、領民以外には織田領外の市場価格になる。
金色酒なんかは高すぎて売れないという報告が入っている。織田領では領民向けの麦酒や水飴に小さな鰯を干したものでさえ、値段がまったく違う。
怒りだす人が多過ぎて、安藤さんと竹中さんの領地には行く商人がどんどん減っているらしい。昔から付き合いのある商人は行くらしいが、領民価格でなんて売れるはずがない。
領外に売る品物はウチも卸値が違うしね。誤魔化したら死罪にだってなりかねないほど厳しい態度で臨んでいるんだ。
「領民だからこそ値段を抑えているって文を、織田家から出したはずだけど?」
「はっ、それ故に領民と家臣の一部が不満を持ち始めたようですな」
行政サービスって概念がないからなぁ。他国から攻められたら守るのは主家の役目だが、流通と物価にまで首を突っ込んでいるのは織田くらいだろう。
治水や開墾などは多額の費用がかかるので大名がやることもあるが、それですらやれば名君として記録に残るほどだ。
領外の情報が入らないとまた違うんだろうけどね。普通に血縁は領地を越えてあるし、領民だって隣村の親戚からとか話を聞くことはあるだろう。
「そろそろ安藤殿と竹中殿の領地には嫁に出すなという人が出そうだね」
「すでに出ております。近隣の民もあそこには嫁に出すなと言うておるとか。さらに浅井の賊を探して山狩りした時も協力しておりませぬ。西美濃では織田がいつ安藤と竹中を討つかと賭けをする者すらおる有様」
面倒なことになりつつあるなぁ。
「エル、どうしようか?」
「斎藤殿と氏家殿や不破殿に相談してみるべきかもしれません。彼らからこちらの懸念を伝えて臣従なり改善なりするべきかと」
安藤と竹中のことは織田家中でも議論があるからね。そろそろ信秀さんに進言しておくべきか。
西美濃で独立領主の大物で残っているのは安藤と竹中だけだ。細々としたところはあるが、そっちはどうとでもなる。
武芸大会がもしかしたら話し合いの場になるのかな? いろいろと役に立つイベントだね。
Side:太原雪斎
「そうか。武田は思うておったほどではないか」
「はっ、四方を敵に囲まれております。また湯之奥の地も直接見られました。今後はいかようにも出来まする」
大きな成果もなく戦を終えてしまったことを詫びたが、御屋形様はそれよりもこの先のことを問われた。
事実、此度の甲斐攻めは敵の動きと当地を見るのが狙いだったのだ。小山田を筆頭に、少なからず武田のために命を懸けることを望まぬ者がおったことだけでも収穫になる。また信濃衆もさほど士気が高くなかった。
「関東管領上杉が信濃を突くだけでも武田は困りましょう。さらに上杉が武田に負ければ北条も喜びましょう。もし勝ったところで関東管領殿ではまとまる国もまとまりませぬ。付け入る隙はありましょう」
「金山さえ押さえれば武田の命運も知れたことか」
これほど戦が楽だと感じるとは思わなかったな。武田には南蛮船もなければ、訳のわからぬ武器もない。いつのまにか謀られることもないのだ。
武田晴信は優れた男であろう。とはいえ若い。家中を従えるだけでも苦労しておることが先日の戦でわかったからな。
仏と呼ばれる信秀よりは、信義のない晴信のほうが戦いやすいのだ。味方が内通する心配もいらぬからな。
「武田がこれ以上大きくなることは難しきことと考えまする。あとはじわじわと追い詰めてゆけばよろしいかと」
「織田との停戦はじきに終わるが、そちらはよいのか?」
「現状維持で次も行けましょう。こちらが大勝か大敗でもすれば変わりまするが、向こうからすると我らが潰し合ううちは利になりまする」
武田晴信の敵は我らではない。非情で信義もない己なのだ。他国との約束も勝手な理屈で一方的に破る男を誰が心から信じよう。
戦に勝てればいい。されど先年には村上に負けて、此度もなんとか追い返しただけで勝ちとは言い切れぬ。奪えねば食えぬ甲斐にて、なにも得られぬ戦は辛かろうて。
懸念は織田だ。この隙に駿河から甲斐まで一気に攻め落とせる力がある。とはいえ織田は所領を広げるよりも領内を整えて力を蓄えることに熱心だ。武田と潰し合いをしておるうちは動くまい。
「信秀の掌から逃れられぬか」
「今は耐える時でございます」
ああ、もうひとつの懸念は御屋形様か。やはり織田に頭を下げて従うのは嫌だとみえる。
今川家の誇りと伝統が、今川をよからぬ道へと導かねばよいが。公方様の二の舞いになってしまうぞ。
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