第731話・次なる世代
Side:久遠一馬
収穫の秋、領内各地から続々と米の取れ高についての報告が清洲城に入る。良い所もあれば悪い所もある。
川が多く治水が満足に整っていない時代なだけに部分的に水害があったりすることもあるが、もともと肥沃な土地である尾張なだけにそこまで悪くもない。美濃の西側・南側、西三河も悪い話は聞いてない。
「大丈夫ですよ。落ち着いてください」
那古野城では信長さんが落ち着かない様子でうろうろしていた。エルはクスッと笑うと声を掛けるが、それでも落ち着かないようだ。いや、聞こえてないのかな。
ついに帰蝶さんの陣痛が始まったんだ。病院はヒルザとマドカに任せて、ケティとパメラが帰蝶さんに付いている。
「三郎、男はじっと構えて待つものぞ」
ああ、陣痛が始まったと知らせたら、信秀さんと土田御前に道三さんも来ている。信秀さんは一見すると慣れているのか、じっと構えて余裕にも見えるが、実は紅茶がもう四杯目だ。
この時代、出産は危険なものだ。母子共に亡くなることだって珍しくない。不安と期待が入り混じっているのが本音か。
ちなみに信秀さんには孫がひとりいる。信広さんの娘がいるらしい。ただ男子はまだいないので、男の子だった場合は弾正忠家の後継者、
道三さんも気が気でないのだろう。弾正忠家に自分の血を引く子が生まれれば、斎藤家としても安泰だと考えているはず。
「あかごまだ?」
「もう少しですよ」
そしてお市ちゃんもいる。ウチで遊んでいたから一緒に来たんだよね。乳母さんとエルとオレの周りをウロウロして赤ちゃんの誕生を心待ちにしている。
ケティたちの出産法はこの時代の一般的なやり方とは違う、元の世界の出産法だ。この時代は穢れが駄目だとか寝ては駄目だとか、妙なやり方らしいからね。
元の世界のような医療機器はないが、ケティとパメラはナノマシンは使える。よほどのことがなければ大丈夫だと思うけど。まあ落ち着かないのはオレも同じだね。
「そなたたちは穢れや縁起を気にせぬな」
「ウチにはない習慣ですからね。それに好き勝手している寺社を見ていると、気にする気も起きませんよ」
黙って待っていると時間が長く感じる。ふとオレを見た信秀さんは気になっていたことなんだろう。声を掛けてきた。
神仏は信じても宗教は信じない。この世界のオレのスタンスだ。心のよりどころとしての宗教までは否定しないし、人々のために祈る真面目な人たちは個人として尊敬するし支援もする。
ただし必要以上に迷信を信じる気はない。文化や風習は尊重するけどね。不要なものは外国人だからということで違うといえば納得してくれる。結構便利だね。
「そなたにも早く子が出来るといいのですが……」
オレの言葉を興味深げに聞いている信秀さんと道三さんだが、土田御前はそれよりもオレに子が出来ないことをリアルに心配してくれている。
どうも祈祷も頼んだりしているようで、申し訳なくなるほどだ。当然ながらこの世界にオレの両親はいない。土田御前はオレの母として、本当の息子のように心配したり叱ってくれることもある。
そんな土田御前の言葉にオレは返す言葉もなく、しばし沈黙となるが、それを破るように赤ちゃんの産声が聞こえた。
「無事お生まれになりました。
少し慌てた様子で帰蝶さんの侍女さんがやってきて、嬉しそうに報告をするとみんながホッとしたように笑顔となった。ああ、いつの間にか政秀さんとか信長さんの家老衆も駆け付けているね。
信長さんは一番に我が子を見たいのか、報告を聞くなり帰蝶さんと我が子のところに走っていった。
「ようやった!」
「これで織田は安泰でございますな」
信秀さんはそんな息子を見送りつつ、道三さんと嬉しそうに話している。土田御前は祝いの酒を用意するように命じていて、那古野城は一気にお祝いムードとなる。
Side:ケティ
取り上げた赤ちゃんを乾いた布で優しく拭いてあげていると、誰かが走る音が聞こえた。まさかと思ったが、若様が慌てた様子でやってきた。
「帰蝶!」
「大丈夫。母子共に健康そのもの」
心配そうに帰蝶さんを見る若様に、彼も家庭を持って人の親になったんだなと思う。最初会った時は悪ガキだったのに。
「寝ておってよいのか?」
「寝ていなきゃダメ。出産はそれだけ大変なこと。ゆっくり休ませるのが最善」
どういうわけか、この時代では妊婦さんに厳しい風習がある。私はそれらを否定して、産湯も使わずラマーズ法などの科学的な出産を教えている。
横になっての出産はダメ、出産後は横になるのも何日も寝るのもダメと、母体に負担が多過ぎる。多分、歴史の積み重ねでそれだけの理由があるのだと思うけど、欧州では母体を休ませるのが普通。良くない風習はなくしていく。
「そうか。ゆっくり休め」
「……ありがとうございます」
若様は私の言葉をそのまま信じてくれる。帰蝶さんに労いの言葉を掛けて見つめ合う姿は少し羨ましい。
私もいつか子が産めるのだろうか?
「これがオレの子か?」
そのまま生まれた子を見る若様は、一瞬なんとも言えない顔をした。奇妙な顔と言ってはいけない。私はそう伝えるようにじっと見つめると、若様はハッとしたようになにか言い掛けた言葉を飲み込んだ。
「抱いてみて。優しく」
「よいのか?」
「いい。貴方の子。親となり子を守り育てていくことになる」
ウチが用意した絹の特製ガーゼで包んだ赤ちゃんを若様に抱かせる。親は子を育て、子は親を育てる。そんな言葉も司令の元の世界にはあったはず。
この温もりと小さな体を知ることが親になる第一歩。
「可愛い赤子だね!」
「当然だ。オレと帰蝶の子だからな」
パメラはいつもと変わらない。でもそんな彼女の明るさが、出産にはよく似合う。
「……おぎゃあ! おぎゃあ!」
「おい、泣き出してしもうたぞ!!」
「大丈夫だよ~ 赤子は泣くのが仕事。元気な証しなんだよ!」
まだ反抗期が終わったばかりのような若様が我が子を抱く姿は、ヤンチャなまま父親になった人にも見える。
ただ抱き方が慣れていないからだろう。赤ちゃんは泣きだしてしまい、若様はおろおろしている。
私とパメラを見て助けてほしそうにしている姿がおかしくて、思わず笑ってしまった。パメラはそんな若様から赤ちゃんを受けとると優しくあやす。
「我が子か……」
「命は尊いもの」
赤ちゃんが落ち着くと今度は帰蝶さんに抱かせる。この時代では乳母が付けられるだろう。それでも生まれた我が子を抱くのが親の特権。しばらくは自分でお乳をあげることもしてもらうつもり。
我が子を見て、若様の顔が少し大人になった気がする。頑張ってほしい。貴方なら出来る。
この乱世を終わらせることが。この子に平和な未来を与えることが。
「そうだな。名は吉法師とする。いかがだ?」
「いいと思う。きっと立派な世継ぎになる」
幼名どうするのかなと思った。奇妙丸はちょっと可哀想だったから。若様はしばし考えて自身の幼名を我が子に授けていた。
父から子へと、名と共に未来を受け継がせたいのだろう。私は自然と笑みを浮かべていた。
◆◆
天文二十年、九月十五日。織田信長の嫡男となる吉法師が誕生した。後の織田信忠である。
取り上げたのは薬師の方こと久遠ケティと光の方こと久遠パメラのふたりであり、それまでの伝統的な出産法ではなく、現在の久遠式出産法での出産だったと『久遠家記』にある。
記録にある限りで久遠式出産法での明確な出産記録はこれが初めてとなっている。推測ではすでに何例も同法で出産していたと思われるが、現存する記録はこれが最古。
信長の久遠家に対する信頼は絶大で、信長は久遠家との風習の違いからそれまでの迷信に疑問を抱き、無用な迷信を廃するようになったと言われている。
この件も一切をケティに任せていたと『久遠家記』に記されている。
後に信長は夫婦や親としての心構えは、一馬やエルやケティに教わったと語った逸話も残っている。
この日、織田家の慶事として守護の斯波義統から領民に至るまでこのことを喜び、大騒ぎになったと伝わる。
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